曇り空の朝の最低気温は14.5℃、冬の布団ですので足を出すほどの暖かさ、
午後2時前には21.1℃迄上がった気温も、夕方からの雨は明日昼まで断続的に
降り続きそうですね。
10時、19.8℃、71%
遠く東の春日奥山は、桜で彩られているようですね。
今日8日に奈良気象台は桜(ソメイヨシノ)の満開を発表しました。
吉野山の桜も下・中・上千本迄、一面満開とのこと。
4/7共同通信より
NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はマメ科の「レンゲソウ・蓮華草」、
レンゲと同様に通称名で、標準和名は「ゲンゲ」とされる。
中国原産の越年草で、渡来時期は古くからの説と、17世紀以降で明治時代に
急速に広まったとの説がある。
明日香村などでは春の風物詩としてピンク色の花を咲かせ、甘い香りを放つ
近年は少ないが田の緑肥や、虫媒花のため蜜源(レンゲのはちみつ)にも。
佐保川周辺の田4/6
和名の由来は、咲き姿が「蓮(ハス)」の「華(花)」に似ていることからで、
別名はレンゲソウが咲き誇る様子が「紫色の雲の上にいるようだ」との例え
標準和名の「紫雲英(ゲンゲ)」、さらに「ノエンドウ」「ホウゾウバナ」とも。
花言葉は「私の苦しみを和らげる」「感化」、由来はハスが極楽浄土に咲く花
さらにレンゲソウの根や茎、花の部分に薬草(民間薬)とされたことからと
昨日の「佐保川の桜」の続き、ー復路です。
大仏鉄道記念公園、かつて大仏鉄道「大仏駅」の跡付近で動輪が飾られる
2017.5.22
さて大仏鉄道とは1897年に開通した関西鉄道の新線で、加茂駅と奈良駅を結ぶ
9.9kmの路線で、佐保川の中に橋脚の一部が残るというが、川砂に隠れる。
佐保川に架かる下長慶橋(元は西側にあり昭和8年の洪水で流され現在地に)、
名の由来は明治から昭和初期の実業家「吉村長慶」からで、生前奈良を中心に
40カ所近くの石造物が残る。*過去の記事参照👆
10m下流側・内提にも、大正12年『三聖人礼拝碑』、キリスト、孔子、釈迦の
三聖人が大御神(太陽)に合掌する石板が残されている。
刻文は「みんなこの大御神に合掌礼拝せよ」と。
刻文は「みんなこの大御神に合掌礼拝せよ」と。
下長慶橋から若草山、三角点👇 三重目展望台👇
下流側です
50mほど抜け道の車道で、気を付けて歩いてください。
道は分かれ、右の方は佐保川の堤、すると「佐保川の小石の歌碑」の看板が
木の看板だけで、万葉集巻四 525 大伴坂上郎女
原)『 狭穂河乃 小石踐渡 夜干玉之 黒馬之来夜者 年尓母有糠 』
詠)「佐保川の小石ふみ渡りぬばたまの黒馬の來夜は年にもあらぬか」
意)佐保川の小石の飛石を踏み渡って、ひっそりとあなたを乗せた黒馬が
來る夜は、せめて年に一度でもあってくれないものか
『北向地蔵尊』地蔵様の周りに多くの石仏が集められている。
この辺りに華やかな枝垂れ桜もあり、川べりに降りてゆっくり花見弁当も
この辺りから桜のトンネルになります。
人が多いので振り返る
永楽橋を過ぎて下がると、万葉歌碑が連続してある。
万葉集 巻六 994 大伴家持 揮毫:東野洋子
『 ふりさけて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも』
意)空を仰いで三日月を見ると、一目見たあの女(ひと)の眉を思い出します
万葉集巻六 993 坂上郎女 揮毫 山本佳代
『月立ちてただ三日月の眉根掻き日長く恋ひし君に逢へるかも』
意)月がかわって三日目の三日月のような眉をかき、きちんと身なりを整えて
長らく心待ちにしていたあなたに逢うことができました
踏切直前にこんな表示があるのを初めて気が付いた。
『若草山 奈良駅より一粁八』何故ここに、舟運なのでしょうか。
踏切を京都発奈良行の各停電車が
水辺の学校まで戻れば、
この陽気で川に入る子供も・・・
スタート地点に戻れば、お腹がすきました。