ケロの与太

「全力で与太話」
読んだら忘れてください(” ̄▽ ̄)ゞ  

知らぬが仏の便利たち 〜今日はつまんないよ?長いよ?         ( ̄▽ ̄”)」

2020年05月03日 | 長い長いヨタ話





この内容に芯のないブログに
検索をかけてまで読みに来られる事はあまり考えられませんので
ここに来てくださる方々のほとんどがブロガー同士さんなのだと思うのですが
皆様は
不思議に思われたことはありませんでしょうか

なぜ無料で
そう対価を払うこともなく
自分の画像の管理をしてもらえたり
毎日の駄文(←ワタシの場合ですよ)を乗せるスペースをくださるのでしょうか?

それだけにとどまらず
どれくらいの人が読んでくれているのか教えてくれたり
リアクションボタンなんていうのも設置してくれて、やる気を喚起してくれて
いざ不具合があったら随時速攻お詫びをしてくださる
徹夜のメンテナンス・鯖落ちもせず
常時正常運行を当然のことと心がけてくださっている
こんな都合の良いことが当たり前にあるなんて
有って良いのだろうかと
思ったことはありませんか?

何を対価として払って
このブログを書かせてもらってるのだろう?
と思ったことはありませんか?

という話を( ̄▽ ̄)

折に触れちょろっと書いてみては、コメント欄で口を開けて
コメントを待って見たのですが
明確な回答をくださる方はいませんでした
タダで聞かせてもらおうと言うのが甘いのでしょう
みんな知ってるけど、わきまえておられるのか、ワタシだけが知らないのか
長い間の疑問でした

そんな中
YouTubeでいろんな人の話を聞いているうちに
なんとなくわかって来た
無料ブログってきっと
「広告業」なのだと

私は、ブログ様から広告の紙をもらってるのです(多分)
私はその裏に我がごとをつらつらと書かせてもらって
それをワタシの知り合いに私の記事として見てもらう
広告は私の記事の端っこにくっついてきて
わざわざ人に配られることもなく
配布領域を開拓することもなく
たとえ不特定少数でも
効率的に見てもらえることになる

私は広告の配達人
サボり気味の配達人( ̄▽ ̄)

みんな!
紙を借りた以上は
頑張って毎日更新しようぜ!←今更お前が言うな
( ̄ー ̄💧)

だから人気のブログは
編集部のオススメとして折り紙がつき
さらなる人気を呼ぶようにしてもらえるのでしょう
ああ、優秀なブロガーになりたい ←無理( ̄▽ ̄)

あと
ブログで取れるログなんかも有効なんじゃないでしょうか
#写真にみんな何を載せるのか
#旅行となったらどこが人気なのか
#ラーメンで書かれた記事はどこの何が一番多かったか
ハッシュタグって時流を読むのに便利
そんな些細な我が身の嗜好をお渡しして、
無料で書かせてもらってるんでしょうか?
そして多分
きっとおそらくは
これぞ
WinーWin!
と言うのでしょう!
w( ̄▽ ̄?)w

実際gooブログのアプリは便利に使わせてもらっています
特に画像のサイズ調整
私のスマホにある画像を自動的に640pxサイズに整えて載せてもらえるのには
とても助かっています
サイゼリヤでの撮って出し記事(←大層な!)も
このアプリ無しには書けません
コメントは
返しにくいけど←コラ

そうアプリ
うちの職場(ドラッグストア)もそうなんですけども
お客様に自社のアプリを使って欲しくて仕方がない
私たち手動会計係は、アプリ獲得も任務のうちとされ
お客様にはクーポンというご褒美が盛大に用意されています
(※金額にしてせいぜい数百円)
アプリ獲得した企業には
きっと私の「想像を超えるものすごい得」があるんだろうなあって
思いながら
お得なクーポン配信を餌に
お勧めトークを展開させていただいてます
( ̄ー ̄)
そしてそのアプリをダウンロードするために
Androidを利用する私は、
必ずGoogle様を通さなければならない

Google様
もはや今ライフラインの最重要度を誇るスマホデータが
この会社に握られてるのかと思うと
不勉強な私はいつの間に?!
って感じです
今日もGoogleのフォト担当様に
「一年前の今日、
麦さんは駒沢の餃子フェスティバルに出かけてましたよ!」
なんて素敵に教えてもらって
忘れていた写真をたくさん見せてくれました







世界に散らばる情報を統括し
整頓し
欲しい時に
欲しい物が欲しい者のために
自在に取り出せるようにしてくれた
Google様は至れり尽くせり
素晴らしい存在

だけど
それだけ?

この間初めて知ったのですが
私の大好きなGoogleマップには、カレンダーがありました
過去の日付をクリックしたら、その日私がどういうルートを辿って何処に何分滞在したか
全部記録されてた
そんなん知らんかった!←遅

もちろんその記録を取らせなかったり
削除したりする権限は
私に委ねられています
でも、そもそも
私はただの便利な地図だと思ってた
思い込んでた
そこまでして欲しいなんて思わなかったし
こんな記録、アリバイを証明するときくらいしか必要ない
「5年前の今日。あなたどこで何してましたか?」
と司法に詰め寄られ
自身の潔白を証明できずに冤罪に巻き込まれた少なくない人たちの話を
読んだことがあります
確かにそんな窮地には、とびきり便利でしょう!
でも、そんな事態は私の想定の範囲に入ってないし
そんな性能は必要ない

例えば
ワタシが過激派グループ「赤い砂漠」のリーダーの美愛人として
水面下で補給物資や資金調達を担い情報を届けていたとなれば
公○は全世界の人口の重みと
私個人の尊厳を量りにかけ
私のプライバシーに手をかけることでしょう
もちろんそんな想定も私の人は微塵もありません

戦前の特高警察の名残を未だ多く残すイメージの
昭和のワタシには強烈なアレルギーが起きます
図書館で知らされた拷問死の代名詞
小林多喜二のドス黒い遺体
むっちゃ怖い 
読書家でもないのに
こういう妄想は広がります

だいたい予め
こんなことしますよ〜
と言われてたら速攻断ったでしょう
だから忍ばされたとしか思えない
でも
そうか!あれか!
いつも読み飛ばす
プライバシーポリシーとかに書いてあったか???
↑怖がる割に平和ボケ( ̄ー ̄)

いつの間にかすごいものを
訳の分からないままに肌身離さず持たされている
そんな不安は
ありませんか?
その不安感を共感してくださる人は
どのようにしてこの不安を解消しているのでしょうか

そんなワタクシ
先月放送されたNHKスペシャルにはやられたなあと思いました
タイトルは
さよなら
プライバシー」
すごいですよね
NHKに言い切られちゃった!
( ̄▽ ̄!)

番組では
スマホ中毒気味の被験者のスマホを、許可を得て預かり
当該被験者の情報を一切持たないアナライザーが
スマホに残された検索履歴・閲覧履歴・行動履歴・画像等々の情報から
被験者の性別・年齢・職業・年収・健康状態・友人関係・財務状態から
将来の動向までを数人がかりで分析する
と言う実験が行われました

<彼の財政状況はよろしくなく、もうすぐ彼は転職し、健康を崩すと思います〉

その9割が当たっていた
と言う被験者

扱っていたのはその人のスマホだけなのに
現れた被験者を眼の前にして
「初めて会った人とは思えない!」と勝手に親近感を持って勝手に感慨深くなってるアナライザーの様子は
実に興味深かった

私のスマホもきっともう
ワタシなんですね

このデータが取れれば広告は実に無駄なく
届けることができる
彼には転職サイトと健康関連がマッチするでしょう

そもそもGoogleは広告の会社なのだと言うことを
この番組で初めて知りました 
( ̄▽ ̄”)>アハハ〜

最後に被験者は言います
「この程度のプライバシーなら、見られても構わないかな。」

そして
プライバシーを気にする人は今や少なくなってきました
プライバシーを提供しても
スマホの便利を選ぶ人は多いです
と締めくくられて終わった番組

こんなの
NHKによるプロパガンダじゃんね?

もうね、
こう言うことになってるから
みんなも覚悟しなきゃね〜
って言う
見事な後出しですよ

スペシャルするなら
先にこの可能性を特集して欲しかったですよ?
おばさんは( ̄へ ̄)

「デビュー」なんて綺麗な言葉に誘われて
便利そうだから、 
みんな持ってるから、
と興味しんしん
ただそれだけで手を出したスマホは
もう私の脳の一部です
かつてはすべての友人の電話番号が頭に入ってた私ですが
もう、誰の電話番号も覚えてない

だからこそ
変わりつつある世界
その中における価値観に手入れをし
それなりの覚悟をする必要性を
今ひしひしと感じています

ぺいぺいとかね
今まさに
キャッシュレスはコロナ対策にも有効と大絶賛
ペイの種類は私が知るだけでも十種以上
その中でもひときわ人気なのがぺいぺい

しまったなー
満額くれる!かも知れなかったあの時に
さっさと始めときゃよかったのかなあ〜( ̄▽ ̄?)


