ええと、前回の【42】と今回の【43】は、元はひとつの章だったんですけど、入りきらなかった結果、ふたつに分けることになり――そんなわけで、今回は前文に使えるスペースが結構あります
何分、ここ以降どこも大体ひとつの章が長くて、前文にあんまり文章使えない気がしたもので(@_@;)……ちょっと本編とあんまし関係ないものの、自分的に気になってることのために今回は使いたいと思いましたm(_ _)m
>>マシュウはおずおずと包み紙から服をとりだし、マリラのほうをこわごわ見やりながらさしだした。マリラはけいべつしたような顔つきでお茶をつぎながらも、横目でなりゆきを見まもった。
アンは感激のあまり言葉も出ないようすで新調の服をながめていた。ああ!なんと美しいのだろう──つやつやとした、すばらしい茶色のグロリア絹地!優美なひだやふちどめのあるスカート、最新流行の型で、胸にはピンタックがしてあり、首にはうすいレースのかざりがついている。それよりも袖、すばらしいのはスリーブだった。長い肘のカフスの上には、茶色の絹のリボンを蝶結びにしたので仕切ってある、二つの大きなふくらみがついていた。
「これがお前へのクリスマスの贈物だよ、アン」とマシュウは、はにかみながら言った。「どうしたんだ、どうしたんだ、アン?気にいらないのかな?いったい、どうしたっていうんだ?」
突然に、アンの目に涙があふれてきたので、マシュウはあわてた。
「気にいらないなんてことがあってたまるもんですか」アンは服を椅子の上に置くと、手を握り合わせ「マシュウ小父さん!こんなすばらしいのってないわ。ああ、どんなにお礼を言っても、言いたりないわ。まあ、この袖を見てごらんなさい。あんまりうれしくて夢の中にいるようだわ」
「さあさあ、食事にしなくちゃ」とマリラがさえぎった。「アン、あんたにこんな服が入用だとは思わないけれどね。けれどマシュウがあんたにこしらえてくれたんだから、大事にしなくてはいけないよ。リンドの小母さんがあんたにって髪リボンを置いてってくださったよ。この服にあうような茶色なんだよ。さあ、おすわり」
「あたし、何ものどを通らないわ」アンは有頂天になって言った。「こんなにわくわくしているときには食事なんて、とてもつまらないことに思えるんですもの。口よりは目のほうにこの服を思いっきり、ごちそうしてやりたいわ。ふくらんだ袖がまだはやっていて、ほんとによかったこと。あたしがこういうのを着ないうちに、はやりがすたってしまったら、あきらめきれないところだったわ、あたし、いままでは心底から満足できなかったの。あたしにリボンもくださるなんてリンドの小母さんは親切ね。ほんとうによい子にならなくてはすまないわ。模範生でないのが残念だわ。いつでも決心するんですけど、たまらない誘惑がやってくると、決心がくずれてしまうのよ。これからは特別一生懸命にやってみるわ」
(「赤毛のアン」モンゴメリ著、村岡花子先生訳/新潮文庫より)
こちらが、以前【40】のところの前文で書いた、マシュウがリンドのおばさんに依頼して作ってもらったアンへのクリスマス・プレゼントだったのでした!!
