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近江・小倉城 小倉源氏発祥の地に土塁囲みの方形区画の残る

2019-04-17 | 歴史
小倉城は滋賀県東近江市小倉町にあります。永源寺から琵琶湖へ流れ下る愛知川右岸の洪積台地の上に築かれ、近江と伊勢を結ぶ八風街道を扼する位置に所在します。
 3月の東海古城研究会の見学会で日野の佐久良城を訪れた際に、永源寺から進出した小倉氏が支配したとの説明があったので、永源寺付近の小倉氏に関係する城館を訪ねました。
 小倉城は源満季の子孫の小倉氏初代の小倉景実が土着し築いたとされ東近江の地で勢力を伸ばしたようです。


小倉城 愛知川の右岸に築かれている。後世の耕作地、農道などの改変がある
今回は「図解 近畿の城郭 Ⅳ」の高田 徹氏の縄張図を片手に見学しました。現地は後世の耕作地化、農道の工事や新設道路などにより遺構が失われた部分があるということで、それを念頭に置いて見学しました。


小倉城 城址碑と小倉源氏発祥地の石碑 碑の立つ崖の上に城址が広がる。付近に案内板もある。
案内板には、小倉城は承暦年代に源満季の小倉景実が築き以後四百五十年の繁栄を続けたとありました。


小倉城 Ⅲ郭から集落へ下る堀切状の地形を北から見る 堀状地形法面の一部に石積が見られる
写真左手にはⅢ郭の土塁が見られるが、右手のⅠ郭までの間は後世の改変が著しい。ここに堀があったとしても西側(写真左手)は原形をとどめていないように見えました。


小倉城 Ⅲ郭土塁北西隅 土塁は低く、屋敷地の境界を示すのかも?
Ⅲ郭の土塁は低く、防禦性はほとんどなさそうに見えます。屋敷地の境界を示す役割だったように見えます。虎口がありますが、往時のものかは不明という感じでした。


小倉城 Ⅱ郭土塁 北東隅 土塁は低い 草刈りがされて土塁はよく見えてありがたい
Ⅱ郭、Ⅲ郭は草刈りがされているのでとても見やすかった。刈り取られた草が曲輪内の平坦地にまとめられて、いくつもの山ができていました。見学者のための整備かどうかわかりませんが、遺構はとても見やすくてありがたかったです。


小倉城 Ⅰ郭南西隅の櫓台  ここが主郭? 新設道路で東側がバッサリ削られた
高田 徹氏の見解では、Ⅰ郭が主郭だった可能性を示しておられます。土塁の高さ、櫓台地形、堀跡など城郭としての厳重な防禦の機能はⅠ郭に集中していました。パット見ではⅡ郭が中心的な曲輪に見えますが、前の時代の中心地だったのかもしれませんね。
 新設道路でⅠ郭の東側が削り取られてしまっているのは残念でした。


小倉城 洪積台地には大小の円礫がゴロゴロしている。
農道脇の法面の地山を見ると、大小の円礫が大量に混ざっていました。この土地を耕作地として使えるようになるまでの労力は大変なものだったであろうと容易に想像できる状態でした。

小倉城は古い時代に地域を支配した豪族の城館で、後に一部を強化した遺構ではないかと思いました。後世の改変と原形が入り混じった地形で、想像力を掻き立てられました。

なお Ⅳはバックネットが立つグランドになっていて、ここに車を止めて見学しました。


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