いやね?
スマホの調子が悪いんです
修理を依頼したいけど、仕事してたら窓口閉まっちゃう
そんなお悩みから

今日は無駄に時間を使って
長々とそんな話

明日は月曜日ですよー
〜( ̄▽ ̄)ノシ



☘🐸🌿










Halloweenで若者がはっちゃける理由を考えてみた

2019年10月30日 | 長い長いヨタ話
         
2009年
お祭り大好き娘が小学4年生の時に提案してきたハロウィンパーティを、ワタクシが速攻で却下した時のイラスト。
この季節になると使いまわして申し訳ない気持ちでいっぱいですが
きっと誰も覚えてないと信じて今年も載せてみました
この時挙げた記事の中で私はこんなことを言ってます

お葬式やるとなったら多分浄土真宗だけど、毎年クリスマスディナーは食べるとか
キリスト教式で結婚式を上げたけど、うまれた赤ちゃんのお宮参りや七五三には神社に行く
本質の理解や筋は置いといて
楽しそうな、良さげなところだけはとりあえず取り入れる。
そんな日本人の軽佻浮・・じゃなくてファジーな感じ
良く言えば、宗教やイデオロギーが内戦を起こす可能性のない日本の
懐深さ、みんな違ってみんな良い他者のそれを自分たちの好みに合わせるアレンジ
しなやかな迎合が
如実に現れる行事だなあと斜めから眺めつつ
ひねくれ者気分を味わわさせられる行事ではあります

2009年と言えばもう、10年前ですね
ひねくれてます
この時はホントに違和感しかなかった
クリスマスとは違って
自分が大人になっちゃってから出来た行事だもんだから
何の思い出もないし
今更参加する気分にもなれない
大体ハッピーハロウィンの
<ハッピー>の趣旨も
<ハロウィン>の意味も解らないのに
何せえっちゅうねん
と言うのが当時の昭和生まれの感想じゃないでしょうか

しかし今や
商店街や幼稚園の楽しい秋の行事としてのハロウィンは完全定着
こないだの日曜日の商店街が13時からお菓子をくばるとかで
半端というか簡素と言うか、ちょい仮装をした若い親子連れでたちまち道が溢れ返り
休憩中うっかり100m先の店に外出を決め込んだワタシ、
幾重にも交差する行列状の人込みに飲み込まれ
時間までに帰れなくなるかもしれないという恐怖を味わいました
ジャパニーズハロウィンは10月の第4日曜日
てことになりそうな日曜日
先週すでにレジにやって来た男の子が
「幼稚園でね!ハロウィンやったんだよ!」
と教えてくれました

ワタシの記憶が確かならばHalloweenは10月末日
わが国においてこれを長いスパンで楽しむが良しとなったのは
9月に入ったらスーパーに並ぶ大手菓子メーカーの商品と
舞浜の夢の国のスケジュールの影響でしょうか

そう言えばクリスマスも
12月に入ったら25日を待たずして仲間内でパーティーなんかありますが
キリスト教圏でも
そんな事あるんでしょうか

     ☝2014年 前職では仮装も業務になった       

仮装に関して言えば
あれも影響してないかな?と思うんです。
幼稚園行事教育にある
<お遊戯会>
まだこの世に生を受けて数年、柔らかな幼児期に体験する
<仮装のパフォーマンスを衆人環視される>
という強烈な一大イベント
忘れもしない
いっつもボケーとしてた私に与えられたのは、「7匹の子やぎ」の「柱時計」で
当時すでに体格が大きかったので、末っ子のヤギが隠れやすかったのでしょう
台詞はありませんでした
濃い空色の時計だった事を覚えています
それでも非日常が嬉しかった
たとえそれが柱時計でも
( ̄ー ̄)

私たちは人生のかなり早い段階で
仮装のなりきり感と高揚を刷り込まれてきたと言えるのではないでしょうか
( ̄▽ ̄)
    


  ☝2015年からはレジメンバーだけに 非日常は楽しい



最近話題になっているのが、渋谷のハロウィンでしょうか
祭りにおける若者の集団心理、非常なる迷惑がマスコミで報道されていますが
実際どれほどの若者が集まっているのでしょうか
香港のデモと比べてどうなのでしょうか
少なくとも、私の20代の子供たち・その友人・職場のアルバイトが
渋谷に出かけているという話は聞かない

集団で周囲に迷惑をかけているとされている若者たちに
刷り込まれたお遊戯会の記憶が影響しているとは思いませんが
「仮装願望」と対極の「自己肯定感」はカギを握るような気がして
ちょこっと「若者 自己肯定感」でググってみましたらば
内閣府による
満13歳から29歳までの7か国の若者の意識調査(平成25年)に
我が意を得たかのような結果が出ておりました

架線部に施したリンク先を見てもらうと一目瞭然なのですが
わかりやすいのを拾ってみますと
・自分自身に満足している 45.8%
・自分には長所がある   68.9%
・社会現象が変えられるかもしれないと思う 30.2%
・将来への希望がある   61.6%
・40歳になった時自分は幸せになっていると思う 66.2%
日本・韓国・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・スウェーデンの中にあって
日本はどの項目においても15から20の差をつけて低い
一方で、諸外国から群を抜いて高い項目は76.9%「つまらない、やる気が出ない」
その上に
規範意識ときたら諸外国と同じかそれ以上に高い値をたたき出しており
「他人に迷惑をかけなければ何をしようと個人の自由だ」
と答える若者は諸外国の半数という慎み深さ

自分自身に満足していない、長所も見つからない、社会に影響力を持てるとも思えない、将来への希望もない、40歳で幸せでいるかどうかはわからない
いまがつまらない、やる気が出ない
個人の自由?
駄目でしょ


常日頃そんな思いの中に生きているのが日本の若者たち
なのであれば
あれば
己を隠し、仮の装いで一夜限り群れ集った日には
まあ、
そういう事になっちゃうんだろうかなあー

と言うことは思います

         

そうそう、あの香港のデモ
テレビで見たように激しかったのは本当に最前部だけ、という話を小耳にはさみました
マスコミが激しいところだけ切り取るから、
私の脳が勝手に全体像として補填してしまう

こんなところに一緒に並べて申し訳ないですが
例えば長年の憧れだった札幌の時計台
行って見たら思ってたよりはるかにひそやかで何気なあい建物だった
ワタシは勘繰ってます
渋谷の騒動だって、本当のところどこまで大きくて深刻で迷惑なのかは
切り取られてしまった画面ではぶっちゃけわからない

この際もう完全スルーして
あんなさも日本の風物のように取り扱って報道したりしなければ
盛り上がらない気もするのですが
どうでしょうか


今日はそんなHalloweenの話




~( ̄▽ ̄)ノシ °˖✧✧˖°HappyHalloween!←






🐸


虐待死させても殺人罪には問われない国

2018年06月08日 | 長い長いヨタ話


親が子供を虐待して結果死なせてしまった時に、その親が償う罪は
保護責任者遺棄致死罪、
もしくは傷害致死罪が一般的
殺人罪にはならないそうなんです
これが死なない程度の虐待になると、もはや罪には問われないのだとか

今年二月に
元児童相談所所長の無料公開講座
「こども虐待とは何なのか?」~現状とその対応~
を聴きに行きました
目からウロコ話も多かったので
ざっくりその時とった講義ノートを写してみます



そもそも世界中の「こども」は労働力として存在し、大切にいつくしみ育てるものではなかった
1922年世界児童憲章・1924年ジェネバ宣言・1930年アメリカ児童憲章などが出来たのち
日本がそれらを参照しつつ児童憲章を制定したのは1951年

【児童憲章】
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。

一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保証される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整った教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。

この児童憲章が制定されたのが5月5日なので
5月5日がこどもの日

1959年に世界人権宣言の子供版児童の権利宣言
1989年には「児童の権利に関する条約」が国連で採択
日本がこの条約に批准したのは1994年  世界で158番目

国にとって子供の存在はとても軽い


欧米ではこども虐待の予防から発見、親の治療までの統一法がある傍ら
日本では未だ児童相談所の職員が「行ったけど、会わせてもらえなかった」と言っているのが現状
日本の子供に関する法は全部で16条しかない
しかしこの平成12年に初めて「子供の虐待とは何か」という定義が出来た
児童虐待防止法により現在は職員が室内まで踏み込める法整備は出来ている「会わせてもらえないなら踏み込める」


元所長だったその人の講義は進むにつれてボヤキに変わって来たのですが
覚えてるのはこの話です

「僕はね、人事異動があって、突然その日から「児相の所長」となったんです
そこからこどもにまつわる必要な勉強を始め、現状を目の当たりにしたけれど、当時は法整備がなかったのでなんにもできなかった
ああ、ああ、こういう事なんだ・・と判って来た頃異動があって
また新しい人が来る。そうしたらその人もまた
勉強から始めてましたね」

上記はあくまでも私の記憶ですが、
このくだりには驚きすぎてしばらく開いた口がふさがりませんでした
私は保健所には保健師さんがいるように、児相には児相のプロがいるんだと思っていたので


・「虐待する親の受け皿」がこの国には欠けている
・欧米には独立した法があり、親のカウンセリングや施設がある、日本には親に対するペナルティもフォローもない
 子供を隔離保護するのではなく、親を施設に入れてしまいたい
・施設側がこどもを保護する事に成功しても、彼らは必ず連れて帰ろうとする
 散々虐待しておいて、「こどもに会いたい一緒に帰りたい」と泣きながら親の権利を主張する