「まだパフスリーブが流行っていて良かった」と涙ながらに喜ぶアンですが、わたし、この部分についてのみ最初からマシュウ・マリラ視点によって読んでいたため――もちろん、アンがダイアナや他の友達と同じような服装になれたことは嬉しかったものの――「ああ、アンの生きていたこの時代には「ふくらんだ袖」が流行っていたんだな」と思い、その衣服の優美さをぼんやり想像したというくらいだったというか(いえ、エピソードとして本当に大好きなんですけど)。
孤児であるアンを引き取ると決めてのち、マリラは実用的な飾り気のない(言ってみれば、いかにもピューリタン的な^^;)服をアンに縫ってあげていました。
もちろん、ファンの方であれば「わざわざ説明されんでも知っとるがな☆」というエピソードではありますが、引用しましょう、そうしましょう。。。
>>「さあ、気に入ったかね?」とマリラが言った。
東の部屋で、アンはベッドの上にひろげてある三枚の新しい服を前にして、しかつめらしい顔で立っていた。一枚はこげ茶色のギンガムで、しごく実用的だとすすめる行商人に去年の夏、とうとうくどきおとされてマリラが買った生地だった。もう一つのは黒と白のごばん縞の綿じゅすで、この冬、物品交換所で見つけたものだし、あとの一枚はごわごわした、いやな色の青の更紗で、つい今週、町の店で買ってきたものだった。
マリラは自分で仕立てをして、全部、おなじ型にこしらえた――ひだのないスカートがひだのない胴につづき、袖は胴やスカートとおなじように、なんのかざりもなくて、きちきちに細かった。
「あたし、気にいったつもりになるわ」アンはまじめに答えた。
「そんなつもりになんぞ、なってもらいたくないね」マリラは腹をたてて「ああ、あんたはこの服が気にいらないんだね。どうしたというの?みんなさっぱりとして、きちんとできている新品じゃないか」
「ええ」
「では、どうして気にいらないというの?」
「あのう、あのう、きれいじゃないんですもの」とアンはしぶしぶ答えた。
「きれいだって?」マリラは鼻であしらった。
「あんたにきれいな服をこしらえてやろうなんて、わたしは思いもしなかったよ。甘やかして虚栄心を強くするのは感心しないからね。アン、これだけは、はっきり言っておきますよ。どれもみんな、おとなしやかな、実用むきな服です。ひだやかざりべりなんか一つもついてないでね。この夏はこれだけです。茶色のギンガムと、青い更紗は、学校行きの服にして、綿じゅすは教会と日曜学校のにしておきなさい。いつもきちんと、きれいにしておいて、破らないようするんだよ。いままでけちくさい交織のものなんか着ていたんだから、何をもらってもありがたいはずだと思うがね」
「あら、ありがたいことは、ありがたいのよ」アンは異議を申したてた。「でも、もし――もし、この中のたった一つだけでも、ふくらました袖にしてくださったら、もっと、もっとありがたかったんだけれど。ふくらました袖はいまとてもはやってるんですもの。パフスリーブの服を着たら、なんともいえなくうれしくて、ぞくぞくっとすると思うわ」
「それじゃあ、ぞくぞくとしないでいてもらいましょうよ。ふくらました袖なんかに使う、余分の布地は持ちあわせてないからね。とにかく、あんなものは、ばかげて見えると思うね。あたしなら、あっさりしたおとなしやかなのが好きだよ」
「でも、ほかのみんなが着ているのなら、あたし一人だけあっさりして、おとなしやかに見えるより、いっそばかげて見えたほうがいいわ」アンは悲しそうに言いはった。
「よくもそんなことが言えたもんだね。さあ、この服をたいせつにあんたの戸棚へつるしなさい。それがすんだらすわって、日曜学校の勉強をするんです。ベルさんからテキストをもらってきといたから、あんたは明日、日曜学校へ行くんですよ」こう言うとマリラは大立腹のていで階下へおりて行った。
アンは手を握り合わせて服をながめた。
