東海関東以北に雪をもたらした南岸低気圧、奈良では明け方前から降り出し
たのは雨、気温は7時過ぎに2.1℃迄下がるも、8時半には最高気温7.1℃迄
上がる変な天候で、10時過ぎから一旦雨が止み、お昼前から東の春日奥山が
姿を現してくれた。
12時、5.3℃、95%
若草山と御蓋山の間にまだ残り、春日原生林方へと消えてゆくようだ。
だが午後3時過ぎから雨で、次々に雨雲が通過するという。
だが夜には雲は抜けるらしく、明日の奈良は晴れ時々曇りとの予報です。
さて今日の誕生日の花はジンチョウゲ科「ジンチョウゲ・沈丁花・瑞香 」、
室町時代以前に原産国の中国から日本に渡来した常緑低木です。
早春に香りのよい花が咲き、外側が紅紫色、内側が純白の肉厚な花で、
花弁状に見えるが萼が変化したもの、別名は「輪丁花」 という。
ご近所の沈丁花はまだ蕾で、来月には咲きだすでしょう。
花言葉は「栄光」「光栄」と
借用
借用
先日の「大安寺」、続いて大安寺の「鎮守神」の「元石清水八幡宮」 を。
赤い部分が八幡宮と
大安寺を通り越して東塔跡、西塔跡へ向かえば、手前に東西に長い森がある。
👇元石清水八幡宮 👇二の鳥居
この森の西端に向け一つ筋行くと一の鳥居があり、そこから参拝に。
長い参道です。
この森の中には鳥が囀り、ニホンミツバチの巣も置かれていた。
二の鳥居を越えて大安寺からの道に
二の鳥居を西に見る
門の右横に「八幡神社」の石碑、土塀が境内をぐるりと囲む。
左横には祭神は仲哀天皇・応神天皇・神功皇后の三神との案内が・・・
「元石清水八幡宮」のHPによれば、807年8月17日に大安寺の鎮守として建立
で、その謂れは大安寺の行教和尚が遣唐使としての帰途、大分「宇佐神宮」の
第一祭神八幡大神(応神天皇)からのお告げで、宇佐神宮より南部大安寺本房
第七院石清水房に勧請された。
一時期を経て、八幡大神は平城天皇の勅命により現在の位置に祀られた。
その折に手を洗おうとして、松林の中の磐座を法具で叩いたところ、美しい
清水が湧き出し池を作ったと伝えられ、現在の御霊神社の龍池にあたります。
その後ある日、行教和尚は夢の中で、京都の男山に八幡大神(応神天皇)を祀れ
というご神託を受け、859年京都府八幡市山城に石清水八幡宮(男山八幡宮)が建立されたと。
また一説には、行教和尚が改めて宇佐神宮へ出向き、男山に八幡大神をお招き
した説もあり、男山衆は石清水の名は以前から男山にあったと主張されたため
その主張と分けるために「元石清水八幡宮」の名が生まれたと言われる。
門を入れば、きれいに整備されており、手水舎で浄めようとすると、人が来れ
ば開く自動水栓設備があり、水が流れ出しました。
拝殿へ向かえば、地元の方々に大事にされた重厚な中門が・・・
中門は瓦葺の四脚門(奈良市指定文化財)室町時代の建築で江戸期に改築され、
左右に翼廊が連なる。 柱が古るそうですね。
奥に立派な本殿からの庇部分に拝殿があり、お参りさせていただきました。
本殿には安産祈願のため土製の鳩の置物が多数奉納されています。
伝承によれば、神功皇后が朝鮮半島に出兵された折、神功皇后の皇子・後の
応神天皇を、元石清水八幡宮の西を流れる菰川の堤に「菰・コモ」に包んで
置かれれば、社の方から飛んできたハトが、菰の上で応神天皇を育てたと。
この伝承から、元石清水八幡宮は「子安八幡社」とも呼ばれており、
マコモダケで作られたお守りやアマビエも授与される。
さらに境内に樹木も「子授けの木」 と借用
クスノキとヒノキが寄り添う「異木の夫婦御神木 」借用
摂社巡りは「反時計回り」にと案内がある
神社名 ご祭神 写真
若宮神社 仁徳天皇 若宮神社
武内神社 武内宿祢命
菅原神社 菅原道真公 菅原神社
厳島神社 市杵島姫命 厳島神社
稲荷神社二社 保食神 稲荷神社
猿田彦神社 猿田彦命・天照皇大神
金刀比羅神社 金刀比羅大神
春日神社 天児屋根命・大物主命 春日神社
命婦神社 豊玉姫命・玉依姫命 命婦神社
加茂神社 伊邪奈岐命
祓殿神社 瀬織津比売命
宮玉神社 宮玉大神
流石に謂れのあるお宮ですね。
門前の反対側にはお地蔵さまが左右に二つずつ祀られていました。
手を合わす方の姿が数人も・・・この辺りの方でしょう。
大切に守られており、守り続けなければなりませんね。