・職員には懇願する親から子供を取り上げる事が長きにわたり出来なかったが
 平成24年4月 
民法834条 親権はく奪の訴え 
834条の2 親権停止制度が施行され
 これを使って何人かの子供を救う事が出来た

・児童相談所は児童に関するありとあらゆることを相談できる施設。それが今や虐待相談所と化している

・虐待は起こり得ることとして、虐待がある前提で社会を作る必要がある
・虐待をする親だけが悪いのではない(その成育歴や環境が悲惨な場合も多い)
・躾は教え伝える事であり、虐待は感情の赴くままに、自分に服従させること
・愛情の在り無しは関係なく、起こった事実を客観的に見て事態を判断するべきである

・児童相談所には誰でも通報が出来る。通報は組織全体で把握され、受付後48時間以内に目視調査が行われる
・通報者に責任は問われないので、通報を繰り返してほしい
・虐待をしているように見える人には、責めないで手伝いを申し入れてみてほしい
・「私は虐待をしてしまう」と言える社会、その現状をケアしてくれる社会を作らねばならない
・90%の親が乳幼児健診を受けに来るが、乳幼児健診を受けさせない10%の親がいる
 その親へのアプローチは有効に思われるが、
 なかなか進まない






きょうよりもっともっとあしたはできるようにするから 
もうおねがい ゆるして ゆるしてください <一部引用>


両親へ手紙を綴って許しを乞うた女の子は、
虐待の果てに亡くなったそうです
そんな話は
息が詰まるほど辛い

5歳にして、3段落構成の明解で簡潔で切実な手紙を書き得た子どもが
生きて大人になれたなら
どんな可能性があったでしょう?


日本の遅々とした児童関連法の整備・児童相談所の対応改善の契機の裏には
恐怖と絶望の中で
夢も希望も安心も安全も保障されなかった
悲惨な死を遂げた子供達がいるのです

虐待されて育った親は虐待を繰り返すものだ
我が子でない子供を執拗に虐待する養父がは遺伝子が違う子供を駆逐する本能に駆られるからだ
子供の泣き声は感情を高ぶらせるのだ
様々な要因がまことしやかに語られますが

それならばそれはもう
仕方がない
そういうものと受け止めて
社会が隣人が子供のための守りと対策を構築することが重要なのでしょう


そして  
それはこの世の全ての大人の責務であり

ホームレスの方々が子供に勇気を与えたように
本当は
決して不可能なことではないのでしょう







今日はそんな話です






( ̄一 ̄)















.

やっぱりFacebookは好きになれない

2017年12月28日 | 長い長いヨタ話


そういえば
彼女のFacebookは
本人がいなくなった今
どうなっているだろう?


何を隠そう、私はFacebookのアカウントを持っています。
そう、あれは十年ほど前のこと。
息子の一貫校のセレブママから届いた招待メールがきっかけでした。
突然届いた招待メールの主は
気さくなとてもいい人です。が、そんなに関係が深いわけでもないママでしたので、
妙だなとは思ったのです。
ただ、
「招待」をスルーするわけにも行かなかった。

んで、結局
そのセレブママから
「なんか間違ってごめんね〜♥
【お友達】はこちらから外しておいたからね!」
と速攻言われる顛末
( ̄へ ̄)

私とFacebookとの出会いはそもそもがとても最悪で
そのアカウントだけが
今も残っているのです。


現在は、年に一度の私の誕生日に萩さんがお祝い画像をくれる特設コーナーとなっており←こら( ̄▽ ̄")
それ以外は、ほぼ役に立っていない状態なのですが

いつの頃からだったか
私はFacebookでも
彼女のお友達にしてもらっていました。



彼女自身が自分のタイムラインに投稿することはほとんどありませんでしたが、
友達リストには百人以上の人々がいて
彼女の懐の深さや、人生に対する積極性が伺われます。


そんなタイムラインには
その日の朝から
訃報の知らせを受けた幾人かの友だちの投稿がありました

「○○さんは今(彼女と)一緒にいます」の表示がついた投稿には
彼女との出会い
彼女と共にした活動内容
自分にとって彼女がいかに大切な人であったかを
知的に綴った文章

半年前のまだ元気だった頃の彼女のポートレートに花をあしらって
オリジナルの遺影のように加工した画像

病床の彼女と共に撮った
見舞った人の満面の笑顔の向こうに
疲れたように仰臥する彼女の姿が写り込んだものもあります

彼女を知る人なら誰もがしたであろう挨拶のハグ
彼女とハグをする姿を
第三者が横からのアングルで撮ったと思われるモノクロ画像は、商用画像のようにドラマチックだけど
その肝心の彼女の横顔は
悲しげでもあり
眠っているかのようでもあり
彼女の生気が
読み取れない


彼女にも食べてほしかったと言う投稿者の子が作った
クリスマスクッキー

棺に入れてほしいと望んでいるもの

様々な想いが交差していて
さて、
これは彼女の家族が閲覧する前提の投稿なのだろうか?
とも思うけれど
そこに残された家族への具体的なメッセージは見当たらない。

眺めているうちに
なにか不思議なものを見ている気分になってくるのです。

そう
これらが結局のところ、
誰に宛てたメッセージで
誰に見せたい画像なのか?

厳密には彼女でもない、
ご家族でもない
投稿を読む人に向かってるような
その違和感

出会いへの感謝、哀悼
愛惜で溢れてる
それはわかる。
全てが愛と善意と産物であることは間違いがないのだと
思うけれど。




闘病中に始まったお友達による彼女のタイムイインへの投稿は
おそらく、闘病中となった自分を心配している人たちのために
彼女が依頼したものだと推測されます

でも、

彼女と一緒です!
セルフィー慣れした健康で魅力的な笑顔と
彼女の状態とのギャップ
よそ行きで
見目麗しき世界は
本当に彼女にとって
必要なものだったのか。




亡くなる前日に病室での開かれたクリスマスイブの集まりの様子
また明日くるねと全員が引き上げた後に
彼女は病室で一人で旅立ったのだと
教えてくれる記事がありました

お友達のみなさんありがとう。

親族を代表していると思わせるその人の文章も
詩的で追悼と愛惜に溢れていたけれど、
ここにもなにか違和感があって

そうだ、この人は
滅多に人を悪く言わない彼女が
関係がないあまり良くないと
言っていた人だと
思い出すのです。


悲しみの中に愛惜の中に
前を向いてます
哀悼します
出会いと学び、
与えられた絆と
気づきに感謝しています
そんなThe:SNS
無垢で天真爛漫で
知的で詩的でセルフィーな寄せ書き


なんかごめんよ
勝手に覗いておいて

やっぱり私
Facebook
好きになれないや
       〜( ̄ー ̄)ゝ




そんな文句タラタラの私にも
1つ言えることがありました。

これらの投稿を見せてもらって
知らなかったけど
本当に影響力のある
力のある人だったんだな

本当に好かれてたんだな
愛されてたんだな
寂しくなる人が
他にもこんなにたくさんいるのだなと
実感することができた。

そのことによって
体の奥で冷えて固まっていた何かが
開放される温かさを
覚えました。


どうにも
好みではないけれど



偽りのない思いやりの気持ちが宿るものは
良いものなのだと
思います。

なんといっても
彼女が生きて
愛した世界なのだから




私には
とても得られないものです
( ̄ー ̄)





今日はそんな話です



      〜( ̄ー ̄)ノシ









50代の友情~一人じゃないって素敵なこと ね( ̄ー ̄人) <パソコン閲覧推奨>

2016年12月26日 | 長い長いヨタ話












「テレホン人生相談」はラジオ番組
1965年1月から放送開始された、ニッポン放送随一の長寿番組だそうです。
20分弱のガチの人生相談、
私は偶然ラジオから流れてきたこの番組を、いつの頃からか愛聴するようになり
ここで、多角的なものの見方を随分学んだような気がします。

詳しくは各々ウェブで調べていただくとして、
私が今回特筆したいのは
とくに、この大原敬子先生が毎回すごいということ。
番組は先に一通り相談者から相談内容を聞き、MCがその悩みに応じて処方するかのように
回答者を紹介するという手法を取るのですが、回答者が大原先生であった時は、ラジオの前に正座する勢いで
拝聴している次第。


ある日突然、深夜に電話をかけて買い物を頼んできたから、訳もわからず駆けつけたけれど、ドアを開けてくれなかった友人。
本当は、ドアの向こうで瀕死の状態だったのに、
何も知らない自分は、そんなこととは思いもよらずに、帰ってしまった。
友人は心配させまいとして、最後まで自分に助けは求めなかった。
あの時、自分が知っていれば。
そんな思いを、友人の死後2年も抱えてきた相談者の心の救済のために

大原先生は何と言うのか



「彼女が突然夜中、深夜電話をしてきてヨーグルトと、豆乳と、タバコと水って言いましたよね。
これは、友人がメーカーを指定してきたのですか?
それとも、貴女は、彼女との関係の中で愛用しているメーカーを知っていたのか
ここが一つの問題だと思うんです。
聞きたいですね。」

相談者は「知っていた」と答える。
普段、見たっていうか、それを覚えていたので、それを買っていきました。、

何気なく友人がタバコを吸っていたら、あ、このタバコは彼女が好きなんだな・・って貴女解るわけでしょう。
それは、愛とか
相手に対する思いやりが無ければ
この、ヨーグルト、豆乳、タバコ、水は買えないんです。
これが買えた時、貴女は「必要な人」になれたんですね。彼女の前で。

彼女が好きなタバコとか水を無意識に見たのは
自分のこともこうして見てくれたら良いなあ・・って感覚が全く無い時には見ないんです。
あ、こうされたいな、って気持ちとか、優しさを貴女が持っているから
「あ、彼女はこのタバコ吸うんだ」って解るわけです。


    「先生、私、これからどういうふうに考えて行けばいいですか・・」


今日は気持ちの整理ではなくて、
心の問題の整理じゃないかしら?

