冬籠りまた寄りそはんこの柱 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「冬籠りまた寄りそはんこの柱」。『曠野』芭蕉45歳の時の句。
華女 芭蕉には「冬籠り」を詠んだ句がいくつあるのかしら。
句郎 全部で六句詠んでいるようだ。
華女 どんな句を詠んでいるのかしら。
句郎 先ず貞享4年、芭蕉44歳の時に「先(まず)いわへ梅をこころの冬籠り」と詠んでいる。この句は蟄居を命じられた杜国に蟄居させられたことを恨んだり、理不尽だと思ったりせず、蟄居を受け入れ、梅の花が咲く春が必ず来ることを心にして今は冬籠ることだと詠んでいる。
華女 「冬籠」という季語の本意は春を待つ熱い気持ちなのね。
句郎 「冬籠りまた寄りそはんこの柱」。この句もまた春が来るのを待ち焦がれる気持ちが詠まれているんじゃないかと思う。
華女 「この柱」という言葉に春を持つ気持ちが詠まれていると言うことなの。
句郎 そうなんだ。熊の冬眠と違って人間の「冬籠り」とは、何にも食べずに冬を過ごすことはできない。江戸深川芭蕉庵の柱とは、門人たちからの支援があってこそ、芭蕉庵の柱は立っている。門人たちこそが芭蕉庵冬籠りの柱だと芭蕉は詠んでいるんだと思う。
華女 芭蕉とその門人たちとの春を待つ思いが詠まれているといことね。
句郎 そうなんじゃないのかな。「冬籠り」の句は元禄元年芭蕉45歳の時の句のようだ。元禄2年には、「屏風には山を画書(えが)いて冬籠り」と詠んでいる。何も描かれていない屏風を眺め、その屏風に山を描く想像をして冬を過ごしていると詠んでいる。この句もまた野に出で、里山を歩く春を待つ望む気持ちを詠んでいるんだと思う。、
華女 「冬籠り」の本意は命の燃ゆる思いなのね。
句郎 元禄4年には「折々に伊吹を見ては冬籠り」と詠んでいる。分かるよね。芭蕉48歳の時の句かな。
華女 芭蕉は、伊吹の山々を見ては、春が来るのを待っていたのね。当時にあっては、もうそろそろ生い先の短いことを自覚し始めた頃なのかしらね。
句郎 元禄6年、芭蕉50歳の時には「金屏の松の古さよ冬籠り」と詠んでいる。狩野派の豪華な松の古木が描かれた絵を見ることに飽きない。わが命の燃える豪華な冬を過ごさせていただいている。
華女 芭蕉は元禄7年に亡くなっているのよね。
句郎 元禄6年といえば、芭蕉の晩年だな。「冬籠り」の最後の句が「難波津や田螺(たにし)の蓋も冬ごもり」だった。
華女 この句も春が来るのを待ちわびる句なのね。
句郎 「冬籠り」の本意は現代にまで継承されてきているのかもしれないな。
華女 「冬籠り」を詠んだ現代の名句というと何という句があるのかしら。
句郎 日野草城の「日の当る紙屑籠や冬ごもり」。この句を読んで楽しめるような気がする。すでに「紙屑籠」には春が来ている。紙屑籠には日野草城の思想や思い、推敲した経過などの断片が書きつけられている。それらの紙屑には草城の命燃ゆる気持ちが詰まっている。季語「冬籠り」の本意がより豊かになっているように思うんだ。
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