福井城は福井県福井市にあります。明治の廃城で四重、五重の堀の殆どが埋められ現在は本丸を囲む内堀が残ります。笏谷石の石垣で築かれた本丸内には県庁はじめ公共の庁舎が立ち並んでいますが、北西隅には天守台、福の井などが残ります。
近年復元された山里口御門は、廊下橋と枡形で構成され、荒々しい戦の設備と言うよりも、完成された美しさで魅了します。
往時の姿は「国立国会図書館デジタルコレクション 諸国城之絵図・5 コマ番号4」で検索すると堀で幾重にも囲まれた城郭の、厳重な防御態勢を見ることが出来ます。
南西隅の内堀越しに本丸を見る。廊下橋と本城橋が見える
福井城は、明治まで現役だったので、石垣で築かれた本丸と堀は見事に残されていました。
廊下橋と山里口御門 背景の庁舎建物にあまり違和感を感じない
福井城は天守台と廊下橋のある本丸の北西部分が残されたので、ここで近世城郭の雰囲気をしっかりと味わうことが出来ました。最近復元された見どころの櫓などはピカピカでした。
山里口御門 棟門と櫓門がセットになって外枡形を形成しています。土塀、雁木などのパーツもカッコいい! 瓦は笏谷石です。
天守台と福の井戸
天守台も整形された笏谷石で築かれています。福井の名前の元になったといわれる「福の井」も天守台に並んでありました。「福の井」は写真右側の建物です。
天守虎口と控天守台
写真奥の控天守は一般的には小天守でしょうが、福井地震で崩れた状態で保存してありました。虎口の石垣も一部が崩れています。いずれも整形した笏谷石が使われています。
瓦御門 内側から
内堀に架かる御本城橋から場内に入る門があり瓦御門と呼ばれたようです。往時は内側に枡形があり、内枡形となっていたようです。現在は車の通る道になっており両側の石垣が残っています。石垣の上に塀が連なっていた姿を想像しました。
福井城は石垣の城で、整形された笏谷石が整然と積まれた石垣が見事で、いかにも近世の城という佇まいでした。
今朝、三河を出発して木之本から栃ノ木峠を越え、木ノ芽峠と周辺4城を見学し、府中、北ノ庄と巡ってきましたが、秋の早い夕暮れが迫ってきたので今日の見学はここまでで宿泊先の山代温泉に向かいました。
近年復元された山里口御門は、廊下橋と枡形で構成され、荒々しい戦の設備と言うよりも、完成された美しさで魅了します。
往時の姿は「国立国会図書館デジタルコレクション 諸国城之絵図・5 コマ番号4」で検索すると堀で幾重にも囲まれた城郭の、厳重な防御態勢を見ることが出来ます。
南西隅の内堀越しに本丸を見る。廊下橋と本城橋が見える
福井城は、明治まで現役だったので、石垣で築かれた本丸と堀は見事に残されていました。
廊下橋と山里口御門 背景の庁舎建物にあまり違和感を感じない
福井城は天守台と廊下橋のある本丸の北西部分が残されたので、ここで近世城郭の雰囲気をしっかりと味わうことが出来ました。最近復元された見どころの櫓などはピカピカでした。
山里口御門 棟門と櫓門がセットになって外枡形を形成しています。土塀、雁木などのパーツもカッコいい! 瓦は笏谷石です。
天守台と福の井戸
天守台も整形された笏谷石で築かれています。福井の名前の元になったといわれる「福の井」も天守台に並んでありました。「福の井」は写真右側の建物です。
天守虎口と控天守台
写真奥の控天守は一般的には小天守でしょうが、福井地震で崩れた状態で保存してありました。虎口の石垣も一部が崩れています。いずれも整形した笏谷石が使われています。
瓦御門 内側から
内堀に架かる御本城橋から場内に入る門があり瓦御門と呼ばれたようです。往時は内側に枡形があり、内枡形となっていたようです。現在は車の通る道になっており両側の石垣が残っています。石垣の上に塀が連なっていた姿を想像しました。
福井城は石垣の城で、整形された笏谷石が整然と積まれた石垣が見事で、いかにも近世の城という佇まいでした。
今朝、三河を出発して木之本から栃ノ木峠を越え、木ノ芽峠と周辺4城を見学し、府中、北ノ庄と巡ってきましたが、秋の早い夕暮れが迫ってきたので今日の見学はここまでで宿泊先の山代温泉に向かいました。