初めて、彼女と付き合って話している時に、貴女、自分ってものが感じられたんですよ。
この自分が初めて、私を純粋に求めた人に、この自分の愛を与えられるって、貴女思ったんでしょうね。

「はい。」

それはなぜかっていうと、
私を「必要な人」と理解してくれるから、力が出るんですね。
このお友達は、一見、何もしていないように見える。わがままを言ってるかもしれない。
でも、貴女に力を与えたんですね。貴女が両足で踏ん張る力を、この彼女が、何もしていないけれども
与えてるんですね。
人間っていうのは、愛っていうのは、
「これを上げたから、貴女何か下さい」じゃなくて、
貴女がいる、その存在で、自分が活かされる関係にあるんです。

   「私は少しでも、彼女に力を与えられたでしょうか・・」

与えたと思います。
彼女は、最期、本当に幸せな人・・であったと思います。
それは、彼女の人生で初めての、わがままです。
夜中に呼んだということは、もしかしたら、貴女来ないかもしれない。彼女は一生に一度
全く肉親じゃない他人に対して「これ買ってきて」って言った、
そして買って来てもらえた時に
神様がやすらぎを与えたんじゃないでしょうか。

人間はね
わがままが言える関係がね、
一番幸せなんです。

この人だけは、こんな無理を言っても受け入れてくれる、
受け入れてもらった時
これほどの幸せは、無いんですよ。

だから、今貴女が泣いてしまうと
彼女は夜中に呼ばなければ良かったなと、
思いますよ。

「ドアに、そこに、置いていって」と言った
「苦しい」とも言わない
すべてを知っていて、
夜中に呼んだ彼女の気持ちは、貴女とココロの中でつながっていると思いますよ。
とっても嬉しかったのは
何も言っていないのに、私の求めていたタバコとか、何も言わなくても理解っててくれるというのは
嬉しいんです。
100万人に「貴女を愛しています」と言われる言葉よりも
この人だけは、何も言わなくても受け入れてくれる。理解ってくれるということを知った時に
人間は、幸せ感と勇気が出るんです。

彼女が貴女を呼んでドアのところで待っていたっていう気持ちを
貴女は今日からですね
感謝の気持ちに変えると良いと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この後、相談者は「彼女の分まで幸せになります。」と
晴れ晴れと言って電話を切る



お見事なのだ。   ( ̄ー ̄人)




この相談によると
相談者の友人は50歳で亡くなっている。



一人じゃないって、素敵なこと  ね



なんにも考えないで生きてたあの幼い日に聴いた
懐メロが身にしみます。






今日はそんな話です。                 

                    


                        ~( ̄ー ̄)ノシ


※内容は12月14日に放送されたものですが、紙面の都合上ワタシの意訳、省略により改ざんが施されています。
  ご参考までに、本編はコチラ↓

このタイトル、誰がつけるんだろう・・( ̄へ ̄”)
                

スマホからアクセスの方
見難くてスミマセンでした・・・orz












.



「大人は何故子供にサンタを信じさせるのか」~R12指定( ̄ー ̄)ゞ   

2016年12月25日 | 長い長いヨタ話



ちょっと昔のウェブ日記の記録を漁っていたら
こんなgifアニメ(紙芝居形式5枚)が出てきました。
5秒で絵が変わります。
3回位で止まります。
スマホからの方は変わりません
パソコンで変わらない方はF5キーをお試しください。ダメだったらごめんなさい( ̄ー ̄)ゞ←コラ!




         






そして以下は2002年の今日
私が書いていたウェブ日記

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

携帯でメールを打つことを覚えたひろきち(註釈:愚息現在22 当時8)
会社の父さんにメールを送っていました。

「とうさん、サンタって本当にいると思う?
ぼくはいると思うよ。       ひろきち」


八歳のひろきちは、サンタを信じているけれど、
いろんなことが不思議でたまらない。
「ねえ、トナカイのそりって、本当に飛ぶの?飛ぶの?」
「カナダでサンタがつかまったんだって。これでいるって証明されたね!」

不思議だから、ちょっと納得がいかないから、
いるのかどうか不安なんだろうな。
ちるる家の通う幼稚園の園長先生がおっしゃっていたように、
サンタはいないと思った時に、いなくなる。

ひろきのサンタは、もうすぐいなくなるかもしれない。
いないと知った子供はどうなるんだろう?
信じたことのない私にはわからない。
盛り上げて、だまし続けている私には、ちと不安。
彼は、私を責めるだろうか?

そんな時
去年どこかで読んだお話を思い出す。
タイトルも、作者も忘れてしまったけれど、こんな感じのお話

サンタを心から信じている少女がいた。
近所の意地悪な男の子が、彼女にサンタなんていないというけれど、
毎年ちゃんとサンタはプレゼントをくれている。
本当はサンタはパパだって言うけれど、そんなこと彼女には絶対信じられない。
大好きなお兄ちゃんにも聞いて見た。
「サンタは絶対いるわよね?」
お兄ちゃんは、ちょっとうつむいて
「もちろん、いるさ。」
と答えてくれた。

しかし今年のクリスマス。
夜中に目が覚めた彼女は、自分の枕元にプレゼントを置いて去ってゆくパパ目撃してしまう。
あまりのショックに、彼女は声も出なかった。
あの意地悪な男の子が言っていたことが本当だった。
みんなが彼女に嘘をついていた。今までずっとだまされていたんだと、彼女はベッドの中で涙を流した。

あくるクリスマスの朝、
朝食のテーブルで彼女は朝の挨拶もそこそこにふてくされていた。
「サンタはやってきたかい?」と何食わぬ顔で尋ねるパパが、憎くて口も利けなかった。
年下の小さな従兄弟が
「サンタがやってきた!ぼくにプレゼントをくれた!」とはしゃいでいるのを見ると、彼女は悲しくて悔しくてイライラした。
信じていたサンタなんていなかった。
みんな私をだましてたんだから。あんただってだまされてるんだから。

無邪気に喜ぶ小さな従兄弟に教えてやろう。本当はサンタなんていないんだって。私は知ってる!
「そんなの嘘!私見たもの!」
そう言いかけた時
彼女は向かいに座っているお兄ちゃんと目が合った。
(言ってはいけないよ。)
お兄ちゃんは静かな目で彼女に目配せをした。
その目を見て彼女はすべてを悟った。
お兄ちゃんもサンタがいないこと知っていたんだ。
それでも私には本当のことは言わないでいてくれていた。
そのことに気がついたとき、彼女は突然、感謝の気持ちでいっぱいになった。

「ねえ、何を見たの?」
ちいさな従兄弟が不思議そうに続きを促す
「ううん、ごめんね、なんでもないの。」

そのクリスマスの朝、彼女はサンタを信じる子供ではなくなった。
けれど素敵な秘密を守る大人の一員になったのだ。






ええ話やなあ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ココまで過去日記


2002年の私に
2016年の私は教えてあげたい。
あなたの息子は
中学受験塾の国語の教材の論説文を読んで、その事実を知ることになるんだよ。
「大人は何故子供にサンタを信じさせるのか」
って言うタイトルだったんだって。

「・・・サンタってやっぱりホントにいないんじゃん。」
5年生の息子は、ワタシの目を見ないでサラッと言うんだよ。
サイズが合わなくなった洋服を脱ぐように
彼は自分の信じるサンタを
捨てるんだよ。


「大人は何故子供にサンタを信じさせるのか」
今になって思えば
サンタクロースは、
それを信じる子どもたちのためではなく
サンタになりたい大人たちによって、創りだされる夢なのではないかと思います。

サンタを思う時の、子供の瞳に灯る光の美しいこと。
寒い冬の朝
プレゼントを手にした時子供の、笑顔の眩しいこと。


それが
ぶっちゃけ
物欲の満足にすぎなくても ( ̄ー ̄

二人の子どもたちの喜ぶ顔が、私のプレゼントだった。






サンタになれなくなって久しい私ですが
やっぱり
なんかクリスマスがつまんないす。




サンタクロースの秘密
それは


誰かのサンタになれること、それこそが幸せ。

ということではないかと
思うに至る五十路のクリスマス。










今日はそんな話です         




I wish
your
Happy Christmas!         ( ̄ー ̄)ノシ











.


繋ぎの昔話~療育センターでの記憶

2016年07月27日 | 長い長いヨタ話









        


息子と通った療育センターは紫陽花が綺麗に植わっていました。
ひっきりなしにJRの列車が走る高架下近く
電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、バスを降りると、
大きな一級河川沿いに10分ほど歩いてやっとたどり着けるようなそんな場所にありました。

ドコまでも続く背の高い枯れた草原の河川敷は
分厚い雲が立ち込める曇天の日など、三途の川も川べりもこんな感じじゃないかと思う程の寂寥感
広い空と川と私達しかいないような人通りの無い一本道で。
遠く川向うに連なった背の低い工場が、ゆっくりと連綿と真白い煙を天に届けているのを目の端に入れながら
2歳の長男と二人で
娘が生まれたら三人で
週に三回通い続けたのでした。


1歳6ヶ月検診で
「ワンワンはどれ?」と聞かれた息子が
そのパウチされた大きなカードをブーメランのように投げ飛ばした日からの三年間
私の子育ては公園に繰り出す他のママ達とは
異質なものになってしまったのでした。

「・・・ご両親はお子さんの発育をどのように感じておられますか?」
検査の後、残るように言われた私たちは別室で
腫れ物にさわるような保健師さんの質問の本質をつかもうともせず
「あ、それは、
そのうちしゃべるんじゃないかと思ってるんですが?」
と呑気に気持ちを伝えていました。
憐れむような、どこか見下すような、
なんとも言えない作り笑顔の保健師さんの「一度お宅訪問させていただきたいのですが。」
という恐る恐るな申し出に
「はあ、じゃあ、お待ちしています。」
これまたとのんきに受けてしまってから
あれよあれよと
療育センター通いへの道は始まっていたのでした。

保健師さんは三回きてくれました。
息子の日課や食事、遊びなどの話を聞いてくれたように思います。
当時私は婦人の友の会で幼児食を勉強していたので、
その食事内容を見て
「前職は保育士さんですか?」なーんて聞いてくれたりして
気を良くしたりしてた私はとにかく鈍感で
忙しいのに頻繁に家庭訪問してくれるなんて、この市の子育てフォローはなんて素晴らしいんだろう!
と思っていたのですが

後になって
「三回の訪問と、療育センター通いをすんなり了承してくださったのは
ココ数年では麦さんくらいです。」
と賞賛してくれました。
大抵は、一度目の「療育センターの提案」という言葉ですっかりアレルギーを起こして
「うちの子に療育は必要ない!」
「犬の絵がどれだか指をさせないだけで、障害者扱いか!]
と塩をまかれたりすることもあるのがデフォなのだとか。

ただ、私は療育センターのことは激務の夫と
夫の実家には内緒にしました。
そして、療育初日の日に「この帽子をかぶらせてください」と言われて渡された忘れもしない
紫の運動帽子を手に
(あの子達とおなじになるのか・・。)
という思いが脳裏をかすめ、
一瞬躊躇した自分に
ものすごくがっかりしたのを覚えています。


そして確かに、
保健師さんに塩をまきたいとは一度も思わなかったですが。
ココだけの話
私はこの時期に
頭でっかちな臨床心理士とカウンセラーは大嫌いになりました。

勉強を積んで勝ち得た職業とその知識を誇りにするのは勝手ですが。
20代のその彼女は
教科書通りのクライアントのその症例の合致に満足したのでしょう、
「こんなことは、8ヶ月の子でも出来るんですよね、お母さん、ここほっとするところじゃないですよ。
遅れはざっと一年ですね。ま、よくある遅れですけど。この時期の一年は深刻なんですよ
これが一人目の子のお母さんには
わからないんですよねえ。」

人の顔をすぐ忘れる私ですが
彼女の顔もかけていたメガネの形も覚えています。
初産の
臨月近い妊婦さんで、
息子が産休前の最後のクライアントだと言っていました。

彼女のお腹にそっと手を当てて
彼女の顔をまっすぐ見据え

「あなたの子も、
息子と同じに
なれば良いわ。」





言ってやればよかったと
今でも思うのです・・・・・
( ̄ー ̄”)ゞ←多分更年期のせい。






センターへの川べりの道では
いつも必ず、私達の前を歩く親子がいました。

身長180センチ以上のそれは大きな大人の男性と
半分の背丈くらいに見える、小柄な老女の親子でした。

ウー、ウー、ウー、ウー
歩くテンポに合わせてリズミカルな発声をするその男性は
普段はとても優しいおとなしい人だったのですが、赤ちゃんの鳴き声が絶対に受け入れられない人で
0歳の娘が泣きだした時、うっかりニアミスしてしまい
半狂乱で襲いかかられて、死ぬほど怖い目に会いました。
男性の職員数人とお母様が後ろからむしゃぶりつくようにして制止してくれたので、事なきを得たのですが
その時、彼のお母様はセンターの職員の方々の陰に半分身を隠して
ゆっくりと白髪ですっかり灰色の頭を下げ、
ワタシの目を見ずに「スミマセン」と形だけに見える謝罪をして去って行かれました。

(怖い目に会いたくなかったら、どうかもうその子を泣かさないでくれ)
という
諦めのような、
強い叱責のようなメッセージを受け取った
と思いました。

実際職員の方に、できれば療育を受けない赤ちゃんは
どこかに預けてきて欲しい
それが出来ないのなら、重々気をつけるように厳重注意されました。



その日から
ワタシはその親子に追いつかないように。
彼らが、センターの奥に入ってしまってから入所出来るように
ゆっくりゆっくり後ろをついて歩きました。

河口近くの川沿いの
空と草原、東にまっすぐ伸びた一本道を歩く彼らの姿は
朝の光と無機質なアスファルトの照り返しで、
光に飲み込まれ
見えなくなるような錯覚を覚えることがあり

なんだかとてつもなく届かない
尊くて、
畏怖を覚えるもののように見えました

お母さんは見るたびに小さく見えて
息子さんはとても大きく見えました。

彼らはただ並んで歩いていただけなのに
お母さんは息子さんと腕を組んでいるようにも見え
目的地は療育センターなのに、その道が永遠につづく光の道のようにも思え



ただ、
他人事して眺めるのでした。


彼らはこの先
ドコに行くのだろう?







筆舌尽くしがたく壮絶に厳しい指導者先生の名前を私は思い出すことが出来ません。
「この方は、元ソフトボール日本代表の監督だったんですよ」と言われたら、
そっくりそのまま信じてしまうような出で立ちの、
常に緊張感を持った年配の先生でした。
泣き叫び、時に噛みつき、全力で爪を立て、嫌がる幼な子たちに容赦なく
ジャングルジムを登らせ、
おんぶされることを強要し
舌触りの悪い食べ物も力づくで飲み込ませ、
気に入らない道を何キロも歩かせ
プールに放り込み、顔に水をかけて阿鼻叫喚の水遊びをし
決まった所にしかシールを貼ることを許さず
名前を呼ばれたら反応すること
お話が終わるまで正座をすること
手遊びに最後まで参加することをまさに力ずくで覚えさせ、

母親には決して出来ない療育を施してくれました。

1歳半から4歳までのその療育が一段落する時
息子はクラスで一人だけ、
普通の幼稚園に通うことを勧められ
こっそり
「この子は大丈夫でしょう。
お母さん、頑張りましたね、良かったですね。」

親にも容赦なかった恐ろしい先生から
初めて敬語で、
対等な大人の顔を見せて貰えたとき
安堵の気持ちよりも
見放されたような寂しさが先に立って
学校にあがるまで療育を続けたい

お願いしたくなったことが
懐かしくも
有り難く

なんとか今日に至ります。



これまであの施設で見た様々な出来事は
会話の中で説明出来るほどシンプルではなかったので
他のママ友に話すことはありませんでしたが

今も思い出すのは

療育センターにいた人たちは、その日の作業や日課に一生懸命全力で取り組んで
それを見守り寄り添う親御さんがいて
職員の人達は、我が子のように彼らを理解し、介助をし
親同士は集まり、思いの丈を伝え合い、困っとことは嘆くのではなく
懸案事項として解決を目指し
より良く生きる道を模索されていた。
誰も諦めたりしてはいなかった事。


初めて入所した時は
正直、どう考えていいか解らない事も多々あって
自分の居場所にしたくない、と思ったことも有ったけれど

受け入れて生きると決めた人たちは恐れ入るほどほど強くたくましく
浅薄な悲観など付け入る隙もない強靭な意志と努力のもと
誰にも迷惑をかけない人気のない土地を選んで
日々を暮らしていた事。



それだけは
私も知っているので





今日はそんな話です。





<(_ _)>












.

・・・・頑張れベッキ~

2016年02月08日 | 長い長いヨタ話





あれは私が冬季鬱に入ったばかりの頃。
そんな「症状」の存在も知らず、
ただ何に対しても、出来る気がしない事に途方に暮れていて
床に落ちたチラシすら思うように拾えない。
とにかくやる気がでない。
そんな自分に
まだ人並みに罪悪感を持っていた時のこと。

思えば私の人生はいつも詰めが甘かったし
自分は人として失格なんだなと
絶望していた深夜

つけっぱなしののテレビの中で
「キャロライン洋子」みたいな
聡明そうなハーフタレントが熱く語っていたのです


「そうですよね!
ワタシもそうなんです!」

日本人より綺麗な黒髪
日本人が持たない色の大きくてキレイな瞳が
周りの空気を全て強制排気するかの勢いで
真っすぐに輝いて語っていました。


「疲れた、ってどんなに疲れてても、絶対口にだしちゃ駄目だって思うんです!」

「だから私、絶対に疲れたって言わない!決めてるから!」


何者をも吸い込むような瞳が語る「絶対」の度合いは、
言い出しっぺのキム◯クとも若干の差が有ったらしく
誰も受け止めきれない空気が漂っていましたが

その誇らしげでまっすぐな言葉は
ワタシの濡れた半紙みたいにヘロヘロだったメンタルの
痛いところを
無垢な勢いで貫通して行ったのでした

あんな年端も行かない少女が
立派な心がけで生きているのに、私ときたら。
何をしても疲れる私には
美しく若い少女の語る言葉がとても全うで「絶対の正義」に見えました
生まれ変わらない限り、ああはなれない
なるべきなんだろうけれど
私は無理だわ
四十に手が届いたばかり、コンディション最悪のワタシは
二十歳になるかならないかの娘に対して
完敗の屈辱を「勝手に」味わったのでした。


人間、初心を忘れず
ずっと謙虚に憧れたり尊敬したりし続けられたら良いんだけれども
いつ見ても溌剌とした彼女の輝きが
鬱陶しく面倒くさく、
胡散臭く思うようになるには
さほど時間がかからず
有吉弘行氏が彼女を指して「元気の押し売り」と言うアダ名をつけた時など
ワタシ、
我が意を得たり!とばかり手を打つて喜んだものでした。

周囲の空気や番組の趣旨を繊細に感じ取り、
そこに必要な立ち居振る舞いが
必要に応じてなんとでも出来る、聡明で間違いのない娘
それだけに
心のなかでは何を考えているかは
わからず、
(そんな機会は絶対ないけれど)お近づきにはなりたくない娘
そんなイメージの、何事にも周到そうな彼女が
「不倫騒動」に巻き込まれるとは
にわかには信じがたかったです。

案の定、ワイドショー的番組で擁護に回った芸能人も多く
ワタシはその空気をココぞとばかり楽しみながら
「いやいや、
そもそもそんな馬鹿な娘じゃなかったでしょ
どうしちゃったのよ?」
そんな感想で眺めておりました。

果たして、
大人の事情でがんじがらめになった体で彼女は
問答無用、
「お友達です」「お騒がせしました」で綴られた
真摯な姿勢の通り一遍
上っ面な会見で切り抜けようとしたトコロ







週刊誌に次のカードを切られて
詰んでしまう。

       
                                                                 出典不明:拾って加工しました。




芸能スキャンダルは数々あれど
当事者の建前と本音がコレほど鮮やかに暴露された例が
これまであったでしょうか。

言い逃れできない企み
彼女ならではのどこまでもポジティブが加味された
滑稽なまでのお花畑加減
待ってみたけれど
彼らはとうとう、
この画像が根拠なきモノだという見解を出しませんでした。


事務所に守られ
番組に守られ
綺麗に逃げ切ろうとしたことが完全に裏目になって
ああ
・・・詰んだなあ
という感は
払拭しようもない。


ですけれど
何処のテレビ番組も
彼女が下の方で言ってる

「不倫じゃありません!」
「略奪でもありません!」
この部分について誰も深く触れなかった。


私は
この画像を見た時
この、二行が彼女の言い分の全てなんじゃないか
と思ったのですが。
何故誰も言わないんでしょう?
彼女は本気で今もそう思ってるんじゃないかと思います。

言うまでもなく、その思考回路は駄目駄目
離婚届を卒論と言い出したのは男性のほうだと思いますが
まだ出していない人と
ドコまでか知りませんが
密接な関係を築いてしまったことは

ダメ、絶対

既婚の男に
何をどう説明されたとしても
「私と付き合いたいなら、
とりあえず離婚届出してから来て?」
というべきなのは
独身女性の基本中の基本。


恋しちゃったら
待てないのよね

lineが白日の下に曝されちゃうなんて
思いもしなかっただろうし






モニタリングにも土曜の朝の番組にも
変わらず彼女が出続けたら
いなくならないことにとイライラした1000件の視聴者が、番組にクレームを入れたとか。
「家族みんなで見る番組ですよ
不倫した人が出るなんて、子供も見てるのに。」


え~?
本当に
そう?



絶大な人気芸能人が不倫スキャンダルでいなくなった異例の事態を
楽しみたいだけ
なんじゃない
のかな?

自分より気の毒な人がいるほうが
なぜか安定してしまう人の
格好の餌食になっただけ
なんじゃない
のかな?





芸能人の生き方と
私の人生
良くも悪くも
関係ない無い。




だから
ベッキー頑張れ~( ̄ー ̄)ノシ


ちょっと興味深かったけど
ワタシもう、
どうでも良いよ。




存在するのかしないのかわからない
「膨大な数の視聴者」の気が済むのも時間の問題
仕事も恋も
同時に失うなんて
大変だろうなあと思うけれど


今こそ私に
その正義と元気
鮮やかに証明して見せて


しくじり先生に出て
お話きかせて?(←嘘)( ̄ー ̄”)  ←鬼










今日はそんな話です





私も
ヒマやなあ・・







~( ̄ー ̄)ノシ






50代のSMAPファンを侮っていた~あの頃のワタシに思うファンのありかた( ̄▽ ̄”)

2016年01月14日 | 長い長いヨタ話

































私自身は
国民的とまで称される
このグループに対して特別な想いは無いのです
ハセガワさんはワタシより先輩ですし、大丈夫だとすっかり侮っていました・・
部外者が話すことではなかったと
反省しきり。



そして、ワタシは
リケジョ・ハセガワさんの狼狽振りを見て思い出した事がありました。

「解散」という言葉が
ワタシの世界の天地を揺るがしたのは今を遡ること30余年の1982年
オフコース
解散説

最初に飛びだした17歳の春でした。

結果、ギタリストの鈴木康博さんの脱退が有ったもののオフコースは存続し、
7年後の1989年までその活動は続くのですが
あくまでも私にとって、
オフコースの解散コンサートは1982年の「over」のツアーであり

「オフコースは1982年、
6月30日武道館で解散した」



今日改めて調べるまで、
私の記憶の中に刻まれてありました←( ̄▽ ̄:)・・・超 失 礼


確か、
東京ドームでの本当の解散コンサートが行われる頃には
ワタシは社会人になっていて
職場から新幹線に乗って東京へ行き、始発の新幹線に乗って大阪へすべり込み出勤するという
若さ溢れる強行軍で行ったはずなんですが・・。
ドームの音響の悪かったことしか覚えていないのです。


強烈な記憶は
高校二年生になる春休み
妹が行ってきた寺尾聡さんのコンサートパンフレットに
「オフコースの解散ツアーが始まった」
とサラッと記述されていたこと。

この寺尾さんのパンフの記述は誤り、ということになるだけれど
当時すでに水面下でささやかれていた、バンドの現状維持が本当に困難になっている事実が
親しい関係者からリークされたと言ってもいい出来事でした。


どういうことなんだろう!?
当時はネットもメールもLINEもありません。
日本津々浦々の人たちとつながって
私設ファンクラブのようなものは後に出来るのですが(笑)
無力な田舎の高校生のワタシは
このパンフの一行を何度も何度も読み返し
一人自分の部屋でモンモンとするしか無かったのです。


オフコースの片翼であった鈴木さんの脱退は
女性誌で
スポーツ紙で
「・・もうお前についていけない!関係者A氏が語るメンバー格差と骨肉の争い相関図」←( ̄▽ ̄”)文春調に作ってみました

そんな感じの
ホンマかいな的記事見出しが
通学電車の宙吊り広告に出ていたりして

自分のごまかし方も
制御方法も知らない10代に
全力で愛してきたものが
拠り所にしてきたものが壊れてゆく恐怖と不安

いつも一緒にいるつもり
誰より理解して、
誰より愛していたのに
いざとなると絶望的に異世界の人たち
自分が地方に住む無力な一般人であることを、この時ほど恨んだことがなく
七転八倒した記憶。


人生を高校生辺りからやり直せるなら、ちょこっと考えないでも無いけど
あの不毛な苦しみはゴメンだなぁ・・
と思ったりします。


そう、
本人たちの言葉が一切存在しない
まことしやかに語られる
中途半端な解散説ほど
ファンにとって苦しい事はない
のです。

ハセガワさんには
ほんとうに悪いことをしたと恐縮したのでした・・・( ̄▽ ̄::)ヾ

今夜も
少ない情報に翻弄されているであろう
ファンの皆様には心から同情します。



でも、
あれから30余年


もし、仮に我が子が
「解散報道で何も手に付かない~学校休む~会社休む~!」
などと
泣き言を言い出したら
私は説教してやりたい。


事情はよく解らないにしても
敬愛する人たちが
長い時間をかけて築き上げた名誉ある安全で安泰な世界を
勇気を持って
壊そうとしている。
新しい道を模索する不安と闘い
世界中からアレコレ言われてきっと苦しんでいる。

そんな時に
何故あなたが
自分のやるべきことを放棄しているの?

時間やお金をかけて
連日LIVEに日参したり
大量の不要なCDを買い集めたりしなくても

「あなたからいつも勇気を貰いました。
あなたのお陰で
私は今、自らに誇れる人生を生きられています

あなたがいてくれてよかった。
本当にありがとう。」

胸を張って言える自分でいることこそが
ファンの矜持ではないの?


こういうときこそ
あなたは自分を頑張んなさい。


そう。
タイムマシンがあったら
あの17歳のお馬鹿なワタシに言ってやりたい


まあ、
うちの子達に関しては
なんて言うか、三次元興味ない感じで・・
それはそれでアレなんですけれども・・( ̄▽ ̄:)




正式な決定が成り立つ前のスクープ
やめないで一色の報道の論調


28年もやってきたグループなら
一人ひとりの実力があれだけ成熟しているなら
解散だって一つの選択肢であってもいいではないか

部外者は思います。

それぞれの更なる飛躍、
もしくはターニングポイント

誰も捉えないなんて


本当?



もちろん
多彩で愉快で素敵なグループ
惜しまれるのは当然

そして
その一挙手で何億が動く人たちには
一筋縄ではゆかない
色いろもあるのでしょう



いずれにせよ
全力で愛してやまない対象に巡り会えたことこそは
幸せ





今日はそんな
長い長い与太話でした   ←~(((( ̄▽ ̄:)ヾ スミマセン













.

貧乏を気取る

2015年05月01日 | 長い長いヨタ話
               



              


最近
100円ローソンで、
108円で買える
食料品のラインナップが少なくなった
と感じるのは
私だけでしょうか?


価格据え置きの内容量減は
今に始まったことではありません※20139/9過去記事「新商品が出た時は」にリンク
今年の減り方と値上げは、
半端ない

と言うのが実感です。


人目につかないよう薄さで調整してきた板チョコが
バレンタインの頃に、縦横一センチほど縮小してのリニューアル
今回驚いたのはインスタントコーヒー・◯◯シムの瓶
100gから一挙に80gへ内容量を減らし、「あからさま」という言葉が似合う減り方をしました。
それに伴い、詰替え用袋入りは15g減らしての登場。


食用油担当のキャプテン(仮名)は
495mlのオリーブオイルの正規のプライスがとうとう1000円台になったと言っていました。


乳製品やコーヒー豆・大豆・飼料など
隣国の経済成長で
日本の商社が思うように買い付け出来ない

のが原因だと聞かされますが・・


困りましたね・・・( ̄ー ̄)


そうそう、私の居住区では
とうとう300円台では
200gのバターの入手が
出来なくなりました
(T_T)

ちょっと前までは、イオン系列の「まい◯すけっと」にゆけば時々入荷して
200g税込み328円で入手出来ていたのです。
ですが
いつか、ココでも
買えなくなる日が来る・・

と思い、制限もかかっていなかったので
見つけた時は一人で3っつ買っていた時もあったんですが

あればあったで使ってしまうし
無きゃ無いで我慢できる。
ただ、寂しいな
お芋につけて食べたいな(* ̄▽ ̄*)
と思うくらいだわ・・
そう思うようになったら
やたらに欲しいとも思わなくなりました。


ただ、
そんなふうに
買い物かごにほしいままに自由にものを入れられない自分のことは
貧乏だな
と思ってしまうのです


たぶん決して
そんなことはないのに ( ̄△ ̄)


消費税が来年の秋にいよいよ10%になるそうですが
そうなんだってねえ・・と話題になったとしても
デモを起こして
阻止したい

という意見は絶対に出ない。

その時が来たら来たで
何とか出来る気分はある



100g200円のバターを高くて諦めても
その2倍、3倍する
「ココナッツオイル」や「エゴマ油」は試せたりして
携帯電話があって
パソコンを起動する電気代も払える


貧乏とは
その手の内にまだまだ
切るべきカードが有る


本当になんにも無くなった時
それは貧困というのだ

という話を小耳に挟んで、
なるほどな・・
と思ったりします。



もちろん
いよいよ働ける時間のキリが見えてきて
昨今の異常気象に伴い、体力が削がれるような気にもなり
特段豊かな老後は望めないし
世間の波を乗りこなすほどの経済力も権力も体力もない
万が一
大震災で住宅ごと持って行かれた日には
立ち上がる術もない



そんな不安が裏地にある生活の中で思う
毎年の度重なる値上げや
増税
一つ一つは驚異的な数字でないけれど

地球があたたまるに伴って
私の湯船の湯を沸かし
くべられる薪も
着実に増えている



今は堪えられても

いつかゆだってしまうのではないかと

漠然とした思いを胸に

今日も貧乏を気取ります。


一昨日も
本体価格168円の商品が
レジを通ると180円を超えることに今更驚愕したりして( ̄ー ̄;)



さて
この春の値上げが
本格的にお財布に響くのは
お店によって違うとは思いますが
これからではないかと思われます

特にコーヒーの値上がりは間違いがないので
お気に入りの商品の価格が
まだ上がってなかったら
買い
かもしれませんよ??( ̄▽ ̄:)








今日はそんな話です
~( ̄ー ̄)~







.

お母さんの130の口癖と子供の130の傷

2015年04月25日 | 長い長いヨタ話


前回「20歳までに教育出来なかった諸々」とタイトルを付けた時
靴をそろえることは「教育」に入るかしら?
ちょっと大げさかしら?
と少し迷いました・・・( ̄▽ ̄)


でも、最近珍しく中古で買った本のタイトルも
「頭に来てもアホとは戦うな!-人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法-」
とか
「正しい恨みの晴らし方-科学で読み解くネガティブ感情-」
とか
「カネを積まれても使いたくない日本語」
とか
確かに趣旨はそうなんだけど、そこまで言わなくても・・
的なタイトルがバーンとついてましたので
そういうセンスも大事かもね・・・( ̄ー+ ̄)  と、ばかりに採用した次第。






翌日、前日靴を履き替えて出かけ、朝帰りしたらしい息子の靴が
同じ位置で増殖していました。



完全理系の彼には、統計や数値で納得させるのが一番効くので
この写真を見せ
彼の傾向と
対策の必要性

を論理的に理解させ、実感してもらおうかと思います
そういう意味では、大人になった方が話は早いかもしれません。
最悪自宅の玄関では後を顧みられなくても
社会の様々なシーンでそれができれば、私の願いは成就すると言っていい。


20歳までに教育出来なかったこともあれば
いつの間にかやってることもあります

※入浴後は浴槽のフタを閉め、換気扇を回す
冬場の湯船の湯の温度を下げない効果と
風呂の水蒸気が結露してウチを蝕むのだと何度説明しても実行されませんでしたが
彼の個室を
風呂場近くの部屋に設定したことで
たちまち解決。
今では、娘に口うるさく言っているのを聞いたりします。

※着たスーツを脱ぎっぱなしにしないでハンガーに掛ける
私は彼のYシャツ以外の制服の面倒を一切見ない時期がありました。
シワシワの上着を来て登校する息子を見て
「君、ネグレクトされてるのでは?」と担任の先生に言われてから
ハンガーにかけるようになりました・・・( ̄ー ̄;)ハハハ
高3になっても彼はゲームがやめられてなかったので、
高みを目指す進学校に相談しても話にならないだろうと
受験期の進路相談に
行かなかった

のも大きかったと思います・・
 


※外出時ハンカチとティッシュを忘れない
しまじろうに
手洗いの重要性を教えたもらえた
と本人は言いますが、バイキンのイメージがトラウマになった模様 
彼は中高を通し、男子校で唯一石鹸で手洗いをする生徒だったそうデス。
ティッシュは花粉症で手放せなくなりました。




教育や躾は
本人が一人で外に出て
本当に必要に迫られた時に
本格的に発芽するもの
ではないかと。
小耳に挟んでおくだけで、
実践に使う情報はたくさんありますものね?   ( ̄ー ̄)ニヤリ



さて、今日は
ココカラが本題!
  Σ( ̄▽ ̄)ナガッ   



そんな親の願いが完璧に裏返ってしまって?
恐ろしい呪怨となった
言葉たち

をまとめた方のデータを見つけました。

お母さんの130の口癖と子供の130の傷
※お母様とうまく行かなかった方
記憶の深淵の扉が開いちゃいそうな方は、ご遠慮ください




このデータの興味深いのは
幼児期がフィーチャリングされがちな親の言葉に関して
高校生~成人編
まで言及していることではないでしょうか?

そして
何が怖いかといって、
いくつ言ったことがあるだろう・・
と数えること
最初はなんか怖くて
まともには数えられませんでした・・( ̄Д ̄;)



また、
いくつ言われただろう・・と
数えてみたりして


結局どちらも
そんなには無かった(はず)ですが



子供を傷つけないことが正しい教育じゃないし
人として傷ついて
学ぶこともたくさんあるので



言ったことがあっても
言われたことがあっても


それが「口癖」じゃなければ
根底に愛があれば、
怒ったお母さんあるある



良くも悪くも
親の言葉には
力があるんですね・・








今日は
そんな話デス   ~( ̄ー ̄)~










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義母の食事のマナーが酷すぎて娘を同席させたくない新米ママへの手紙

2014年10月15日 | 長い長いヨタ話

もう、二年前くらいになりますが
ご主人の実家に帰った時、必ずファミレスに行くことになるという
若い女性からの相談に
文書で答えたことがあります。
お姑さんの食事のマナーがひどいので、子供(4)と同席したくない
というお悩みでした。

食べきれないとわかっているのに、好きなだけ頼んで平気で残す
食事中にくちゃくちゃ音をたてる
残した肉の皿に、別の皿を重ねる
テーブルも皿の上も、汚く散らかし放題で席を立とうとする

義父母の前で「こんなことしちゃ駄目よ」と注意も出来ない
でも、子供は何でも吸収してしまうので、
義父母との食事がイヤで仕方がない。
どう教育したらいいでしょうか?

