人が作ったものが観たいか、自然が観たいか、
と聞かれて
常に自然に飢えている私は、咄嗟に「自然が観たい」と答えてから、「やっぱり、人が作ったものが観たい」とお願いしました
加賀藩と言えば前田家のセンスと才覚によるところが大きいわけだし
金沢の歴史の人知に触れる方が面白そうです
萩さんは最初、砺波平野の
「散居村(さんきょそん)が見下ろせる展望台を考えてくれたのですが
16時過ぎには金沢駅で、別行動の夫と大学の授業を終えて東京からやってくる娘と合流する事になっていたため
ここはパンフレットを貰うだけにして
「金沢港の方へ行きましょう」と
銭屋五兵衛記念館に連れて行ってくれました
銭屋五兵衛という人を、私は知りませんでした
江戸時代後期、加賀で成功した海運業の豪商として知られた人で、その記念館には4/1スケールの船が置いてありました。
船の上に乗って重低音の振動の演出を体感できる、凝った作りになっています
一度放り出されたら
絶対に生きては帰れないのは
当時の海と今の宇宙、きっと同じくらい
こんな一枚の帆掛け船で遠洋に出るなんて、気概と勇気のある事だと思いました
父親が経営していた質屋の質流れの船を手に入れた事を機に、39歳から海運業に乗り出し全国に34の支店を展開し大成功した五兵衛さんは早すぎた天才
記念館で上映される短いアニメーションによると
海外船との交易は重罪とされていた鎖国時代、「異国との交易はきっとお互いのためになる」という信念のもと密貿易を続け
藩の暗黙の了解の元、銭屋と呼ばれるまでの加賀一番のお金持ちとなって、私財を投じて河北潟の干拓・開発工事に乗り出します
しかしその壮大な大工事は難航し、後ろ盾の逝去・埋め立ての土に毒を流したという無実の嫌疑をかけられ獄中死
銭屋関係者獄死6名・はりつけ2名・永牢2名、財産没収・家名断絶という末路を余儀なくされた無念の人
それはペリーがやってきて、国が鎖国を解くことになる二年前の事
銭屋五兵衛の死後中断されたこの干拓事業は1963年に国営事業として再開
1985年に1100haの農地として完成したそう
五兵衛の高い志に
当時の周囲の理解は追い付かなかった
「お互いのため」今で言うところの「Win-Win」の発想からの大成功、出た杭が完膚なきまでに打たれたその様には
私の印象だけの話として、
誤解を恐れつつ言えば江戸時代のホリエモン?そんな気がしました
もっとも当時のホリエモンには
「世人の信を受くべし」が完全に欠けていたと思われますが・・ ( ̄一 ̄:)ゞ
「こんな立派な人がいたなんて、知りませんでした・・」
銭屋五兵衛の家と蔵が保存された「銭五の館」では、
五兵衛の獄死後も、周囲に蔑まれながら病を押して、祖父の無罪を訴え続けた孫娘の逸話などが展示され、より身近にその存在を感じられます
壮大な夢に知恵と勇気で挑み
その正当な評価を得られないまま
嫉妬と謀略と時代の濁流に飲まれ、志半ば、愛する者を茨の道に巻き込んで
消えゆくしかなかったその不運を思うと
私はすっかり哀しくなってしまいました
「私はこの人が今の金沢を作ったんだと思うんですよ」
と、萩さんは言いました
その言葉には
萩さんらしい深い郷土愛と向学心を感じました
私は自分の地元を誰が作ったか
知らないので( ̄▽ ̄)
金沢港近くの「からくり記念館」では
銭屋五兵衛が影響を受けたと言われる大野弁吉の
繊細で理知的なからくりの技術の展示をみて、さらに金沢の懐の深さを感じるのでした
こんな凄いのに、ひそやかに歴史に埋もれる金沢の賢人
低い雲が空を覆う金沢の曇天
「あれはガスタンクですか?」
「そうですよ。」
私はあんな静かなガスタンクを初めて見ました
私の知っている、大阪環状線から見えるガスタンクも、
多摩川河口の東京湾のガスタンクも、行き交う船や飛行機や渦巻く高速道路や鉄道の中にあります
常にざわめきうごめく物の中に囲まれて稼働しているのがガスタンクなのに
ただ貯蔵して、使われるのを待つ
あれが本当のガスタンクの姿なんだ・・
太平洋高気圧の下で育った私は、
すっかり日本海の静けさに飲まれているのを感じていました
どうしてこんなに何もかもが静かでひそやかなのか
静かすぎて泣けてくるような
淋しいでも怖いでもない
たた、そこにある、静かなものに対する畏敬と反省
我が国の神髄は
まるで報道キー局のある大都市のみで構成されていて
地方は付随する観光地であるかのような
確かにそんな錯覚をもって生きてきたことを恥じ入るような
ワサワサした顕在意識の下の真我を見たような、
不思議な体験でした
私が海を見る度にテンションを上げるのを見て
萩さんは最後に、「のと里山海道」を走ってくれました
北陸新幹線開通を見据え、「能登有料道路」を無料開放した能登半島の大動脈のような幹線道路は「のと里山海道」と命名されたけれど
「のと」のひらがな「里山」の漢字、「海道」という見慣れない言葉の合体がなかなかに覚えづらく
地元の人は「能登無料道路」と呼んでいるのだと教えてもらいつつ
お上と庶民のセンスの乖離について
奈良の強烈マスコットのせんとくんや、金沢のひゃくまんさんを例に語り合いました
私は翌日もう一度この道を走るまで、
この道の事を「のとやま里山海道」と覚えていました( ̄▽ ̄)
空の色と海の色が鈍色に溶けあうような、静かな海道は
とても空いていて快適なドライブで
余計なものが何にもない凪の海は
七月に見た北海道の湖のようでもありました
曇る金沢の空はとても低い気がしました
雲が低いですねと言うと
「いつも見てるからわかりませんねえ」と萩さんは言いました
手を伸ばしたら届きそうなフワフワの
優しい雲だなあと思うのでした
~( ̄▽ ̄)ノシ