醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  617号  何の木の花とはしらず匂哉(芭蕉)  白井一道

2018-01-11 15:19:01 | 日記

 何の木の花とはしらず匂哉  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「何の木の花とはしらず匂哉」。芭蕉45歳の時の句。『笈の小文』に載せられている句。
華女 この句に季語はあるのかしら。
句郎 「花」と言えば、桜だよね。この句の花は桜じゃないよね。木の名前が分からないんだから。だからいつ咲く花なのか分からない。冬に咲く花だってあるでしょ。
華女 山茶花は晩秋から春先まで咲いているけれど、冬の季語になっているのよね。でも山茶花は冬よ。真冬に咲くから山茶花は輝くのよ。だから季語としての山茶花は冬よ。冬の花なのよ。
句郎 そうなんだ。花は冬にも春、夏、秋にも咲くけれども花が咲くのはやはり春なんだよ。何の木の花なのか、分からないけれとども、季節感は春なんだと思う。
華女 「何の木の花とはしらず」という言葉に春の季節感が表現されているということなのね。
句郎 この句には芭蕉が推敲した跡を残した句が残っている。①「なにの木の花とはしらずにほひ哉」。②「何の木の花ともしらずにほひかな」。③「何の木の花ともしれぬ匂ひかな」。このように『笈の小文』に載せられている句の他に異形の三句が伝わっている。芭蕉自身は度の句が一番気に入っていたのか分からないが、私は三番目の句が良いように思っている。
華女 私も三番目の句が一番軽いと思うわ。
句郎 、それぞれの句には、微妙に異なったそれぞれの前詞が付いている。『笈の小文』に載せられている句には「伊勢山田」とある。①の句には「西行のなみだ、増賀の名利、みなこれまことのいたる處なりけらし」。②の句には「西行のなみだをしたひ、増加の信(まこと)をかなしむ」。③の句には「伊勢御神前にて」とある。
華女 「西行のなみだ」とは、何なの?
句郎 「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という西行の歌が『山家集』にあるんだ。西行が伊勢神宮を参拝した時に詠んだ歌なんだ。伊勢神宮の神域に感動した西行は涙をこぼした。芭蕉は伊勢神宮に参り、西行の泪を思った。
華女 分かったわ。何の木の花の匂いなのか、分からないけれども、木の花の匂いに心も体も洗われましたということを芭蕉は詠んだのね。
句郎 この芭蕉の句は西行の歌を句にしつらえたものだ言える。
華女 西行の歌を芭蕉は俳句にしたということなのね。
句郎 短歌と俳句の違いを考えるには良い例かもしれないよ。
華女 西行は涙がこぼれる理由を詠っているのよね。芭蕉は花の匂いだと自分の認識の結果を詠ったのかしらね。
句郎 二人とも伊勢神宮に参拝すると感じる心が洗われるような神聖な感じを表現しているんだ。
華女 高濱虚子は「短歌は煩悩を詠い、俳句は悟りを詠む」と言ったと言うじゃない。だから西行は煩悩を詠んでいるのよ。芭蕉は木の花の匂いだと悟ったことを詠んだということよ。
句郎 そうのかもしれないな。でも芭蕉の句は、それ自身で立派な自立した句にもなっていると思う。

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