月はあれど留守のやう也須磨の夏 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「月はあれど留守のやう也須磨の夏」。芭蕉45歳の時の句。「須磨」と書き、『笈の小文』に載せている。一方『真蹟詠草』には「卯月(うづき)の中比、須磨の浦一見す。うしろの山は青ばにうるはしく、月はいまだおぼろにて、はるの名残もあはれながら、ただ此浦のまことは秋をむねとするにや、心にもののたらぬけしきあれば」と前詞を書き、「夏はあれど留守のやうな也須磨の月」という句を載せている。
華女 「須磨の浦のまことは秋をむねとする」とは、須磨の秋を詠んだ有名な歌があるのね。
句郎 元禄時代に生きた芭蕉にとって、『源氏物語』は現代文学だった。須磨の秋の侘しさは『源氏物語』にあるようなんだ。光源氏が須磨に流されたという話に尽きるみたいだ。『須磨にはいとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平の中納言の、関吹き越ゆるといひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり…』
華女 「恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は思ふ方より風や吹くらむ」。光源氏が詠んだ歌ね。この波音は須磨の秋の浜に打ち寄せる音なのよね。
句郎 そうなんじゃないのかな。秋の須磨だから想像力が刺激されるんだ。夏の須磨では、いくら月夜であっても想像力が働かないなぁーということなんじゃないのかな。
華女 夏の須磨では、光源氏を偲ぶことができないということね。
句郎 芭蕉は古典の世界に遊びたかったんじゃないのかな。「見渡せば詠むれば見れば須磨の秋」と詠んでいるからね。「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」。定家の歌を味わいたい。「さびしさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮」。「ながむれば」とくれば、良暹法師の歌を思い出したい。「見れば」というと「月見れば千々に物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど」。大江千里の歌が胸にこみあがる。せっかく須磨に来たのに夏だったのでがっかりしてしまったということなんだろうな。
華女 芭蕉にとって旅とは、古典の世界に遊ぶことだったのね。
句郎 夏の月では、興趣が湧かないと言うことなんじゃないのかな。だから月は秋、秋の月夜には想像力が働くということなんだろう。だから月は秋の季語になったんだろうな。
華女 秋の月は人の心を静かにする力があるんじゃないの。
句郎 須磨の夏の海浜に美を芭蕉は発見できなかったんだよ。きっとね。
華女 『源氏物語』「須磨」の巻に芭蕉の心は縛られれていたので句が詠めなかったんじゃないのかしらね。
句郎 教養が邪魔して却って句が詠めないなんてことがもしかしたらあるのかもしれないな。
華女 芭蕉はそのころ源氏物語を勉強していたのかもしれないわ。すらすら源氏物語が読めるような学力が芭蕉にはなかったんじゃないのかしら。
句郎 そうなのかもしれないな。何回も同じ文章を読み、どうにか意味がとれるようになった頃だったのかもしれないな。
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