超スローライフな日々

丑のように、ゆっくりとマイペースでいきたかった2009年も過ぎ寅年ーそれから15年の歳月が経ちました。

満月をみながら野点を…楽しめたかな?

2009-10-04 | 
  一年の秋の今宵の月なれば

    雲間ながらに今ここに見む



3日は、「中秋の名月」でした。

「十五夜」を雲間なく見ることのできる確立は十年に一度といわれます。


翌日の「満月」は雲間なく月見を楽しむことができました。






チョット焦ったかな?



こんなにゆっくり月見をしたのは初めてかも。


次は「十三夜」が楽しみ。

十三夜

2007-10-23 | 
 きょうは十三夜。

 仕事帰りに、空を仰ぐと綺麗な月が煌々と輝いていました。てっきり満月だと思っていたところ、左側がおおきくかけていました。

 だが、そんなことはどうでもよく「十三夜に曇りなし」といわれるように、あまりに夜空に映える月の美しさに、つい足を止め、暫くうっとりと眺め、久し振りにロマンチックな気分に浸ることができました。

 十三夜といえば、二十五歳という若さで亡くなった明治時代の女性作家樋口一葉を思い出す方も多いのではないでしょうか?

 彼女の短編「十三夜」では、鬼のような夫のわがままに耐えかねて、離縁を決意して実家に戻ってくる娘に、父親は「かわいい子供のことを思えはどんなつらいことも辛抱できよう、今までの辛抱ができたならばこれから後もできぬはずはあるまい。おまえが口に出さなくてもお前の苦労は親も察するし弟も察する、涙は各自に分けて泣こう。」と懇々と諭す。

 娘は泣きながら「離縁をと言ったのもわがままでございました。私さえ死んだ気になれば、四方波風立たず、あの子も両親の手で育てられます。」と応える。

 十三夜の月が照らす座敷での場面である。十三夜の月は満月ほど明るく華やかな趣はないが夕方から夜半過ぎまでの闇を照らすその明るさは、離縁をめぐる親子のやりとりやその帰り道、身を持ち崩して車夫になった初恋の同級生との偶然の再会を照らすにはちょうどよい明るさであった。

十三夜

2006-11-03 | 
 日本では、古くから秋の名月を鑑賞する「お月見」の風習があります。
最近では、よほど田舎にいかないとやらないと思いますが…。

 お月見というと旧暦八月十五日の十五夜がもっとも有名ですが、日本では古来もうひとつ旧暦九月十三日の十三夜もまた美しい月であると重んじていました。

 中秋の名月(十五夜)はもともと中国で行われていた行事が日本に伝来したものですが、この十三夜の月見は日本独特の風習だそうで、一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代(延喜十九年:西暦919年)に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われています。

 一般に十五夜に月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものともされていました。これは十五夜だけでは、「片月見」といって忌まれていたからです。

 十五夜はサトイモなどを供えることが多いため「芋名月」と呼ばれていますが、十三夜は「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれています。

 これはお供えとして栗や豆を、神棚などに供えるからだそうです。

 中秋の名月の後なので、「後の月」と言われたり、「小麦の名月」と呼ぶ地方もあります。

 これは旧暦九月十三日の晩のお天気で、翌年の小麦の豊作、凶作を占う習慣から来ています。

 十五夜はあまりすっきりしない夜空であることが多いのに対し、十三夜の夜は晴れることが多いようで、「十三夜に曇り無し」という言葉もあります。

 24年という短い生涯に21の短編を残しただけでありながら、明治時代を代表するとともに日本文学史上にその名をとどめる樋口一葉の代表作、「十三夜」は読まれましたでしょうか?

 読まれていない方に、ほんの触りを紹介しましょう。

 お関は高級官吏と結婚したが、夫の精神的虐待に耐えかねて十三夜の夜、実家に戻り父親に離縁を願い出る。
 しかし、父親にさとされ、離婚の決意を翻す。夫の元に戻るために乗った人力車の車夫は、偶然にも幼なじみでひそかに思いを寄せ合っていた録之助であった。
 録之助は放蕩で身を持ち崩し車夫に身を落としていた。お互いの宿命のはかなさに驚きながら二人は別れてゆくのであった。

 十三夜の月の光が、人間の繰り広げる喜怒哀楽を照らし出す道具として巧みに使われています。

 きょうは、皆さんもこの名月を観賞してロマンチックな夜を過ごしてみませんか?

 ちなみに、来年の「十三夜」は10月23日(火)にあたるそうです。