今日は二十四節気「霜降・そうこう」なのに、最低気温は19.8℃で雨の朝。
霜降とは山里では霜が降り始め、秋も終わりが近づく頃なのに、最高気温は
28.9℃と上がり、晴れ間もあるかと思えば雨が降り蒸し暑い変な一日です。
宮崎県では線状降水帯が3回も発令され、災害が発生し行方不明者も。
10時半、27.3℃、68%
「キンモクセイ・金木犀・巌桂 」がそっと満開になっていました。
中国原産のモクセイ科の常緑樹で、日本には17C江戸時代に雄株だけが渡来し
、実を結ばないため挿し木で、北海道と沖縄以外で植えられ、現在では庭木
や街路樹となっている。
和名の由来は、中国では樹皮が動物の「サイ・犀」の足に似て「木犀」、
さらに花の色がオレンジ色のキンモクセイに対し、白い花を持つギンモクセイ
が変種したと考えられ金木犀とされたようだ。
なお遺伝子的に中国では見られず、日本で生み出されたという説もある。
花は雄しべが2本と不完全な雌しべを持つ。花は芳香を放ち、ギンモクセイ
よりも濃厚な甘い香り、夕方などに強く感じられる。
法華寺にて
先日、総国分尼寺・光明宗 「法華寺」さんへお参りし、「法華寺へ」の続き
正式には「法華滅罪之寺」といい、平城京の藤原不比等の邸宅跡に782年に
伽藍が完成、その後衰退し、さらに幾度かの戦乱に巻き込まれたが、1601年頃
豊臣秀頼公の母・淀殿が再建された伽藍がほぼ残されている。
境内図:法華寺HPより
2004年再建された「護摩堂」、浮かぶ池にはスイレンがまだ咲いている。
右横には南半球原産フトモモ科の「ギョリュウバイ・御柳梅 」
和名の由来は、ギョリュウに似て葉が小さく、花がウメに似ることからで、
またマオリ語で「マヌカ」で、マヌカハニーとして注目される蜜源です。
その反対側、塀際に「会津八一歌碑」がある。
会津八一は、秋艸道人(しゅうそうどうじん)の名で知られた歌人、新潟県生まれ
東京専門学校(後の早稲田大学)を卒業していますが、『南京新唱』(1924)、
『鹿鳴集』(1940)など、奈良をこよなく愛し、その風物を題材にした優れた
歌集を残されており、詠まれた歌の多くが歌碑になっている。
法華寺では、国宝のご本尊「十一面観音菩薩立像」を詠まれ
『ふぢはら の おほき きさき を
うつしみ に あひ みる ごとく あかき くちびる』
「藤原の 大き后を うつしみに 相見るごとく 赤き唇」 秋艸道人
法華寺御流いけばな展の会場、光月亭に掛け軸として拓本が飾られていた。
歌碑はもう一つ、南門横に山部赤人の万葉歌碑 巻三 三七八
「山部宿祢赤人詠故太政大臣藤原家之山池歌一首」
原文)『昔者之 奮堤者 年深 池之瀲尓 水草生家里』
「いにしへの古き堤は年ふかみ池の渚に水草生えにけり」
重要文化財「本堂」は1601年再建の寄棟造、本瓦葺き。正面7間、側面4間で、
もと「講堂」だったとか。金堂は南門よりに南側にあった。
堂内厨子に本尊・十一面観音像(国宝)が安置され、秋季特別開帳は10月25日
から11月11日(月)に。
裏側、光月亭への前から
この裏側は光月亭内の庭を望んで・・・
もう一つ「浴室(からぶろ、重要有形民俗文化財)」
光明皇后が千人の垢を自ら流したという伝説のある蒸し風呂です。
古例に倣って尼僧ではなく庶民のために使用していたとされる。
現存の建物は江戸時代の明和3年(1766年)再建で、民俗文化財なる。
右横に井戸があるのですが・・・
名称庭園もあるのだが、その時は雨で後にすれば忘れてしまった。
雨が止み、華楽園に足を延ばしたが・・・花種は多いが咲く花は少ない。
蚊が多く、花も少なくさっと一周だけ。
北東側に「華塚」があり、法華寺御流、供養されております。
平城京跡の東側にあり、静かな法華寺さんへいらしてください。