福岡万葉散歩

街の様子や木々や草花を眺め乍ら、先人の俳句や和歌を織り込んで、今の季節を楽しみたい。たまには万葉散歩も楽しみたい。

2009.6.12(金) 城下町佐伯の国木田独歩館を訪ねる

2011-09-30 | 旅行記

今日の街角風景は、大分県佐伯市の国木田独歩館を訪ねた時のものである。

 

    国木田独歩は明治26年から明治27年にかけて佐伯に鶴谷学館の教師として赴任。

 

    国木田独歩館は、明治26年10月から明治27年6月末までの間、国木田独歩と

    弟収二が下宿した鶴谷学館の館長であった坂本永年邸であり、城山の麓に展開する

    城下町の一角にある。

 

    国木田独歩は主屋2階に下宿し、裏山にあたる城山(140メートル)の山上まで散歩

    することも多かったと伝えられているとか。

 

国木田独歩館入口正面の冠門

 

国木田独歩館前の武家屋敷通り      左に国木田独歩館の冠門

 

国木田独歩館前で

 

国木田独歩館前で

 

国木田独歩館玄関

 

前庭から国木田独歩館を見る

 

城山の麓にあたる地形を活かした国木田独歩館の庭園

 

国木田独歩館の庭園を見る

 

独歩と弟収二が下宿した国木田独歩館の主屋二階

 

     国木田独歩 (1871~1908)

 

        「春の鳥」、「源おぢ」、「鹿狩」など、佐伯を舞台とする作品も少なくないとか。

        上京後は従軍記者を経て雑誌編集などに従事するが、明治41年6月23日

        病没。

 

        「武蔵野」、「忘れえぬ人々」、「欺かざるの記」など、明治の文壇に輝く名作を

        数多く遺す。

 

豊後佐伯城址(鶴屋城)の三の丸櫓門(重文)   後ろは城山(140メートル)

 

    国木田独歩館は、この写真の右手の城山の麓に大きく展開する城下町の一角にある。

 

    慶長6年(1601)、秀吉子飼いの大名であった毛利高政が二万石で佐伯藩に移封

    され、築城と町作りを進め、慶長11年(1606)に完成したのが豊後佐伯城(鶴屋城)

    である。毛利高政は秀吉子飼いの大名でありながら、その大名家は綿々と引き継がれ

    明治維新まで存続したという。 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