小峰城は白河城、白河小峰城とも呼ばれ福島県白河市郭内にあります。14世紀に結城氏が初期の築城をしたとされますが、その後数多くの勢力が入れ替わり、発展を遂げ、今見る小峰城は寛永年間に入部した丹羽氏によって石垣を多用した城に改修され阿武隈川の流路の付替えも行われたと伝わります。東日本大震災で多くの石垣が崩れ、建物も被害を受けたそうですが平成31年に修復が終わり、以前の美しい姿をとりもどしていました。今回の参考資料は(1)見学会当日資料 (2)白河市文化財パンフレット「小峰城跡」白河市教育委員会2017 と現地案内板 などです。
小峰城 阿武隈川の旧流路A 丹羽氏によって付替えが行われた
小峰城は阿武隈川が削り残した台地を利用して築かれ、丹羽氏の時代に城地や侍屋敷の大幅拡張が行われたようです。その際 阿武隈川を付替え、新たな土地に侍屋敷を整備し改易された会津藩士を多く住まわせたので「会津町」の名がついたとされます。今見る小峰城の城地中心部は、鉄道の敷設や市街化によって随分狭い範囲になったようでした。
小峰城 中心部は復元された三重櫓と積み直された石垣で往時の姿を彷彿とさせている
鉄道の敷設、市街化、公園化などで城地のかなりの部分が失われた小峰城ですが、興味深い城郭遺構や見事な石垣、三重櫓などの見どころがドッサリでした。
小峰城 清水門 二の丸南から 右奥に三重櫓が見えている
清水門の建物は失われていましたが石垣は残され、当時の威容を感じる大きな空間でした。清水門の再建が計画されているようですので完成が待たれます。
小峰城 竹之丸 左に本丸南面石垣 右に清水門 西から
小峰城は丹羽氏が初代白川藩主として威信をかけて高い石垣を多用して築いた城で、清水門をくぐった当時の来訪者はこの石垣にまず圧倒されたのではないでしょうか。
小峰城 前門と三重櫓 南東から
石垣と建物の調和が素敵ですが、築城者は登城者に見せつけるこのGoodデザインを意識したのでしょうね。
小峰城 本丸には政務と居住を兼ねた大きな御殿が建っていた 奥上に三重櫓と前門
三重櫓は木造での再建の先駆けとなった櫓のようで内部も往時の姿を再現していて楽しめましたが、内部の階段などの設備は、現在では消防法などで許可されないものかもしれないと思いました。
小峰城 北側の濠と三重 東から
城の北側と西側は幅広の堀と高い石垣で守られていました。三重櫓は城のあちこちから見え、いかにもシンボル的でした。
小峰城 矢之門 東から 奥に帯曲輪 三重櫓も見える
現地案内板の絵図を見ると矢之門には建物が描かれていませんので往時もこの状態に近かった二かもしれません。帯曲輪は想像以上に広い面積があり、本丸を守る将兵を籠めるには十分の広さだったのではないかと思いました。
小峰城 本丸北側の広い帯曲輪 本丸北辺石垣と月見櫓
本丸北辺石垣も東日本大震災で崩落し積み直されたそうです。石垣が崩落したために旧地形が現れて、新たな発見があったそうです。月見櫓の建物はありませんでした。
小峰城 水懸口 西から と現地案内板の写真と建物図 興味深い!
帯曲輪の北西隅には水懸口と称する遺構がありました。現地案内板によると、往時は建物があり、塵取門と記されている資料もあるようですが詳細は不明の遺構のようです。水懸口から下には階段がありません。使うときには梯子をかけたか、ゴミを下に放り投げたかなどと想像してみましたがどうでしょう。
小峰城 帯曲輪の西側から会津町方面を見る
帯曲輪の西辺からは幅広の水濠越しに西側の会津町方面が展望できました。案内のガイドさんから、阿武隈川の旧流路、鉄道敷設、会津町の由来などの解説がありました。
小峰城 帯曲輪門 南から 建物は無いが石垣の組み合わせがスゴイ!
現地絵図を見ると、帯曲輪門には簡易な門の建物があったようですが、今はありませんでした。それにしても石垣の芸術とも言えそうな石垣群ですね。
小峰城 桜之門 南から 切込はぎの見事な石垣 右に本丸南面石垣が続く
小峰城は石垣だらけですが、この桜門の石垣も見事でした。東の前門が大手門だとすると、桜門は搦手門にあたるのではないかと思いました。
小峰城は戊辰戦争で失われた建物の一部が復元され、往時の石垣は積み直されて美しい姿を見せていて近世城郭を堪能でき大満足の見学会となりました。