「袖がふくらんだ白いのがあれば、いいなと思ってたけれど」とがっかりしたようすでつぶやいた。「そういうのをくださいってお祈りしたんだけれど、でもあまり期待はしていなかったわ。神様は小さな孤児の服のことなんかに、かまってくださるひまはないと思ったんだもの。マリラの考えどおりにできあがるってことわかっていたわ。でもいいわ。いいあんばいに、この中の一つだけ、すてきなレースのひだがついて、袖が三つにくびれてふくらんでいる、白いモスリンの服だというふうに想像できるわ」
(「赤毛のアン」モンゴメリ著、村岡花子先生訳/新潮文庫より)
もちろん、三着も服を縫ってあげたというのに、「ふくらんだ袖がどうこう……」だの、「気にいったつもりになる」だの言われ、マリラがムッとした気持ちになっただろうことは、察してあまりあります
ところが、そんなアンもとうとう人並みの――という言い方はどうかと思いますが、「両腕パンパン少女アン」というほどではないにせよ、ずっと念願だった「ふくらんだ袖」のお洋服に袖を通すことが出来たといったわけなのでした
さらに物語後半、最初は「質素でおとなしやかな」衣服の信奉者だったマリラの精神にも、とうとう変化が起きます。それはアンが努力を重ね、クイーン学院への入学が決まったあとのことでした
>>その後の三週間のグリン・ゲイブルスは忙しかった。アンのクイーン学院入学の準備のためだった。縫物はむろんのこと、相談も打合わせもいろいろあった。アンのしたくは美しいものばかりだった。マシュウがあれこれと気をつけたからである。マリラも今度ばかりはマシュウが何を買っても一つも反対しなかった。それどころかある夕方、マリラは美しいうす緑色の布地を腕にかかえて、東の部屋へあがってきた。
「アン、これはちょっとした社交着にどうかね?べつだん必要とは思わないけれどね。もうきれいなものはたくさん持っているのでね。だけれど、町で夕方のパーティにでもよばれたときには、あんたも何かちゃんとした服装がしたかろうと思ったのさ。ジェーンもルビーもジョシーも『夜会服』(イブニング)とやらをつくったと聞いたものでね、わたしもあんたにおくれをとらすつもりはないのさ。これは先週、アラン先生の奥さんに町でいっしょに選んでいただいたのだよ。そしてエミリー・ギリスに仕立ててもらおうと思うのだがね。エミリーは好みもいいし、腕はならぶ者がないからね」
「おお、マリラ、なんてすばらしいんでしょう。どうもありがとう。こんなにあたしによくしてくださってはいけないと思うわ。――毎日、日がたつにつれて行くのがつらくなってくるんですもの」
緑色の服はできあがった。それはエミリーの趣味で、許すかぎりたくさんのタックやフリルやシャーリングがついていた。アンはある晩、マシュウとマリラのためにそれを着て台所で「乙女の誓い」を暗唱してきかせた。そのはればれとした元気な顔と、しなやかな身のこなしをながめているうちに、マリラの思いはアンがグリン・ゲイブルスについた晩のことにかえっていった。黄色がかった灰色の、途方もない交織の服を着た奇妙な、おびえたこどもが涙をいっぱいためた目に痛ましい表情をうかべた姿が、そのままよみがえってきた。思いだしているうちにマリラの目にも涙があふれてきた。
「あらまあ、あたしの暗唱が泣かせたのね、マリラ」とアンは、はしゃいで言って、マリラの椅子に身をかがめてマリラの頬にかるくキスした。「これでは大成功といえるわね」
「あんたの暗唱で泣いたんじゃないんだよ」とマリラは言った。「くだらない詩なんかで、そんな弱気を見せるなどということはマリラの大いにけいべつするところだった。「ただ、あんたの小さいときのことを思いださずにいられなかっただけなのさ。ずいぶん奇妙なおチビさんだったけれど、いつまでも小さい子でいてくれたらなあと思っていたのだよ。こんなに大きくなって行ってしまうんじゃ、つらいよ。それにその服を着るととても背が高くてりっぱに見えて、なんだか――なんだか、すっかりちがってしまったようで……まるでアヴォンリーの者じゃないようでさ……こんなことを考えていたら、さびしくなってしまったのだよ」
