盃に泥な落しそむら燕 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「盃に泥な落しそむら燕」。「楠辺(くすべ)」と前詞がある。芭蕉45歳の時の句。この句には異形のものが伝えられている。「さかづきにどろな落としそ飛燕」。
華女 下五の「むら燕」と「飛燕」の違いね。
句郎 「むら燕」は群れて飛んでくる燕のことのようだけれどね。「飛燕」は一匹の燕かな。
華女 「飛燕」はなぜ一匹だと感じるの。
句郎 人家の庭先を燕が群れて飛ぶ景色は見たことがないからかな。
華女 軒の下の燕の巣に親燕が餌を運んでくるのを見たことがあるような気がするわ。されはたいてい一匹よね。
句郎 そうでしょ。だから「飛燕」だと一匹の親燕が餌を庭を突っ切って運んでくる姿かな。「群燕」だったら、春の野原のような所で茣蓙の上で宴席している上を群燕が滑空してくる姿が目に浮んでくる。
華女 どちらの句を早く芭蕉は詠んでいるのかしら。
句郎 、「楠辺(くすべ)」と前詞がある句の方なんじゃないのかな。
華女 「楠辺(くすべ)」とは、どこにあるのかしら。
句郎 『笈の小文』紀行のことだから、伊勢楠部のことなんじゃないかな。
華女 茶店の軒の下に燕の巣をあるのを見つけると勢いよく親燕が飛び込んでくる姿を芭蕉は見たのかもしれないわね。
句郎 親燕が餌を巣に運んでくる姿の断片を芭蕉は見て詠んだ。この句を推敲し、「飛燕」を「群燕」に変えたんじゃないのかな。
華女 芭蕉は「泥なおとしそ」と詠んでいるのよ。燕が運んでいるものは泥なのよ。
句郎 あっ、そうか。泥で固めた巣作りをしているわけか。
華女 そうよ。泥の巣作りをしているのよ。泥を落とさず、立派な巣を作れよと燕を励ましているのよね。
句郎 茶店で盃を傾け休んでいる時に見た実景を芭蕉は詠んでいるわけではないのかもしれないな。
華女 そうなのかもしれないわ。芭蕉は何匹もの燕が地表からそれ程高くない所を滑空するように飛んでいく姿を見たのよ。そのうちの一匹の燕が盃を傾け酒を飲んでいる茶店の軒下にとび込んでいく姿を見て詠んだように思えてきたわ。
句郎 なるほどね。何匹もの燕が空中を滑空する姿を見ていたんだ。「盃に泥なおとしそ群燕」は実景じゃないということなのか。
華女 群燕よ、盃に泥を落とすようなことはするなよということを詠んでいるのではないということよ。燕よ、巣作りに励めと芭蕉は詠んでいるのではないかと私には思えてきたいうことなのかな。
句郎 何匹もの燕が空中を滑空して飛ぶ姿を見て、それぞれの燕は巣作りに忙しいんだなと芭蕉は思い描き、この句を詠んだということなんだと華女さんは考えたということなんだ。
華女 そういうことね。私のように解釈すると蕉風の俳句になるように思うわ。芭蕉が茶店で盃を傾けていると燕が飛んできた。泥を落とされちゃ大変だというような意味の句じゃ、全然芭蕉の句にはならないわよ。私のように解釈して初めて、芭蕉の句になるのよ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます