ならおうは穏やかに語る

Fly Fishingを中心に難しい話からヨタ話まで支離滅裂な雑文。
(09/08/23カウンターを付けました。)

懐かしい思ひ出2

2005-11-20 22:23:59 | Weblog
さて、先の思ひ出1ではコンサート収支となり、上級生の顔色状態でした。

そんな中でも本番のお祭りが段々迫ってきます。

集客の意味を兼ねて学園祭ではコンサートを開きます。しかし予算は基本的に「参加協力金」という名目のチケット代で賄います。もしここで収支になると本来の活動に影響が出ます。
・参加団体へ支給するべき角材やベニアなどの資材。
・各種客引き簡易企画。・・・。

で、コンサートのアーチスト選定は非常に難しいモノになります。
・基本的に予算はない。
・集客能力が高すぎると会場に入りきらない。
そして、OBから「満員に入れなプールじゃ」というお達しもあります。
赤が出たらコンサート担当(アーチスト決定者)は晩秋の京都で学内のプールに飛び込んで詫びるわけです

当時のアーチストはレベッカ、中村あゆみ、爆風スランプ、バービーボーイズ・・・。しかし先に日程を他大学に組まれたり、契約前にヒットが出て契約金が跳ね上がったり、全国ツアー日程になったり・・・。

有望なアーチストとの契約が出来ず(ヒットする前に契約する目が必要)、コンサート担当(今はネットショップで設けている男)は途方に暮れながらもライブハウス巡り〔遊んでたわけだ)していました。

そして彼が見つけたのが「米米クラブ」です。
私たちも梅田のライブハウスにそのショー(オン・ザ・ロックをちょうだい。)を見に行って面白さに引き込まれました。

ここから伝説が始まります。

コンサートの契約締結。1985年9月末チケット販売開始。だけど誰も知らない。
10月のある深夜、ミュージックビデオで初期の作品のShake Hip!、かっちょいい!、I・CAN・BEが次々と発表されました。

学内設置の呼び出しの出来る公衆電話が常に話し中となりました。
このポスターを見た女子中高生が一気に電話してきたのです。そしてSold out。

ちなみに米米クラブは一台の車にフル満載でおいでになりました。
・石井達也さんは京都の底冷えに参っていた。
・ジェームス小野田は普通のおじさんだった。
・博多めぐみは男だった。〔シェーバーを買いにコンビニに走った)
・シュークリームスは色っぽかった。

コンサート前夜、我々が学内を巡視していると数人の女子中高生がたむろしていました。
強烈な底冷えのする洛北の夜中に整理券を取るために徹夜しようというのです。
All nightで営業している美術部の喫茶店を紹介し、整理券を渡してあげました。
〔死人が出てもおかしくない寒さですから・・・)

翌朝、整理券を入手しようと並ぶ人の群れに圧倒されました。

コンサートは大盛況で収支で上級生の顔色は元に戻りました。









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