高曇りのような天候で、弱い陽射しから気温は22.9℃から午後1時半頃には
31.8℃迄上がり、蒸し暑いことこの上ない。
また熊本で線状降水帯が2度も出て災害もでており、梅雨明けまで気が抜け
ない半月になりそうですね。
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NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はユリ科の「アガパンサス」
梅雨の季節にさわやかな涼感のある花を多数咲かせ、立ち姿が優雅で美しい。
南アフリカ原産の多年草、別名はアフリカンリリーと呼ばれる。
和名は君子蘭に似ていることか ら「ムラサキクンシラン・紫君子蘭」と。
花言葉は「恋の訪れ」「愛の便り」
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さて昨日の続き「京終の古墳をさぐるⅡ」
大安寺古墳群は杉山古墳と、東側にある「墓山古墳」と南東側の「野神古墳」
今回は墓山古墳と野神古墳、特に後者の阿蘇溶結凝灰岩製の石棺について
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墓山古墳は、現在殆どが墓地となっており、極一部が残るだけ。
古墳時代中期後半の前方後円墳、全長70m、高さ6mとされていたが、
奈良県立橿原考古学研究所による調査で、本来は周堤を持ち、全長80m、
石室は不明で、人物埴輪頭部片が出土したと。
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奈良県立橿原考古学研究所2001『大和前方後円墳集成』より
「野神古墳」は現在も名のように祠、農耕神として「野神神社」が祀られる
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明治初期の水不足でここに井戸があるとの言い伝えから、掘ってみると石棺
が見つかり、明治9年に発掘され『見分書』が提出された。
後年、大正と昭和に再度石室内調査をされている。
前方後円墳?古墳時代後期前半、大きく破壊されたため現存約34m。
竪穴式石室3.7×1.14×0.8m、天井石に突起が付き、特殊な蓋石を持つ。
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見分書には、副葬品は鉄剣、鏡、玉、馬具など・・・現在行方不明
家形石棺(阿蘇溶結凝灰岩製)馬門石製家形石棺・・学術的に貴重な古墳
一部盗掘穴を認める
副葬品が見つかればもう少し情報を得て、被葬者に一歩でも近づけた??
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家形石棺は古墳時代後期とされ、くり抜き式で多くは突起が少ないのに、
突起があるこの形はさらに古いかも?
古墳時代後期前半のⅠ期(第5図)では堺辺りに阿蘇黒色溶結凝灰岩家形石棺
1例とピンク色の阿蘇溶結凝灰岩を「馬門石製家形石棺」と呼ぶ2例、
時代が下りⅡ期(第6図)、ピンク色の阿蘇溶結凝灰岩「馬門石製家形石棺」は、大和東部と高槻に見るだけ。
多くは二上山白石製家形石棺で、この野神古墳は特例とされ謎を呼ぶ。
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まだまだ、地形や地割から古代を探ることができ、地名にも古墳の名残が。