例えば
もう三十年会ってない友人に宛てる年賀状なんか書く時
今どうしているか
もはやサッパリ判らないので
「お元気ですか」
「また会いたいです」
などやり取りしてみても
白々しくて気が引けるまでになってしまって
お年賀は出したいけれど添え書きをどうしようと
考えることが多くなっていた頃
1人の友人が
「元気でいてね。」
と書いてくれていて
グッと来たことがあります
(” ̄ー ̄)q
本当にそう
私も、それ!🤗←
復路のぞみなう
元会社の同僚との2時間半は
予想通りのあっという間
どんなにお久しぶりでも
若い頃に知り合った友人との関係性は
若さゆえの無防備な自己開示を礎にしているせいか
カップ麺のように戻りが速く
つくづく貴重だなあと思います
旧友は私のケーキ2個喰いにも
動じなかった!🤣
仕事のこと、子供達、親たちのこと
交代交代に報告し合う中で
彼女は切り出しました
「旦那がね、家に帰ってこないのよ」
「え?
・・いつから?
てか、何処から😱」
「もう、三年?
実家から😔」
Σ( ̄□ ̄)!!
3年!
実家?!
「私、絶対にコロナには罹るわけにいかなかったの」
かの緊急事態宣言下
高齢者医療施設の事務方責任者として
彼女は絶対にコロナ罹患したくなかった
そんな中、お義父様が心不全で急逝
彼女は葬儀の手配こそ尽力したものの
コロナ感染を警戒し、葬儀参列をしなかった事で
お姑さんとの関係が極悪化
長男の顔に泥を塗られた格好の旦那さんは
葬儀の後
実家から帰って来なくなった
「でも、あの頃
コロナに罹ったら
「コロナ第一号」になってしまったら
特に私のような業種は
私はもちろん
職場も袋叩きに遭って
大変な事になるのが目に見えてた
私のせいで亡くなる人が出たら?
その先は
生きていけないじゃない」
確かにそういう期間が日本にあって
小さなコミュニティの中の
コロナ第一号となった人が
自死を選ぶケースすらあって
旧友コマリから聞いた
ご近所さんの話
我が国のコロナ感染者第一号になった
バスの運転手さんの顛末を思い出しました
「鬼嫁だと思ったよ
思ったけれど
絶対にそんなことには
なりたくなかった
旦那には何度も話し合いを持ちかけて
言葉を尽くして私の立場と気持ちを説明したけど
解ったとは言ってくれなかった」
「今後、離婚もあるのかな
と思ってるところ」
「お義母様は
おいくつなの?」
「90かな、今年」
「・・」
私は言いました
「・・キッカケはその怒りだったとしても
今の旦那さんがしてることは
超高齢のお母さんを1人にしない暮らし
なんじゃない?」
私は義父に急逝されてしまった義母を
遠い大阪の実家で独りにさせて
あれよあれよという間に
認知症にしてしまった顛末を明かしました
「伴侶を失った老親を
孤独にさせないって本当に
本当に大事だと思う」
これは夫婦別居の話ではなくて
お義母様のための
特別な家族のシフトなんじゃない?
嫁と暮らすより
息子と二人で暮らせた方が
お義母さまだって楽しいに決まってる
逆に
母をここへ引き取りたい
今日から同居してくれ
って言われたら?
ここまで言うと彼女は
ねぇ?
と悪い顔をして見せました
控えめで自虐的
他人の視線を警戒する彼女らしい現状報告
離婚もあるかなという気持ちにも
嘘はないのだろうけど
😓
私はね
姑を1人にして認知症にした挙げ句
大阪から横流しするように施設に送ったのよ
そこから亡くなるまでの8年は姑にとって面白くも楽しくもない
年月だったと思う
ここまで言うと私は
今まで
誰にも言わなかった話をしました
姑のお葬式の日は
姑が舅の葬儀の際にくれた
数珠をつけて行ったの
出棺の段になって
それまで祭壇に飾られていたお花を
参列者が献花にするじゃない?
棺の中で
どんどん白い花々に埋もれていく義母に
私も花を捧げたんだけど
気がつくと
さっきまで絶対に手首にあったはずの
その数珠が無いの
どうしよう
花と一緒に棺の中に落ちちゃったんだ
と思って白い花の中を慌てて探すのだけど
探っても探っても
大量の真っ白な花が邪魔をして見つからなくて
思わず義母の顔を見たら
「返せ」
って声が聞こえて
びっくりして手を引っ込めちゃった
あれは
本当に怖かった
そこまで言うと
じんわり目頭が熱くなって
情けない別れだった自己憐憫が溢れてきて
ああ私
義母が亡くなって初めて
ここで泣くの?!
駅のカフェの片隅で?
と身構えました
けどそれは
決して別れの悲しみではなかったし
私のドライアイを潤した程度にとどまり
彼女は真っすぐ私を眺めながら
昔からお人形のようにスタイルのいい身体の天辺
小さくて形の良い頭をかしげて
「それは
数珠が還りたがったのよ」
と微笑いました
「数珠が・・」
昼過ぎからJRが混乱して当てにならず
阪急で京都に戻るには
どうしてもこれ以上話している訳にはいかない
という時刻を迎えていました
仕方なく
いかに楽しく
いかに短い時間だったか
口々に惜しみ合いながら
私達は別れました
別れ際
彼女が持たせてくれた包みをホテルの部屋で開けてみると
りんごの香りの
紅茶の小箱が出てきました
いやあ、
ホント
それ!😆←新横浜で買ったお菓子渡したくせに
今日は
そんな話
もうすぐ新横浜
〜( ̄ー ̄)ノシ
🚅🚅🚅
麦はそういう感性強いと思うから、声が聞こえたのってそうなんだろうなぁ。。。とは思うんだけど。数珠返してもらって気が済んで旅立っていけたのかな?
私たちのお年頃って、いろいろあるよねぇ。
その色々、これが正解!!っていう答えが無いから難しいのよね。
っていうの、いいね!
私も使おう!!
私との会合中もさっさと飲食を済ませて
すぐにマスクをつけてたよ
今のほうが怖いっていうのもあるんだろうね
本当におばあちゃんの声なら
「返せ」じゃなくて
「返してんか」とかそういう感じのはずなんだけどねえ
「返せ」だったねえ
鬼籍に入るとそうなるのか
私の後ろめたさの亡霊かもね
元気でいてね
いいよねー
でも
自分や家族の闘病中だと
どうなるのかな
とか思ったりもするよ?
元気や幸せだけが正義ではない
年代でもあるよねえ
( ̄ー ̄)
でも私は凄く嬉しかったな🤗