蛸壺やはかなき夢を夏の月 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「蛸壺やはかなき夢を夏の月」。「明石夜泊」と前詞を置き、『笈の小文』に載せている。芭蕉45歳の時の句。
華女 『笈の小文』を読むと芭蕉は須磨に泊っているのじゃないのかしら。
句郎 前詞「明石夜泊」というのは事実ではない。「明石夜泊」はフィクションなんだろうな。『笈の小文』の旅に出たのは、貞享四年十月のことだけれども、紀行文『笈の小文』を執筆したのは元禄三・四年のことだったようだから、「明石夜泊」の前詞によって「蛸壺や」の句が文学作品になると芭蕉は考えたんじゃないのかな。
華女 文学というのはフィクションを書くことによって真実を表現するといわれているのよね。
句郎 そうなんじゃないの。真蹟懐紙には次のような詞書が残っているようだ。「須磨の浦伝ひして、あかしに泊まる。其比卯月の中半にやはべるらん。ばせを」とね。でも実際はもう少し季節は晩夏のようだったみたいだ。
華女 場所も季節も変えて句を詠んでいるのね。
句郎 一七世紀後半の江戸時代、明石はすでにタコの名産地として有名だったんじゃないのかな。
華女 芭蕉が明石で美味しい蛸料理を食べ、この句を詠んだんだと思うと想像力が広がるような気がするわ。
句郎 茹で上がったばかりの蛸を串に刺し、ほおばっている。美味しかったねと、一息をつく。句が湧いた。そんな感じかな。
華女 夏の月の光が海面を通り蛸壺の中に射す。月の光を受け、蛸はどんな夢をみていたんだろうと芭蕉は思ったということなのね。
句郎 ほんとうに儚いものだと実感しているということかな。
華女 若い女の美貌のようなものよ。
句郎 番茶も出ばなは美味しい。そういうことなのかな。
華女 百人一首にあるでしょ。「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」と詠った小野小町の歌があるじゃない。『古今集』にある句よ。美貌なんてものもほんとに儚いものなのよね。
句郎 華女さんも昔は美貌だったのかな。
華女 私が生まれ育った町を春日町といったのよ。娘時代、私は春日小町なんて言われてものなのよ。
句郎 へぇー、そうなんだ。
華女 芭蕉自身も自分自身の人生を儚いものなんだという実感をよんでいるのかもしれないわよ。
句郎 蛸の美味に舌鼓を打って頂いた喜びも儚いものだと芭蕉は感じたのかもしれないな。
華女 明石が蛸の名産地として知られるようになったのは、明治以後のことなんじゃないのかしら。蛸を食べる文化は関西の文化よ。関東に蛸を食べる文化が広がるのは戦後のことのようよ。
句郎 「高砂や歌人も知らぬ蛸の味」。このような句を聞いたことがあるけど、これは関西での話なのかな。
華女 たこ焼きの普及が蛸を食べる文化を広げたんだと思うわ。
句郎 そう言えば、蛸が季語として登録されるようになったのは、まだ最近のことなのかな。
華女 この句は蛸壺を詠んでいるのではなく、夏の夜の儚さを詠んでるのよ。
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