雲の多い朝の最低気温は6.1℃と冷え込みは弱いが、昼過ぎから雲が空を覆い
ポツリと時雨だした。最高気温は昼過ぎの10.5℃と寒ーい一日に。

NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はツバキ科の「チャ・茶」
原産地はインド、ベトナム、中国西南部とされ、熱帯から暖帯のアジアに
広く分布し、中国種とアッサム種に分けられる。
日本の野生樹は中国種に分類され、主に伊豆半島や九州地方などに自生し、
栽培種は低木だが、高木になる。
中国の漢名は茶で、標準和名チャノキの語源は、中国大陸から茶が渡来した
ときに、漢名の「茶」を音読みしたものと言われる 。
日本への渡来は、「奥義抄」によると奈良時代729年に、宮中での大般若経の
講義があり、2日目に「行茶」と称して茶を賜ったと伝えられ、それ以前に
渡来したことは間違いない。
また山口県で紀元4000年前ごろ茶の実の化石も出土したことで、自生論と史前
帰化植物と両論の争いがあるようだ。
さらに現在日本で飲用される茶(90%やぶきた)は、1191年に「栄西」が中国
から持ち帰った種子の子孫にあたるといわれるが、異論もあるようだ。

さてチャノキの新芽には、アルカロイド(カフェイン、テオフィリン、カテキン
を含むティアタンニンなど)、コクや旨味成分のアミノ酸(アルギニン、テアニ
ンなど)、香り成分の精油、ビタミンC等が豊富に含まれており、飲用として
利用される。
白い5花弁の花で、花冠は白く径は2 - 3㎝、多数の雄蕊がつき、ツバキの花に
似るが、花弁が抱え込むように丸っこく開くのが鑑別点です。
下をむき、うつむき気味に咲くのが特徴で、それから花言葉は「追憶」と。

ならまち街歩きもやっと「元興寺」、旧境内地では「元興寺 極楽坊」という。


元興寺は南都7大寺の一つ、世界遺産を構成する。
日本で最初のお寺・蘇我氏の「法興寺」が、平城京への遷都に伴い、718年に
奈良に僧房が移転し「元興寺」と称し、飛鳥に残る金堂は「飛鳥寺」となる。
当時の境内はおおよそ南北500m、東西250mと広かった。

都が平安京に遷都すると、徐々に荒廃し、1451年の土一揆による焼き討ちで
金堂・小塔院が焼失し、その焼け跡に徐々に人が住みつき「ならまち」となり
残った極楽坊、塔跡と小塔院の3つに分かれた。
江戸時代末期1859年には五重塔も焼け落ちている。

大和名所図絵 1791年
明治以降、神仏分離令などにより無住の寺、伽藍は旧飛鳥学校や

旧肘塚不動堂として使用されていたが、

1943年に辻村泰圓さんが入寺し再興にあたられた。
現在の元興寺金堂は鎌倉時代僧房を改築し、奈良時代僧「智光」が描いた
「智光曼荼羅」を掲げ、極楽坊として庶民の浄土信仰を集めた。
その証拠に、境内から莫大な「元興寺庶民信仰」の資料が出土している。

金堂と西隣の禅室は飛鳥時代の瓦や木材が残る。

東門からの金堂
飛鳥時代の瓦が真ん中にある


時間の都合で境内には入れなかったが、次回にしましょう。