「マリラ」アンはギンガムを着たマリラの膝にすわると、両手にマリラのしわのよった顔をはさんで、まじめな目つきでやさしくマリラの目をのぞきこんだ。「あたしはちっとも変わっていないわ――ほんとに、いつもおなじアンよ。ただ刈り込みをしたり、枝をひろげたりしただけなの。ほんとうのあたしは――そのうしろにいて――おなじなのよ。あたしがどこに行こうと、外側がどんなに変わろうと、ちっともちがいはないのよ。心はいつまでもマリラの小さなアンなのよ。毎日毎日、日一日とマリラとマシュウ小父さんと、このなつかしいグリン・ゲイブルスが好きになる一方なのよ」
アンは若々しい頬をマリラのしぼんだ頬にすりつけ、手をのばしてマシュウの肩をなでた。マリラはそのときの自分の感情をアンのように言葉にあらわせるものなら、何をおいてもそうしたかったであろうが、性質と習慣が許さなかったので、ただ自分の娘をかたくやさしく抱きしめて放さないですむものならと思うばかりだった。
目にどうやら涙らしいものがうかんできたマシュウは、たちあがると家の外へ出て行った。青く晴れた夏の星空の下を彼は裏庭を横ぎってポプラの下の木戸のところに歩いて行った。
「そうさな、あの子もたいして甘やかされもしなかったようだ」と彼は得意そうにつぶやいた。「わしがときたま、おせっかいをやいても結局あまりじゃまにはならなかったというものさ。あの子はりこうできれいだし、なによりいいことに愛情がある。あの子はわしらにとっては祝福だ。まったくあのスペンサーの奥さんはありがたいまちがいをしでかしてくれたものさ――運がよかったんだな。いや、そんなものじゃない、神様の思召しだ。あの子がわしらに入用だってことを神様はごらんになったからだと思うよ」
(「赤毛のアン」モンゴメリ著、村岡花子先生訳/新潮文庫より)
ちょっと引用文が長かったでしょうか(^^;)ただ、自分的に今回、↓のお話に関連して中世~近代くらいの衣服のことを多少なり調べていて……「赤毛のアン」に出てくる「パフスリーブ(ふくらんだ袖)」という服の前身としてジゴ袖というものがあったとか、他にアンやモンゴメリの生きた時代に流行したらしいバッスルスタイルなどについても、どうやってその「バッスル」を作っていたかなど、新しくわかったことが色々あったもので、自分的に興奮することが多かったのです
他に、下着やスカートの下のペチコートのことについてなど、引用したい箇所はたくさんあったのですが、長くなってしまったので、今回はこのへんで♪
それではまた~!!
惑星シェイクスピア。-【43】-
「聖ウルスラ祭のファッションショーというのは、具体的に何をどうするんです?」
タイスがそう聞くと、答えを知っているカドールとランスロットは、ともに肩を竦めていた。
「まあ、簡単にいえば」と、カドールが説明する。「先ほどのウルスラという女性デザイナーが製作した衣装を着て、舞台の上を歩くのですよ。最前列にいるのはメレアガンス伯爵や貴族たち、それに織物商ギルドの有力者などです。そして、彼らの目に留まればめでたく名の売れたデザイナーとして引っ張りだこになる可能性もある。あるいは、宮廷御用足しのデザイナーとして王侯貴族たちの衣装を担当し、一年中彼らの衣装を作製しているだけで生涯食いっぱぐれないどころか、一財産築くことが出来るというわけですよ」
「じゃ、メルガレスの王侯貴族の前でそんな破廉恥なこと、出来るわけがないじゃないか!」
ファッションショーなるものの示す意味がわかると、タイスは論外だとでもいような口調で、若干怒りすら覚えたようだった。
「ハムレットはこれから王になる身なのだし、ランスロットとカドールは彼に仕える立派な騎士だ!第一、これからローゼンクランツ公爵の親書を携えて謁見しようというのに……そんな舞台に上がるわけになどいくものか」
