台風9号崩れの低気圧の影響か、曇り空で涼しく、奈良の最低気温は24.7℃、
午前9時過ぎに日差しが戻るなか、帽子なしで「こども見守り」の8・9月分
予定を届ければ、夏の太陽が髪の毛を焼く。散歩する気も無くなり退散です。
*夏休みは昨年同様一週間短く、二学期は8月25日からだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/3f/3b3ea95121f074403864b32823bc0362.jpg)
今日8月10日は「ハッ(8)ト(10)」で全日本帽子協会が制定した「帽子の日」、
語呂合わせで「焼き鳥の日」「鳩の日」「ハトムギの日」「バイトの日」等
そして今日は「西鶴忌」、江戸時代初期の大阪の浮世草紙、人形浄瑠璃作者で
談林派俳諧師の「井原西鶴」1693年・元禄6年8月10日(旧暦)命日享年53歳。
15歳で談林派の西山宗因に師事し、1673年の生國魂神社の万句俳諧の興行で
矢数俳諧を創始され、阿蘭陀流(おらんだりゅう) と揶揄されるも、1684年
住吉大社では一日に23500句までになり、約束事の多い貞門派の俳句の息の根
を止めようという新興談林派の息気込みで詠まれた初句?とされるのは
『俳諧の息の根とめん大矢数』 西鶴
なおこの折詠まれた23500句は帝国図書館に所蔵されていたが、関東大震災で
焼失し、引用されたものなど部分的にしか残っていない。
松尾芭蕉は西鶴をこのように評していたと、向井去来が「去来抄」に残す。
"・・・詞あしく賎しくいひなし、或は人情をいふとても、今日のさかしき
くまぐままで探り求め、西鶴が浅ましく下れる姿あり・・・”と
その後「西鶴」は浮世草紙、人形浄瑠璃作者として活躍されることに。
さて小畑では、シシトウとピーマン付近に、トンボが飛んできてくれた。
からかうように、飛んでは留まるを繰り返す。
オニヤンマに似るも、小さめで色も違うような気がする。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/7d/548e476e17011ab1600344539d9cd8ff.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/7d/548e476e17011ab1600344539d9cd8ff.jpg)
対面で留まらない。馬鹿にされているかのよう。
とんぼのめがねは
水色めがね
青いお空を飛んだから
飛んだから
「とんぼのめがね」 作詞 額賀誠志 作曲 平井康三郎
この歌のモデルといわれる「シオカラトンボ」の雌だった。
ムギワラトンボとも呼ばれているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/41/0c2458cac29110c8b1ea084c1ae4dc03.jpg)
余りの暑さに、焼き(8)鳥(10)になりそう・・・帽子が必要
こちらが息の根を止められそうなぐらい、あわてて家の中に。