鎌掛城は滋賀県蒲生郡日野町鎌掛にあります。鎌掛はかいがけと読みます。
鎌掛城は近江盆地と伊賀・甲賀を結主要な道を抑えるために、蒲生氏が音羽城の支城として築いたと伝わり、険しい山の上に所在します。麓には屋敷跡とされる山屋敷があります。
鎌掛城と山屋敷の図 国土地理院地図をカシミール3Dスーパー地形で加工、加筆
図の①付近から見た山屋敷と鎌掛城
山屋敷は鎌掛城の北西尾根の先端部にあります。ちょっとした削平地があるだけかと思っていましたが、堀と土塁で囲まれた規模の大きいい曲輪群の遺構が残っていました。往時は屋敷の裏から登城路が有ったようです。
図② 見事に残っている山屋敷の食違い虎口と土塁
山屋敷の遺構は、しっかり残っていて、思ったよりも規模が大きく、見ごたえがありました。ここだけの見学でも一城分はありそうでした。
図④ 曲輪と虎口 イノシシのヌタ場となっていました。
鎌掛城は東と南東の尾根に曲輪が何段にも築かれ土塁、切岸、竪堀、虎口で守られていました。④の曲輪は水はけが悪いためか全面がイノシシのヌタ場となっていました。山城ではヌタ場をよく見かけますが、これほどの面積のヌタ場は珍しいですね。
図⑤の井戸は石組みの深い井戸
井戸には水がありませんでしたが、石組みのしっかりした井戸が残っていました。落ちたら出られそうにないので、こわごわ覗き込みました。こんなにしっかりした石組みの井戸を山城で見られるのは珍しいと思います。
図③ 主郭西側の石積 大きな石が積まれている
主郭の切岸の土留のために積まれてように見える石垣です。いわゆる見せるためではなさそうです。鎌掛城では他の場所では石積を見かけませんでした。
炭焼き窯の跡 城郭遺構と間違えやすいので注意!
鎌掛城では、何箇所かで炭焼き窯の跡を見かけました。この炭焼き窯後は大きくてはっきり残っているので間違えることはないでしょうが、崩れていたりサイズが小さかったり、形状も様々なので、城郭遺構と見間違うようなものもあるので注意が必要です。
過日、ウッディパル余呉の城郭フォーラムに参加し城郭研究科の長谷川博美先生の案内で見学しました。鎌掛城の城郭遺構は豊富で残りもよく当日の資料も詳細な縄張図、解説文で充実していて、大満足の見学会でした。