市場城は豊田市市場町字城にあります。市場城その1では大手道を中心に見学しましたが今回はそれ以外の興味深い多数の遺構の見学記事です。市場城は市場古城から移って築城されましたが、その後石垣の新設などの大規模な改修が行われ防御性が高められたとされ、その際に築城時よりもコンパクトな城域になったと考えられているようです。
城主の四代重愛(シゲヨシ)が秀吉の命に従わなかったために退去させられ廃城となったとされますが、完成度の高い市場城を見ると、大規模改修を終えた四代重愛(シゲヨシ)が秀吉の命に従いたくなかった気持ちがわかるような気がしました。
今回の資料は (1)「小原の城郭」作図:千田嘉博 小原村文化財保護委員会1993 (2)「愛知県中世城館跡調査報告3」愛知県教育委員会1998 (3)「愛知の山城ベスト50を歩く」愛知中世城郭研究会・中井 均編2010 と 諸国古城之図「市場城」です。 ※市場城 その1は→こちら
市場城 現地案内板の図を抜粋して加筆 [市場城址全体図]の文字で隠れている部分は別図で確認
A、B、D、Gは虎口。a、bは近年の見学路。資料によればⅤ郭と①~⑦の平場の一部は大規模改修前の一段階古い遺構の可能性がありそうです。
市場城 最大の見どころの竪堀群 北から 竪堀群の案内板は千田嘉博さんの原図から作成されている
市場城の竪堀群は愛知県下で最大級の規模とされ、資料(1)によればこの竪堀の上端部は堀切L(図2参照)から続く道によって破壊されていて、竪堀重視から堀切主体の城づくりに移行した姿を示しているとされます。
幅広で深く長い竪堀が何条も連なる姿は圧巻で間違いなく市場城の見どころでした。
市場城 大堀切L 北から 人物と比較するとそのスケールがわかる 左手がⅠ郭方向
北西尾根を断ち切る大堀切Lも見どころの一つでした。大堀切Lの堀底道は北に伸びて道の先にある市場集落へ向かっていたようですので往時は大手道以外にも登城路が有ったのかも知れません。
市場城 堀切M 土橋北側(写真では右)は自然地形に見える
堀切Mは尾根道を断ち切る構造でした。堀切Mの北端部には写真のように土橋が有りましたが、現在は山道の一部にもなっているようでした。山道は大堀切Mの堀底道と大堀切Mの北側で合流していました。
なお大堀切Lと堀切Mが同時に稼働したのか、別々の時期に機能したのかは確認出来ませんでした。
市場城 帯曲輪の案内板 図2と比較すると描き方にそれぞれ特徴がある
帯曲輪付近には帯曲輪の案内板が在りました。この図は図2とほぼ同じ範囲が描かれていました。比較してみると描く人によってその表現にかなりの差があるのがわかりますね。
それはさておき、Ⅰ郭南辺部の法面には3段の帯曲輪が設けられていました。中段の帯曲輪は虎口Aにのルートなっていました。
市場城 Ⅰ郭南側の帯曲輪
今回の見学は夏場でしたので、雑草が生い茂っていて写真ではわかりにくかったので冬場に見学したときの写真です。
市場城 Ⅰ郭の虎口A 虎口の石垣 一部崩落がある ここも見どころ!
市場城の改修が行われて石垣の城となった時にこの虎口も築かれたと思われます。石垣の一部が崩落していますが、概ね矢印のような経路が想定できました。この部分も夏草で覆われていて写真ではわかりにくかったので、冬場に見学した時の写真を用いています。
市場城 Ⅰ郭 北から 往時は2条の土塁があり桝形のある二つの曲輪になっていた
Ⅰ郭の現況は南北に伸びる一つの広い曲輪のように見えますが、諸国古城之図「市場城」を見るとⅠ郭は中央部が2条の土塁で仕切られ虎口A 、虎口B各々に桝形がある二つの曲輪になっていたようです。この遺構が残っていたら市場城最大の見どころになっていたことでしようね。※虎口Bは 市場城その1を参照して下さい
市場城 Ⅴ郭 石列や土塁が見られるが曖昧な地形となっている
Ⅴ郭は資料(2)でも述べられているように遺構はあるのですが、曖昧な地形が多く原形が想像しにくい場所でした。大改修前の古い遺構なのか、途中で放棄されたのかはっきりわかりませんが、土塁状の地形や石列などを見ることができました。
市場城 桝形虎口G の土塁の石垣 ここも見どころ!
大改修で石垣の城に生まれ変わった市場城を象徴する遺構の一つが、外桝形虎口Gの遺構でした。折れを伴う外枡形の土塁を石垣で固めて規模の大きな虎口となっていました。
市場城 桝形虎口G 右手にⅢ郭の櫓台
外枡形虎口G は写真右手の櫓台から見おろされながら虎口の開口部に向かう構造でした。人物と比較して開口部のスケールの大きさがわかると思います。虎口を入ると「さんざ畑」と呼ばれるⅢ郭に入ります。
市場城 Ⅲ郭 右手に虎口Gの櫓台
Ⅲ郭は「さんざ畑」と呼ばれ家老の尾形三左衛門の屋敷地だったと伝わります。Ⅲ郭の北辺と西辺には土塁が設けられていたようで一部欠けてはいますが残欠土塁を見ることが出来ました。
規模の大きな外桝形虎口Gへの城道の経路は各資料に明記がない様でしたが3案を想像してみましたがどうでしょう。
1.市場集落から大堀切Lの堀底道を経由し竪堀群の上端部を通り桝形虎口Gに入る
2.大手道からⅠ郭の東下→北下を経由して竪堀群の上端部に出て桝形虎口Gに入る
3.往時はⅣ郭下→Ⅲ郭下→平場⑤→を経由する城道が有って、戻る方向で桝形虎口Gに入る
・・・どれも外れかもしれませんね。
市場城 竪堀E 市場城主の供養塔付近には竪堀がみられる
現地に建つ案内板によると、市場城主の供養塔は江戸末期頃の建立とされていますが初代鱸(スズキ)親信から四代重愛(シゲヨシ)の石塔が祀られていました。今は見学路が竪堀の上端部を通りますが、往時の城道がここにあったかどうかは断定しにくい状況でした。
市場城 平場あと空堀C 左手の上に二の丸 奥上にⅠ郭(主郭) aは見学路
平場あ 付近も興味深い遺構の密度が高く見どころでした。平場あ の奥には大手道が通り往時の石垣が見えています。空堀C の奥には見学路aの階段が設けられていますが、資料によると往時は無かった通路のようです。※市場城 その1は→こちら
市場城は異なる季節に何度も訪れて見学しましたが、その都度新たな発見があり興味がつきません。見学路が整備され、どの季節でもそれなりに楽しめ良かったです。