初めにお詫びをします
前回の記事で 筋トレ貯「筋」 を提唱した私ですが。
すみません、よく考えたら
筋肉は
貯められないのです。
ピアニストが練習を止めるとその技術が退化するように
筋トレもやめると、
筋肉は容赦なく無いことになってしまうのででした。
「貯筋」は不可能なのに、なにもしないと確実に筋肉は減ってゆく。
今日は
それが本当にものすごく怖いこと。という話を一席
おじいさんお婆さんは、
たいてい骨ばって痩せていて腰が曲がってて
たいてい誰もがヒザや腰や肩、どこかしら痛くて、長い距離は歩けない。
肩が上がらない、物がつかめない、
痛みで出来ないことが増える
そういうのが
なんとなく、当たり前で、
それはもはや「加齢に伴う受け止めるべき現実」だと思っていませんか。
私はなんとなくそう思っていました。
そんな風に
「もう歳だから・・」を合言葉に
なし崩しに諦めながらその道を歩んでしまって行き着いた最果てが
どこなのか。
義母に先導されるように行き着いた、老人ホームの食堂で目の当たりにすることになるのです。
老人ホームでは、ほぼ全員の方が「車椅子」です。
午前中に折り紙を折ったり、お習字をしたり、手遊びをしたり、お風呂に入ったりのイベントが有りますが
午後の夕食までの時間がものすごく長い・・
寝たきりでない方は食堂に集められ、そこではテレビがついています。
でも、本当にテレビに見入って、番組を楽しんでいる人は殆どいない気がします。
意志も記憶も有る元気な方は、タオルやふきんをたたむお手伝いをされていますが、
大多数の皆さんは、どこか虚空を眺めてただ静かに座っておられる。
テーブルを囲んではいるけれど、
そこに相互の会話は無く
眠っているのか、
起きているのか。
私には
その姿が車椅子に植わった優しい植物のようにも見えたり
水槽の中の、浮きもしなければ沈みもしない、たゆたう金魚のように見えたりします。
私は
その水槽の中から、
自分のヒザのあたりを見つめている義母を探しだし
部屋に連れて帰って、声をかけ呼び覚まし
1時間人間らしく喋ってもらうのです。
義母のように認知症になってしまって、もう記憶が積み重ならない人は
まだ良いのかもしれない。
以前お世話になっていた老人ホームの食堂、義母の席のお向かいだったSさんは
96歳と93歳のご夫妻で
「お母様に安心な場所を見つけられましたね、ここなら息子と離れていても私達も本当に安心なんですよ。」
「この人(義母)はオコリンボじゃが、良う食べる。安心したらいい。」
と気さくに言ってくださっていたのですが
後日私が行った時
義母の手をとって、諭しておられました。
「貴女、ココに入った以上はね、ただただ辛抱よ。
死ぬまでの辛抱、
私たちは自分で出ていけないのですもの。
私はもう7年いるのよ。
今でも、西日暮里に素敵な生地や糸を好きなだけ買いに行けた日を夢に見るけれど
そんな日は戻ってこないわ。
本当はもう飽き飽き
だけれど
覚悟を決めて、小さなことを楽しんで。
死ぬまでの辛抱よ。」
Sさんはとても93には見えない、おしゃれで品のある素敵な奥様でした
ただ、自分では歩けなかった。
何度もヒザの手術を重ねて、痛い思いをして努力をしたけれど
歩けるようにはならなかった。
医学の尽力で
内蔵の生命維持は随分保証されるようになったけれど
それを支える肉体はその強さについていっていないのだと気が付きました。
私たちは動けなくなっても、内臓が生きている限り
死ぬに死ねなくて
自由意志の活動を可能にする肉体の維持は
自己責任なのですね。
20年先
30年先を見据えて
あちこちポツポツとシミのように錆びてきた筋肉を
今一度意識して油をさし、使えるようにしておく。
無くならないように
コツコツ積み立てる。
いわゆる
「健康寿命を伸ばす」
40になる誕生日
私はこんなことを言っていましたが
50を過ぎた今、痩せるとか、クビレとか、そんなことはもうどうでも良くなりました
こいむぎ議員になった暁には
「
中高年筋トレ義務化法案」を通したい。
まずは
歩ける足から
今日はそんな話。 ~( ̄ー ̄)ノシ
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