今朝の奈良の最低気温は-0.3℃、寒気が残り曇り空が続くも昼過ぎには日が
差し始めた。ゆっくりと移動性高気圧に覆われだし、8.4℃まで上がった。
13時
佐紀高塚古墳(孝謙-称徳天皇陵)の間の道を紹介したが、少し北に300mで
五社神古墳(神功皇后陵)という天皇等を葬る「陵(みささぎ/りょう)」が比定され
ている。宮内庁は陵以外に皇族を葬る所を「墓(はか/ぼ)」と比定し、管理され
ているが、それ以外の古墳は県や市などの史跡として指定されている。
この辺りでは猫塚古墳、衛門戸丸塚古墳、佐紀瓢箪山古墳・塩塚古墳・オセ山
古墳など地図上で確認でき、訪れてみた。
地理院地図より改変
真ん中の「佐紀瓢箪山古墳」から示す。
「瓢箪山古墳」は日葉酢媛命陵の東約120mにある前方後円墳(全長96m、後
円部径60m、高さ10m、前方部幅45m、高さ7m)で周濠をもつが、丸塚古墳が西南に隣接し完全な周濠ではなく、墳丘裾と外堤内斜面に葺石がある。
周濠内を歩く
その形から推察すると、佐紀楯列古墳群のなかでも古式(古墳時代中期)で、丘陵に点在する古墳群の成立過程を知るうえで欠かせない遺構とされる。
「衛門戸丸塚古墳」 瓢箪山古墳の南西の周濠に接している径45mの円墳で、
1913年に鉄道建設に伴う砂利採取で墳丘が破壊され、銅鏡14面など出土した
「猫塚古墳」は 瓢箪山古墳の南東に位置し、1953年の調査で全長120mの
古墳時代前期の前方後円墳だが私有地で竹林に覆われよくわからなかった。
北東に500mほどのところに、畑の真ん中に「塩塚古墳」がある。
古墳時代中期5世紀前半、中規模の前方後円墳(全長105m・前方部直径52m
高さ3.2m・後円部直径65m高さ8.5m)で前方部の高さが低く、奈良時代の
瓦が多く出土していることから、後世に削られた可能性が高く、周濠を持つ
も前方部にはない。これは奈良時代に松林苑(庭園設備)の一部として削平
され、建物が建てられていた為と考えられている。
盗掘後の木簡跡から短剣・鉄斧・鎌などが見つかる。
更にその北50mに「オセ山古墳」古墳時代中期の前方後円墳(後円部径45m、
高さ5m、前方部(消滅)?)と考えるが現存は65mのみで周濠をもつ。
畑には取り残しの「なばな」がもう咲いていた。
そして畔には
竹林も春の装い、黄葉が出始めている。
佐紀西丘陵には日一日と春の装いが増してきている。
来週にかけ20度越えそう、春から真冬とおもえば春へ、ジェットコースターの
ような気温変化に体調管理が大変ですね。