この辺りの田んぼは6月10日前後の田植えだったので、中干しも終わり、間断かん水をしているところが大部分だ。 苗は青く旺盛な育ちとなり、水の在る無しは遠くからは確かめられない程となっている。 この中の、一つの田んぼに、毎日通ってくる年寄りがいる、それも1日中(少なくとも午前2,3時間、午後も3,4時間)と言っていいぐらい畦に居るのだ。 こはぜの地下足袋、作業ズボン、半袖シャツに手甲をして麦わら帽子のいでたちで、2反歩の田のまわりを見回っている。
隣りに畑の在る同級生(女性)が言う。 こんな暑い日に、あんなに長く畦にいて良くもマァ熱中症で倒れないもんだ! あんなに長く畦まわりにいて草刈するでもなく水管理するでもなく行ったり来たりしているんだよ! と、そして言うには、先だって水を流し出してしまった所を、折りしも嫁が犬の散歩中にこれを見て「爺さん、こんな事をして!私が父ちゃんに怒られるんだからね!」とこっぴどく叱られていたという。 また、雨が降ってもビッショリになって畦にいつまでも立っていて帰らないでいたり、雷が激しくなったので家に帰ったと思ったら合羽を着て戻ってきて畦に立ってるんだよ、心配するよネェ。
隣り村の人だから付き合いはないが、昔から知っているので、昨年の雷のときなどは家に送っていった事があるという。 そんなことで、たまに「うちの田んぼに誰かが無断で入れ水したらしい?」「ロータリーで田んぼをかき混ぜたものがいるらしい?」誰だか見たか?と話しかけてくるという。・・・・・・・呆けているらしい!・・・・・聞けば連れ合いは死んだそうで(昔はテーラーの後ろへ乗せてきて仲良く作業をしていたのだそうだ)、今はトラックもトラクターも使わせてもらえず、畑は嫁が使っているらしい。 そんな状況だから、田んぼの見回りが日課?生き甲斐?なのかなどと考えさせられる。
昔の米作りは農業そのものだった。 だから俺達の親の年代は強い思い入れがあって当然だ。
呆けても爺さんにとっては、米作りには相当の執着心があるのだろう。 はたから見れば、・・・・・・何してるんだ爺さんは(家にいれば良いだろう)・・・・・・・・・ しかし頭の中は米作りの経験、思いいれ、思い出等が一杯で、じっとしていられないのだろう。 朝早くから、夕方まで暑い日も雨の日も見回っている、このことが本人にとっては幸せなんだろうな。 来年も再来年も腰に手拭い下げた爺さんの見回り姿が消えないでほしいと思います。