埋火も消ゆや涙の烹ゆる音 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「埋火も消ゆや涙の烹ゆる音」。『曠野』芭蕉45歳の時の句。「ある人の追善に」との前詞を置いている。
華女 埋火の思い出があるわ。
句郎 冬、炬燵の中の灰の中に赤く熾って炭に灰ををかけておくと翌日の朝まで火が持つんだよね。翌日の朝、埋火に炭を足すと炬燵が温かくなった思い出があるな。
華女 今ではどこの家庭でも見ることのない朝の風景なんじゃないのかしら。
句郎 今じゃ、焼き鳥屋の店先で熾った炭火を見ることがあるくらいかな。炭自体、普段見かけることがないものだから。
華女 火鉢が昔の家にはあったのよね。夜、母が火鉢の脇でお針をしていた風景が瞼に浮ぶわ。、
句郎 同じように火鉢の火にも灰をかけて寝たからね。冬の暖房というと炬燵に火鉢しか無かったからな。
華女 本当に昔の家は寒かったわね。埋火という季語もなくなっていく運命よね。
句郎 そうなんだろうね。芭蕉が「埋火」という言葉に秘めた思いとはどのようなものだったんだろうな。
華女 埋火というのは、灰の中で火を温存しているわけなんでしょ。だからいつまでも思い続ける気持ちのようなものなんじゃないのかしらね。
句郎 亡くなった人への思いは無くなることがない。この気持ちが籠った言葉が埋火ということなんだろうと思う。
華女 「埋火も消ゆや」とは、あなたへの思いはいつまでもなくなることはありません。あなたが亡くなった哀しみの涙が枯れ果てました。私の涙が埋火に落ち、じゅっと音を立てています。こうしてあなたを偲んでおりますと芭蕉は詠んだんだと思うわ。
句郎 季語「埋火」の本意は、消えることのない、とろとろといつまでも燃え続ける思いということなんだろう。
華女 後を引く恋心のようなものはまさに「埋火」ね。
句郎 秘めたる恋心を埋火として詠んだ歌があるんじゃないのかな。
華女 誰の歌なのか、知らないけれど「板間より袖に知らるゝ山おろしにあらはれわたる埋火の影」という歌があるわ。この歌は恋を詠んでいるのよ。
句郎 芭蕉の追悼句に「数ならぬ身とな思ひそ玉祭」という句がある。芭蕉が若かった頃、身の回りの世話をしてもらった寿貞という女性が亡くなった時詠んだ句といわれている。数ならぬ身と自分を貶めることは一つもないよと、墓前に芭蕉は句を捧げた。芭蕉にとって寿貞への思いは埋火のように消えることはなかった。
華女 「埋火」とは、追悼や恋の思い、消えることのない思いを表現する言葉なのね。
句郎 父や母、夫や妻、先立たれた子への消えることのない思いは埋火のように消えることはないだろうからね。
華女 「埋火も消ゆや涙の烹ゆる音」。この句の静かさが私は好きよ。
句郎 技巧的過ぎて好きになれないと言う人がいるようだけれど、私もしみじみしたところが良いと思っている。「埋火や壁には客の影ぼうし」という芭蕉の句もいいな。
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