校歌を歌い上げた後に興が乗れば応援歌もやることがある。
「光輝みつ我らが~」
「紫紺の歌」といい、大先輩である古賀政男さんの作曲によるもの。
実は恥ずかしながら、私はこの歌を諳んじているわけではない。
校歌の一番はかろうじていけるのだが、応援歌は旋律すらも
怪しい。
当時アルバイトばかりをしていた「苦学生?」であった私は、
サークル活動というものを経験してない。
だから、母校の応援に繰り出す機会が他の学友より少なかった
為ではないかと思っている。
六大学野球では当時母校に香取、法政に江川がいる時代であった。
確か、母校と法政とで優勝を二分していたはずだ。
大学一の決定戦で東都の駒沢に勝って優勝したときは応援に行った。
優勝の瞬間の紙吹雪の光景は今でも目に焼き付いている。
あの日私はこの先何十年経とうと、この瞬間の映像は忘れずに
おこうとはっきり意識して仲間と肩組み歌ったことを覚えている。
そのあと、神宮から母校までの提灯行列も忘れられない思い出
である。
あの頃繰り出した新宿はまだまともな時代で、コマ劇の奥の
噴水をはさんで明治と早稲田で校歌合戦をしたりしたものだ。
あと、ラグビーも強かった。
雪の国立競技場での早稲田との決勝戦にも行った。
このときはどっちが勝ったか覚えてないが、
帰りに寄った雀荘で初めて大車輪をあがったことは
覚えている(笑)
また、横道に逸れた。
そんなわけで「紫紺の歌」は新居浜の先輩に教えられたような
ものだ。
この画像のような指揮がとれるわけでもない。
私の知る限りでは、当支部にはエールを張れる先輩が3人
いらっしゃる。
そのうちのお1人が病気の為に声帯がままならぬ。
よって今はお2人になってしまったのだが、時々先輩がたが
私にやれとおっしゃる。
やったことがないから出来ませんと言うと、
「なんとかなる!」とのたまう。
なんとかなると言われてもなんともならないものはならない。
少し練習しようかなと思ってみたりもしている・・・
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