恩師である永沢まことさんが亡くなられました。
亡くなった翌日にスケッチ仲間から連絡を受けた後は
信じられない気持ちと、永沢さんがもうこの世にいない喪失感と、
体調が悪いことを聞いていたのに連絡していなかった後悔の中、
永沢さんを想いながら色塗りをしていました。
1年ちょっと前にお電話でお話した時は
「コロナで電車が空いているから毎日電車で人物を描いていますよ」
「日本にいる間に日本でしか描けない絵を沢山描いてください」と
おっしゃっていました。
永沢さんらしい笑顔の産経新聞の訃報の記事です。
18年前の2003年12月、ハノイへのスケッチツアーでお会いしたのが最初の出会いで、
それからは「絵は描けましたか?」
「描けたらハガキにして送ってください」
「早く日本で個展をしましょう」と
のんびりペースな私の尻を叩くようにお手紙をくださり、
時にはペンや絵の具をベトナムまで送ってくれました。
永沢さんがいなければ、多分絵は描いていませんでしたし、
永沢さんの影響を受けて絵を描いているスケッチ仲間と
知り合うこともありませんでした。
永沢さんから学んだこと、教えて頂いたことを忘れずに
これからも絵を描き続けていきたいと思います。
永沢さんのおかげで今、絵を描く人生を送っています。
感謝の気持ちでいっぱいです、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
亡くなった翌日にスケッチ仲間から連絡を受けた後は
信じられない気持ちと、永沢さんがもうこの世にいない喪失感と、
体調が悪いことを聞いていたのに連絡していなかった後悔の中、
永沢さんを想いながら色塗りをしていました。
1年ちょっと前にお電話でお話した時は
「コロナで電車が空いているから毎日電車で人物を描いていますよ」
「日本にいる間に日本でしか描けない絵を沢山描いてください」と
おっしゃっていました。
永沢さんらしい笑顔の産経新聞の訃報の記事です。
18年前の2003年12月、ハノイへのスケッチツアーでお会いしたのが最初の出会いで、
それからは「絵は描けましたか?」
「描けたらハガキにして送ってください」
「早く日本で個展をしましょう」と
のんびりペースな私の尻を叩くようにお手紙をくださり、
時にはペンや絵の具をベトナムまで送ってくれました。
永沢さんがいなければ、多分絵は描いていませんでしたし、
永沢さんの影響を受けて絵を描いているスケッチ仲間と
知り合うこともありませんでした。
永沢さんから学んだこと、教えて頂いたことを忘れずに
これからも絵を描き続けていきたいと思います。
永沢さんのおかげで今、絵を描く人生を送っています。
感謝の気持ちでいっぱいです、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。