「よく考えてみたら確かにそうだねえ」と、キリオンが愉快そうに笑って言う。「でも、レンスブルックはアルバイトで頼んでみてもいいんじゃない?カラフルな衣装着て舞台の上を滑稽な道化としてちょっと歩くだけで、小銭を稼ぐことが出来るかもしれないよ」
「いやいや、あのウルスラとかいうマドモワゼルはハムレットさまやカドールやランスロットの美形ぶりにコロッと来たのであって、オラのことはついでのオマケみたいなもんだぎゃ。それに、来月の聖ウルスラ祭までここに滞在するとは限らんと思うのだぎゃ、そこらへんどんなもんだぎゃか?」
「そうだな」と、ハムレットが考え深げに言った。彼はファッションショーの話が御破算になってほっとしていたのである。「明日にでもメルガレス城を訪ねていってみようと思うだが、ここでのしきたりとして、それはどんなものなのだろうか?何分、伯爵もお忙しい身だろうし、いくらローゼンクランツ公爵の親書があるとはいえ、すぐに会えるとも限るまい。それでも流石に一月も待たされることまではないと思うのだが……」
「その点は心配ありません」と、ランスロットが言った。「こちらには我々ローゼンクランツ騎士団と懇意にしている聖ウルスラ騎士団がいますからね。そちらを通じてメレアガンス伯爵との謁見の段取りをつけてもらおうと考えております」
「よろしく頼む」
そう答えつつ、ハムレットは溜息を着きそうになるのを堪えた。(本当にオレは自分ひとりでは何も出来ないんだな……)そう思い、あらためて己の力の小ささを痛感するばかりだったのである。
このあと、一行は商店街にある食堂にて食事をしてから旅籠屋のほうへ戻ることにしたわけだが、そこではあらためて今後の計画について詰めるということになっていた。
「メレアガンス伯爵とは、どういった方なのですか?」
タイスは以前にもしたことのある質問を、この時もう一度カドールにしていた。昼時を少し過ぎた頃合だったこともあり、店先を覗いてみた食堂はどこも込み合っていたが、偶然空いていた長方形のテーブルに、八人は四人ずつ、向かい合って座ることにした。他に六つあるテーブルは、ふたり掛けだったり四人掛けだったりしたが、ここはひとつだけある大テーブルだったらしい。他はカウンター席で、客はそれぞれそこで慌しく食事して出て行く場合のほうが多い。
「伯爵殿は、日和見で移り気な性格のお方なのでな、御自分と御自分の領地の利益になるとなれば我々の味方もしてくれようが、出兵していただくことまではもしかしたら難しいやもしれぬ。ただ、その場合でも我々の敵に回ることなく趨勢が決するまで静観していただくなど……出来ればそう確約していただきたいわけだ。まかり間違ってもバリン州のバロン城を攻囲中に側面や背面から衝かれるという事態だけは避けたい」
ここで、水差し片手に瀬戸物のコップをトレイにのせたウェイトレスがやって来る。
「お客さんたち、新顔ね。ここじゃ、昼食時は基本セルフサービスなのよ?ほら、そっちのテーブルに卵の茹でたのや豆やパイやソーセージ、焼いた肉の串なんかが大皿にたっぷりのってるわ。それをね、近くの棚にある皿に自分でのっけておのおの食べるってわけ。さあ、話が決まったらお代をいただくわ」
ウェイトレスの若い女性(おそらく、ハムレットと同じ年くらいと思われる)はウィンクすると、それまでも多くの客がクラン銅貨を投げ入れていった壷をドン!とテーブルに置く。
「うちの昼食代はたったの五クラン。どう?安いもんでしょ」
人数分の銅貨を、彼女にはっきり見える形でタイスは壷の中へ入れていった。すると、そばの客から「今日もごちそうさん、ルース」と言われた女性は、今度は八人に対し、皿を取って盛り付け例を示してみせる。
「うちじゃね、大盛りにしすぎて残した客には、追加料金をもらうってシステムなの。そう思って、自分に食べきれそうな分だけ盛りつけてちょうだいね」
