南岸低気圧から吹き込む南風で、もっと暖かくなるらしい。
12時
1月24日に奈良坂を訪れた続きを、前回旧奈良監獄はこちら
奈良坂に平城京の裏鬼門を守る般若寺がありますが、奈良山丘陵を抜ける
旧京街道にあたり奈良時代は平城京への交通路、特に木津川の水運でもた
らされた物資の輸送路として重要であった。都が移っても京都への通路と
して興福寺がほぼ街道を守っていた。また江戸時代1703年東大寺大仏殿
再建時、二本の虹梁(こうりょう)を半月程かけ木津川から東大寺へと
運ばれた道でもある。
google地図より
奈良山丘陵の分水嶺となる地点に、奈良奉行所の高札場跡と石柱がある。
そして『奈良豆比古(ならつひこ)神社』の一の鳥居が目に、
一の鳥居をから進むと、手水舎そして二の鳥居
社務所前に正月飾りと、もう節分の旗が
拝殿の前から手を合わせます。
春日造りの本殿、脇殿が二殿
771年創建の式内社(小)、祭神は平城津比古大神(当地の産土に当たる)、
春日王(光仁天皇)と、その父の追尊された春日宮天皇(施基皇子・志貴皇子)が祀られる。
戦中でも行われた20年おきの遷宮儀式が地域の氏子により行われています。
社務所の両脇に行事予定表が貼られていた。
さらに写真も複数枚掲げられている。それは10月8日夜に行われる『翁舞』、
能楽の原点といわれ、祭神の春日の病の平癒を王の皇子浄人が祈願して舞を
奉納したのが起源といわれ、現在の翁舞は式三番で大夫(翁役)、千歳、三番叟、脇からなり
天下泰平・国土安穏を祝い、神威にて氏子の繁栄と豊作を祈願し、町内の翁講中
により奉納され、平成12年国の重要無形民俗文化財に指定されています。
13歳頃の少年が主役の初々しい「千歳の舞」
千歳と三番叟の問答
翁舞
三番叟
能楽の原点とされるのは神社に残る能楽面で、翁をはじめとする二十五体は現在は
奈良国立博物館に保管されており、そのうち一体の「へしみ面」には応永廿年(1413)
二月二十一日の刻銘から、室町時代に遡れ、中世芸能の形態を残しており、
ご祭神の「春日王」は猿楽を発達させた芸能の神様として歌舞、音曲の役者達が
明治維新頃までこの神社に詣で興業の許可を得ていたとも伝わる。
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