城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

美濃・細野城 残りの良い遺構がてんこ盛りで見どころ豊富な山城

2019-08-26 | 歴史

細野城は岐阜県土岐市鶴岡町細野にあります。
 現地案内板によれば「長久手の戦い、または関ケ原の戦いの時に築城とされるが具体的な資料が乏しい」とありました。
今回は「岐阜県中世城館趾総合調査報告書第3集 加茂地区・東濃地区」の図と記事を持って仲間と出かけました。訪れたのは春先でしたので、雑草もなく主郭からは雪をかぶった木曽の御岳山が間近に見える絶景も楽しめました。


細野城 主郭の案内板のルート地図に加筆 A、Bどちらからでも周回コースを楽しめる
 山下の正福寺の駐車場を起点にコースが整備され、細かく道標が立っていましたのでわかりやすかったです。
せっかくですので城址見学だけでなくコースを一巡し周辺の史跡(師岩、石切場跡)などを見学するのも興味深いです。
 今回はAから城址に登るコースで見学しBから下りました。


細野城 東側の尾根を断ち切る東端の堀切 F 殆ど埋まっていない箱堀状の堀切
 細野城は東にある鶴岡山から伸び下った尾根上にあります。この方面の防御は厳重で、主郭までに3条の堀と3本の土塁が設けられていました。堀切Fは一番東側に位置する堀切で箱堀状に見えました。あまり埋まっていないように見えるのでもともとこのような形状の堀だったように思いました。薬研堀が埋まったとすれば、地表面から2m以上も下に堀底がありそうです。


細野城 Ⅲ郭(搦手曲輪)から土橋を渡って食い違い虎口から主郭に入ります。土橋の両側は竪堀が落ち下っている。
 城の大手は西側にあるとされ、東側は搦手とされます。東側から土橋を渡る付近の地形は複雑で、図と「にらめっこ」で見学しました。土塁と堀切、竪堀と小さな平坦面が複雑に組み合わさっていて興味深い遺構でした。


細野城 主郭 東辺の食違い虎口  土塁の塁線がずれていて横矢が掛かる
 主郭の東側の虎口は土塁の塁線がずれて横矢が掛かる形の厳重な守りの食違い虎口となっていました。食違い虎口への道は両側が竪堀で守られた細い土橋を渡るため、防御がしやすい上に食違いの虎口での守りで敵の侵入を防ぐ構造になっています。
 ここも細野城の見どころでした。


細野城 主郭に立つ城址看板と案内地図
 「細野城址」を守る会の方々の奉仕活動で、コース整備がなされていました。ありがたいことです。
下山後に山下の正福寺で住職さんにお目にかかりましたが、住職さんも守る会で活動しておられるとのことでした。


細野城 主郭に立つ縄張り図 持参した図と微妙に違うところが・・・
 主郭にはコース地図と縄張り図が立てられていました。縄張り図の曲輪の名称は伝承に基づくものなのかも知れません。
大手道は整備された現在の尾根道となっていますが、ひょっとすると往時はもう一つ南の尾根筋「」だった可能性が持参した図とルート地図から考えられるようで、想像して加筆してみましたがどうでしょう。


細野城 主郭中央部を仕切る土塁 中央部の凹みは最近の道のように見える
 主郭の中央部には曲輪を仕切る土塁が築かれていました。仕切の土塁がある山城は案外希少で、あったとしても風化ではっきりしない場合が多いように思いますが、細野城は多少の風化はありますが、比較的はっきり残っていて見どころの一つでした。
 土塁の中央部が凹んでいますが、これは最近の道のように見え往時の形状ではないと思いました。


細野城 主郭 大手虎口 
 大手虎口は南西下の帯曲輪からの斜めに登り虎口に入るようでした。図によると帯曲輪から尾根筋に道「」があったように見えるので、これが大手道だったかも知れないと思い、案内板のルート地図に想像して加筆してみました(実際に踏破はしていません)。今はBのルートの道が整備され王手道とされています。


細野城 堀切C 堀底から右上の曲輪まで高低差が約2mある
 尾根の西側の城域を区切る堀切は上部の曲輪まで約2mあるが、上部の曲輪(大手曲輪)には土塁が無く、東部と比べると防禦が弱く感じられる(縄張り図では大手曲輪と主郭は別の曲輪です)。

細野城は主郭の西側に土塁はなく、東側の厳重な備えと比べて格段に差がありました。この城を攻撃してくる敵は山越えの東側からしか来ないという形です。築城者と築城の時期や目的を絞り込むヒントになるかも知れませんね。

コンパクトな山城ですが、山城の各種パーツがぎっしり詰まった見どころだらけで大いに楽しめ、地元の「守る会」の整備も行き届いていて大満足でした。