花の雲鐘は上野か浅草か 芭蕉
句郎 「花の雲鐘は上野か浅草か」。「草庵」と前詞を置く。貞享4年、芭蕉44歳の時の句。
華女 この句は芭蕉の句の中でよく知られた句の一つよね。
句郎 江戸時代の全盛期を表現した句なんじゃないかな。貞享4年というのは、元禄時代の前年にあたるからね。
華女 上野の鐘というのは東叡山寛永寺のものよね。浅草は浅草寺の鐘ね。当時は、深川まで聞こえたのかしらね。
句郎 「観音のいらか見やりつ花の雲」と浅草寺の甍(いらか)をこの句の前年、貞享3年に詠んでいるくらいだから、深川から浅草寺の甍が見えていたのかもしれない。
華女 当時は空気も澄んでいたんでしょう。音もなく静かだったんでしょう。ビルもなかったから、音もよく聞こえ、遮るものがなかったから見晴らしも良かったのね。
句郎 「花の雲」。この季語が効いているね。
華女 平和ということかしらね。
句郎 江戸庶民の生活も安定し、豊かさのようなものが感じられた時代だったのかもしれないな。
華女 桜花爛漫。こんな気持ちが表現されているのかなと感じるわ。
句郎 江戸時代、幕府は江戸庶民の生活を規律すべく「時の鐘」を鳴らしたようだ。
華女 江戸時代は不定時法だったと聞いたわ。
句郎 明け六つに鐘を六つついたのかな。その前に捨て鐘を三つ突き、そのあと六つ突き、明け六つを知らせたようだ。その後、一刻ごとに鐘を突き、時刻を江戸庶民に知らせた。上野寛永寺が最初に突き、その後市ヶ谷、赤坂、芝、浅草の寺々が鐘を突き、時刻を庶民に知らせた。
華女 長閑な時代だったのね。当時、江戸は世界一の大都会だったというじゃない。
句郎 100万人の大都会だったというからね。
華女 その100万人の庶民すべてに時刻を幕府は寺の鐘の音によって知らせていたのね。
句郎 江戸幕府は時間を支配していた。それが「時の鐘」だった。時間の秩序が整えられた社会を表現した句がこの芭蕉の「花の雲」の句だったんじゃないかと思う。
華女 今は一年中、正確な同じ時間によって人々は皆縛られているのよね。
句郎 農業の時間と産業や商業の時間とは、大きな違いがあるように思うね。このような「時の鐘」が鳴ったのは江戸とか、大坂の船場とかの商業の中心地だけだった。農村地域ではそのような鐘が鳴ることはなかったと思う。農村では夜明けとともに働きだし、日暮れと共に仕事を終え、家に帰り、休んだ。しかし大都会江戸では昼の時間を農村よりより正確に庶民に知らせ、労働を規律した。より近代的に時間を規律した。芭蕉は故郷伊賀上野にいたときの時間ではなく、都、江戸に働きにきた者の時間を味わい詠んだ句が「花の雲」の句なのじゃないのかな。
華女 なるほどね。芭蕉は江戸、都会の春、その時間を味わった句を詠んだのね。当時にあっては都会のハイカラな時間に深い感慨を持ったのかもしれないわね。
句郎 そうなんじゃないのかな。豊かな江戸社会なんだなぁーという感慨かな。
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