ということでした。

私は直感的に、
この女性は確かに義両親のマナーを嫌悪してるのだろうけれど
おそらく、義両親の全てが嫌いなんだろうなあ。
と思いました

以下のように、答えました  ←これがまたまあ、長かった・・



<前略>

食べ物を粗末にしてはいけないこと
綺麗に食べ終えることても大事なことですよね。
食事のマナーにその人の人間性が現れると言われるくらいですから
お子さんへの影響を心配されるお気持ちは
とても良くわかります、


ただ、おっしゃるように
義父母様を反面教師にすることは出来ないことなので
ココは
発想を変えてはいかがでしょうか?


真偽の程は定かで無いのですが、
私は
あの、エリザベス女王が
指先を洗うためのフィンガーボウルの水を飲んでしまった客人に合わせて
ご自身も飲み干して見せた
というエピソードがとても好きです

固く守り続けている自分のポリシーと、
他人のそれが合わなかったとしても、
特別な食事の席では
楽しい時間を共に過ごす事を優先させることが大事だと思うのです。

「ご主人のご実家に遊びに行かれる時」限定のお悩みであれば
私は大丈夫だと思うんですよ?
お子さんへの影響を心配される感性をお持ちのお母様から日々教育を受けていれば
どちらが正しいか、
四歳の今は無理でも
きっとお子さんは自身で判断できるようになると思います。



色んな物を楽しみたいなら、頼むしかありませんし
年配の方はたくさん食べられないので。
食べられる量だけを出してくれるサービスがないなら、残すしかありません。
お肉の上にお皿は・・確かに目を伏せたくなりますが
これらはもう良し悪しのセンスの問題なので、
その違いを今から埋める手立てはない。
この家の一員として、
スルーする覚悟を決めてしまうのがいいと思いますよ。


ご心配されているお子さんにとっても
とてもいい機会を与えられている・・と、考えてしまいませんか?
お店を出るときに、お母さんが毎回テーブルを整えている所
お子さんは見ていると思います。
今は見ていなくても、近い将来きっと気が付きます。
悪いことも、良いことも、一見するお手本があると話が早い。


食事のマナーが悪い義父母さまを、
どうしても尊敬できないということでしたが
そこはもう、
想像力という愛のチカラ技で乗りきる!
小さい頃に食事のマナー教育を受けられなかった事情があったのだ・・
と理解しませんか?
それは、もしかしたら寂しい事情かもしれない。

うちの夫の実家も、食に関して、結構むとんちゃくな家です
◯◯さんのお気持ちは、実は、私も持ったことのある思いです。
主人がくちゃくちゃ音を立てて物を食べてしまう時は
私も子供も、もうげんなりですし、
特に長男は全力で夫を蔑みました。

でも、夫の実家は家業が忙しく、
物心ついた頃から「食事の教育」をしてくれる両親は食卓にいなかったそうです。
運動会も含め、お弁当を持って家族で出かけたりすることも
一度もなかったと聞いています。

お父さんは子供の頃、たくさん寂しい思いをしたけど頑張ってきたんだよ。
ご飯もいつも子どもたちだけで食べたから、
くちゃくちゃを直してくれる人はいなかったんだとお母さんは思う。
そういうところ考えてあげよう。

正しい事を守ることはとても大事だけど
守れない人を責めないで許すことも、正しいことかもしれないよ?
と言って聞かせた事があります。

食事のマナーと
他人へのおもいやり、
一緒に伝えてあげる機会にしてみてはいかがでしょうか?

<後略>




よくもまあ、こんなに長々と
わかったようなキレイなことをことを書いたなあ・・と
今では赤面モノです。

これが同居で毎日のお悩みであれば、
非常に悩ましく
私は沈黙を守ったと思うのですが
聞けば、
3ヶ月に一度のイベントだということだったので
やっちまいました


この考えに大きな変わりは無いような気がします。



この方は後に
短い感謝のお返事をくださいました。
心に届いたかどうかは、
測りかねましたが・・


>「特別な食事の席」では
>楽しい時間を共に過ごす事を優先させることが大事だと思うのです。



勿論、オレオを食べる時も
そうだと思います ( ̄▽ ̄::)ゞ










今日はそんな話です。









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ご冥福を祈ること

2014年10月07日 | 長い長いヨタ話

先週PTAの集まりで、
文化祭担当メンバーで撮った集合写真をもらいました。
この歳になると、集合写真なんてめったに撮らないけれど
ワタシ
真ん中のほうで、
小さいけれど、割といい笑顔で写ってました。
これからしばらくは、
写真をめったに撮らない私の近影になると思います。


で、
その時ふと思ったんです・・。


これからもし、
私がニュースになるような大惨事の犠牲者の一人となったりしたら
この写真が誰かの手によってマスコミに流されて
切り取られて
テレビに出されたりするんじゃないかしら?



ないない・・
そんなことする人いないし・・

でも、
一度そう思ってみていると
なんか、あるある・・
な感じの写真にしか見えなくなりました。




大きな惨事が起こった時、
番組の尺を埋めるために・・とでも言うのでしょうか
報道の焦点は、事故の本質から外れ
お約束のように犠牲となったの方のバックグラウンドに向けられますよね。

何が趣味だった、何が好きだった
どういう人だった
こんなことをしていた・・

おそらくは、突然の訃報を聞いて、突然マスコミに取材された動揺の内に
聞かれるままに答えてしまった・・
かもしれない親族・ご近所・友人の方のお話
安否がわかるためならなんだって協力したいと願った、ご家族の話
それがとにかく各局で
何度も何度も、報道されてしまう。
その取材対象が少なければ少ないほど
親切に答えてしまった方たちの姿や言葉が、何度もテレビに映る。

そのうち
私達はその方々のことを知らず知らず覚えてしまったりして
テレビを見ていた夫は言ってました
「ああ、あの子はやっぱり亡くなってたんやな・・・まだ小さいのに、かわいそうやな・・・」
会ったことも話したこともないのに
まるで知ってる人みたいに・・。

・・・それがご家族の意向なら、
もちろんそれば構わないですよ。
そうだったら、そのお話をじっくり聞いて、一緒に惜しみたい。


でも、
全てがそうなんでしょうか?



その場にいた人の安否情報
今後のために共有しておくべき事実
生還された方たちの貴重な証言、その知恵や生死を分けた機転は十分聞くに値すると思うけれど
犠牲となった方たちのプロフィールを紹介し
まるでみんなで惜しむ機会を提供している・・かのように見える報道に
いったいどれほどの必要性があるのかと、いつも思います。

テレビに映る写真に「フェイスブックより」と注釈があるもの
周囲を白く濁し、すみっこに写り込んだご本人だけが映えるように加工した行事の動画
それぞれが、
本当にちゃんと
一番近しいご家族の許可を得た上で、公開されているものなのでしょううか・・
通信社やフェイスブックだと記載されても
圧倒的に多い
明記のない映像資料はどこから出てくるのでしょうか?

好奇心で
見てしまうことには見てしまう私ですが

本当は嫌なんです。


本当に誠意のある手順を踏んで、心をこめて惜しまれているのか
職務である取材行為によって、ひたすら収集された事例が列挙されているだけなのか
わからない

さらには
ひとたびマスコミに情報が渡ってしまうと
それがどんなに過去の話になろうと、万人によって手軽にアクセスされ。
やっと忘れ去られた情報も、
そのことを知らなかった人達にすら、簡単に入手されてしまうから
そして
そういったことがいつ、自分のことになるかは
わからないから







「ご冥福をお祈りいたします。」

番組の予定時間をiひとしきりコメントした後の、ワイドショー的番組の話題転換
死者の死後の幸せを祈っている・・そんなニュアンスで、使っていた言葉
ですが
「死者が冥界をさまよっている前提」とも取れるこの言葉は
今は報道では使わないんだそうですね。

いずれにせよ
どんなに死者の死後の幸福を祈っても
縁もゆかりも見たこともない大多数の他人が、嘘のない気持ちで哀悼の意を表しても
遺族の心の安寧を願ったとしても

大事な人が突然いなくなってしまった。
もう二度と会えない。
その事実が残された人々に
ただ残る

ひとしきりの好奇が満たされたら
すぐに忘れる外野とは違う

だから、なによりもその気持を
うんと大事にしてほしい。



そういう話です。



だから
私の全てを
私の愛する者を
許可無く誰かに売ったりしたら、一生許さないんだから!

もちろん、第三者による売買や提供の事実があるのかどうか知りませんし
そういう時は私、
死んでるのかもしれないですが。




会ったことも話したこともなくたって
死んだ人に、幸福や不幸があるのなら
幸福を願いたい

遺された方に
全て癒やされる日が来ることは、もうないのかもしれないけれど
いつか
なんとか
楽になれるものなら
そうであるように願いたい




そんなことを考えます。




(・・・・・・テレビの見過ぎ・・?  ( ̄▽ ̄A::)





今日はそんな話です。
















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