城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

能登・七尾城 能登守護の権力を実感する巨大山城 その2

2018-12-13 | 歴史
七尾城は巨大な山城です。観光用に山上の駐車場があり本丸直下まで車で行くことが出来ます。訪れたときには通常の道は途中の崖崩れで通行禁止になっていました(2018.11.15)、大きく回り道をすれば車で行けるそうですので確認の上おでかけ下さい。
 縄張図を片手に遺構を見学しながら歩いて登る人は少数派かもしれませんが、それぞれの楽しみ方で七尾城を訪れる人が多いことが史跡の保存にとって有効だと思います。


調度丸から遊佐屋敷への城道右手の石垣の段築
長屋敷と大堀切を見て調度丸に一旦戻り、遊佐屋敷へ向かって登ります。
 遊佐氏は畠山氏一番の重臣だったので、本丸の一番近くの屋敷地が遊佐氏の屋敷と名付けられたようです。先ごろ訪れた春日山城の直江屋敷と同じで、後世の命名のようです。
 道は整備されて両側の石垣も見事です。段差が大きな場所は石垣を段築状につんで対処していました。


遊佐屋敷の石垣
遊佐屋敷は手前の桜の馬場から石垣で一段高く積まれた上にありました。この屋敷地の脇を通って、いよいよ本丸に登ります。


本丸と北側の三段石垣
本丸へ北側から登る道は急な斜面ですが、階段が整備されていました。三段石垣の道の反対側は登り石垣があり、このあたりが七尾城の見どころの一つかと思われます。
 本丸には立派な城址碑、本丸櫓台には城山神社がありました。


七尾城址文化事業団発行の機関紙「七つ尾」より
「七つ尾」によると北側の三段石垣は昭和になって崩落し、積み直しが行われたそうです。写真は崩落状態の写真です。
 「七つ尾」によると、七尾城の地盤はもろく、各所で法面や石垣の崩落が繰り返され、現在見られる石垣のかなりの部分が近年積み直して整備されているとのことです。
 ここまで見てきた石垣も多くは積み直しが行われているようです。


城址碑 昭和17年建立
「七つ尾」によると、地元の篤志家の肝いりで昭和17年に城址碑と城山神社が建立されたとあります。城址碑は、大きなサイズですので、地元の青年たちが3日がかりで山下から城道を引き上げたそうです。


1700年初頭に入山が規制されるまでは、人々は北に七尾湾を望む絶景を求めて本丸まで登ったと伝わります。この日は朝からの雲が晴れて、僕も絶景を堪能しました!


本丸南側の土塁状地形
土塁状地形に見えるのですが、写真の手前には石積が残っていますので、ここには土塀が築造されていたのではないかと思います。写真右手奥は本丸西側を守る大土塁です。土塁の左側の切れ目が西側の虎口です。


本丸西側の外枡形虎口 奥に本丸大土塁が見える
本丸西側虎口を出た所に外枡形虎口がありました。ここも見どころの一つですが、今は樹木が立っていて、写真では判りにくくなっています。七尾城CGでぜひ確認して下さい。
 厳重な外桝形虎口と大土塁からすると、先程登ってきた北側の道が搦手で、こちら側が大手だったように思いました。

外枡形虎口を出て、遊佐屋敷の反対側へ城道を下ります。 つづく・・・・

※機関紙「七つ尾」は山下の七尾城史資料感に隣接した案内所に、ご自由にお持ち帰り下さいとなっていたので、頂いて帰りました。帰宅してから読むと、地元ならではの七尾城の情報が満載で、当ブログでも大いに参考にさせていただいています。