醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  685号  行く秋や身に引きまとふ三布蒲團(芭蕉)  白井一道

2018-03-29 16:00:50 | 日記


 行く秋や身に引きまとふ三布蒲團  芭蕉

句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「行く秋や身に引きまとふ三布蒲團(みのぶとん)」。『韻塞』芭蕉45歳の時の句。
華女 「三布蒲団」とは、どんな蒲団を言うのかしら。
句郎 一布を「ひとの」と読むようだ。35センチ幅のことを一布という。だから三布蒲団とは、105センチぐらいの幅を持つ蒲団を言う。
華女 掛け布団にしては狭いわね。
句郎 芭蕉が生きた時代には、掛布団を使うことはなかった。
華女 えっ、掛け布団はなかったの。じゃ、どうして寝ていたのかしら。
句郎 江戸時代、布団と言えば、敷布団を意味していたようだ。江戸時代、綿花の栽培が普及し、木綿の綿を布地の中に入れた蒲団が普及したが、これは高級武士や豪商しか、普段に使用することはできなかった。庶民の中に生きる芭蕉が使用できた蒲団は和紙の袋の中に藁を入れた紙衾(かみふすま)だった。
華女 深川芭蕉庵には畳は入っていたのかしら。
句郎 勿論、畳という高級品などが敷き詰められていたわけではない。土の上、二、三十センチのところに床板が張られていただけだったんじゃないのかな。その上に藁ござを敷き、三布蒲団を「引(ひき)まと」って寝たということなんじゃないのかな。
華女 「行く秋」に紙衾のようなものにまとわりついて寝るのね。今のホームレスとあまり変わらない状態だったのね。
句郎 でも案外、藁の入った紙衾は暖かったのかもしれないよ。コンクリートの上に新聞紙を敷くと思ったより、暖かく寝ることができると言っている話を聞いたことがあるよ。
華女 寒さに向かう寂寥感は身に凍みるものがあったんでしようよね。分かるわ。温かさが何よりの御馳走よ。寒さに向かっては。
句郎 「身に引きまとふ三布蒲團」には、「行く秋」の本意が表現されていると思うな。
華女 「秋暑し」を惜しむ気持ちね。
句郎 その気持ちが「行く秋」の本意なんだろうね。
華女 「行く秋」が季語として成立したのは、いつ頃だったのかしら。
句郎 北村季吟が正保5年、1648年に季寄せ『山之井』を出版した。この歳時記に季の言葉として「行く秋」が載せられたのが初めのようだ。
華女 「行く秋」という季語はまだ初々しい季語だったということなのね。
句郎 芭蕉の「行く秋」を詠んだ五句が伝わっている。私の好きな句「行くあきや手をひろげたる栗のいが」。「行く秋」が表現されているよね。この句は「行く秋」の実りが表現されていると思う。「行秋のなほたのもしや青蜜柑」。この句も「行く秋」の寂寥感ではなく、実りの喜びが表現されている。実りの喜びのようなものを詠んだ句に芭蕉の句の本質があるように私は考えているんだ。
華女 三布蒲団を引き纏っても芭蕉は貧しさと寒さに負けているんじゃないのよね。そんな生活を楽しんでいるじゃないの。
句郎 そうなんだと思うな。男一人、家族もなく、寂しい限りだが、少しも寂しくない。大勢の仲間がいるから。笑っている。

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