安田城は富山県富山市婦中町安田にあります。全国制覇を目指す豊臣秀吉が越中の佐々成政を攻めた時、秀吉の本陣となった白鳥城の支城として前田氏によって築かれ、配下の岡嶋一吉が城主となったとされます。城郭遺構の配置から、それ以前にも館城が存在していた可能性もありそうですが詳らかではない様です。安田城はその後廃城となり耕作地化されて地表面からの確認が難しい状態になっていたようですが、発掘調査によって、江戸期の絵図に描かれた城郭遺構が確認され、復元されました。今回の参考資料は(1)見学会資料 (2)現地パンフレット (3)「令和3・4年度安田城跡再整備事業の概要」富山県埋蔵文化財センター202306 (4)現地案内板と学芸員さんの解説などです。
安田城 明治の旧地図では遺構の痕跡がわずかに認められる
昭和になって圃場整備事業に先立って発掘調査が行われて城郭遺構が確認されたので、危うく消滅を免れ復元が行われたようです。ヨカッタ!
安田城 白鳥城が本陣 安田城と大峪(おおがけ)城が出城の体勢で富山城を攻めた
圧倒的な秀吉の軍事力の前に、佐々成政はほどなく降伏し、その後しばらくは安田城に代官が置かれたようですがほどなく廃城となったとされます。
安田城 工事中で一部の遺構の見学が出来なかった
資料(3)によると安田城が整備されてオープンしてから30年以上が経過しスイレンの繁殖で水堀が泥で埋まり、水堀の護岸が傷んできたので再整備工事を行っていると在りました。このため右郭と言われる城郭遺構への立ち入りが制限されていました。
安田城 右郭は立ち入り禁止 大手虎口①から入る
安田城跡資料館のガイダンス室で学芸員さんの解説と映像の視聴が在りました。その後、学芸員さんに解説を頂きながら城内の遺構の見学に入りました。学芸員さんの解説が聞をきながらの見学は見学会ならではですね。右郭に通じる土橋④と土橋③は通行止めでした。
安田城 二の丸 土橋① 南から
二の丸の虎口は南に開いていて土橋①の両サイドは水堀になっていました。
安田城 水堀⑪ 南から 右に二の丸 奥に土橋➂
水堀⑪の部分は浚渫工事が行われているようでスイレンが取り除かれていました。
安田城 二の丸から本丸へ 木橋②が架かる
二の丸と本丸の間の水堀にはスイレンがビッシリ繁殖し水面が見えませんでした。幅広の水堀で守る安田城の見どころが枯れたスイレンで覆われていてはマズイということで、再整備になったのでしょうね。木橋は、敵が本丸に攻め込むのを橋を落として防ぐ防御の備えだったと学芸員さんから解説がありました。
安田城 本丸南辺の土塁⑨ 西から 奥に東辺土塁⑨と土塁展示場所⑧
土塁の復原は発掘調査時に残存していた土塁に基づいているようで、図3の「はぎとり場所」の土塁が東辺の土塁の土中に設けられた展示場所に展示されていました。
安田城 土塁展示場所⑧ 剥ぎ取られた土塁断面の一部(断面全体が展示されている)
何層にも積み重ねられた土塁の土の層を見ることが出来ました。安田城は築城後の早い時期に廃城となり耕作地化で改変が少なく、遺構の残りが良かったようです。
安田城 東辺土塁 南から その幅の広さに圧倒される
安田城の本丸は四周にこの分厚い土塁が築かれていました。往時は土塁上には塀又は柵が設けられていたと想像しましたがどうでしょう。
安田城 土塁⑨から富山城を指さす学芸員さん 右に水堀
安田城は富山城を攻めるために築かれたので富山城は見えるのかとの質問が参加者からありました。芸員さんの答えは「天気の条件が良いと見えます」とのことでした。生憎この日は雨上がりの曇天で見ることは出来ませんでした。
安田城 西側の水堀⑦ 本丸東辺土塁上から南向きに見る
安田城の堀は幅が広く、東側を流れる井田川の水を取り入れていたようです。ここにもかなりスイレンが繁殖していますね。写真右側の二の丸も東、南、西に土塁が築かれていたようです。
安田城 約2㎞北の山上に白鳥城が見える 本丸北辺土塁上から
秀吉の本陣があったとされる白鳥城が学芸員さんの指し示す北側の山上に在りました。白鳥城からは富山城、安田城、大峪城が眼下に手に取るように見えたことでしょう。
安田城 右郭を本丸西辺土塁上から見る
右郭は整備工事で立ち入りが出来ませんでしたが、本丸の土塁上から見おろしました。右郭は安田城の築城前にあったと考えられる城郭の候補地の一つのようですが、明確な根拠は無いようでした。水堀のスイレンがビッシリですね。絵図によると右郭にも土塁が在ったようですが、発掘調査時には失われていたようですので、絵図の位置に植栽で示しているとのことでした。
安田城 右郭北端部⑤と水堀⑥ 本丸土塁上から
右郭の北端部⑤の北側の水堀⑥は他の水堀と比べて狭くなっていました。右郭の古い館城の時代にここに通路があった可能性があるのではとの質問が参加者からありましたが、学芸員さんの答えは「その可能性もあるが、国指定の史跡になったので、簡単には掘って確認することが難しい」とのことでした。保存と発掘調査との共存の難しい課題がありそうですね。
今回の見学では右郭の見学が出来ませんでしたが、学芸員さんの詳しい解説を聞きながらの見学が出来て大変良かったです。見学に行かれる際は再整備が終わる2023/3/1以降、念のため確認の上お出掛けいただくとよいかと思います。
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