パンならパンだけ、豆なら豆だけ、焼いた肉の串刺しなら串肉だけ、ソーセージだけならソーセージだけ……といったような大皿の上にはすべて、乾燥を防ぐためとハエ除けのために、銀色の閉じ蓋がしてある。その取っ手をとり、ルースは「これ、標準的な盛り付け例ね」と言って、大皿ひとつにつき一品ずつ、あるいは豆やピクルスであれば備え付けのスプーンで二杯ほど盛っていった。
「ま、大体こんな感じね。でもまあ、特に好物なものはたくさん取ったっていいのよ。簡単にいえば、五クランでワイン一杯ついてくるんだから、常識と良心の範囲で考えてねって話。あと、卵料理は目玉焼きやオムレツが食べたかったそう言ってちょうだい。それはサービスで作ってあげる」
「私がその皿をいただいてもいいですか?」
(随分先進的なシステムだな)と思いつつ、感心してギベルネスはルースにそう申し出た。出身惑星にあったバイキング形式のレストランのことをなんとなく思い出す。
「あら、これじゃちょっと少ないんじゃなくて?なんだったら、それぞれもうちょっとくらい足したっていいのよ」
「いえ、そのくらいで十分です」
「そう。ワインの入った壷はそっちよ。あくまでもグラスに一杯分だけだからね。うちの店は親戚にワイン作りの職人がいるから、すごく美味しいの。ここらの通りの食堂じゃ、天下一品だわ。だけど、分量は守ってね。向かいのコリオレイナス食堂なんか、ブタの汗みたいなまずいビールとすえて腐ったみたいなワインしか出さないのよ。だからってこっそりおかわりしたら、もう三クランもらっちゃうからね。いいこと?」
「わかりました。ありがとうございます」
いつも荒くれ者を相手にするのに馴れているルースは、ギベルネスの妙な礼儀正しさに面食らったようだった。(なんだか調子が狂っちゃうわ)とでも言いたげに小首を傾げつつ、厨房のほうで忙しく働く他の従業員を手伝いに戻っていく。だが彼女たちはふたりとも、こっそりおかわりしたり盗みを働いたりする者がいないかどうか、皿洗いをしつつ絶えず目を光らせているのだった。
「ギベルネ先生は、ああした若い娘がお好みですか?」
ギベルネスにそうした意図はないとわかっていつつ、カドールはあえてそう聞いた。というより、彼自身相当信頼関係のない人間にしか、そんな冗談を言ったりすることはない。
「まさか。ただ、平日の昼間に感心にも店を手伝っているということは学校へは通ってないのだろうかと思っていたのですよ」
「あのルースって子、たぶんぼくやハムレットくらいの年の子だよ。可愛いよねえ。それに客あしらいも上手くってさ。きっと彼女目当ての客ってのもたくさんいそうだし、悪い虫でもつかないかって、ぼくがあの子の両親なら心配しちゃうところだな」
タイスとカドールは食事をしつつ先ほどの話の続きをはじめたが、ギベルネスの見たところ、彼らの話をこっそり聞きつけてどうこう思いそうな人間は皆無だった。何より、店を一歩外に出れば忙しない雑踏であり、中で食事している人間も、お互いの話に夢中になっているか、あるいはひとりさっさと食事してすぐ店から出ていってしまうのだ。この光景を見ていて――ギベルネスは惑星ロッシーニで自分が暮らしていたセミラーミデの町のことを思いだしていた。二百万人以上の人々が暮らす大都市だったため、昼食時の繁華街にあるレストランは、大体雰囲気が似ていた。何かのランチの皿を頼み、連れがいればその相手と話をし、ひとりの場合でも馴染みの常連客と話したり、あるいは胃に詰め込むような形で食事し、急ぎ職場のほうへ戻っていく……そんなある種のデジャヴを感じ、ギベルネスはなんとなく不思議な感じがしたのである。
「静観すると確約してくれたところで、そんなのはなんの保証にもならないんじゃないか?」と、ランスロットがもっともらしい意見を口にする。「だってそうだろ?それはすなわち、俺たちのほうの旗色が悪いとなったら、のちのちクローディアス王の拷問を恐れ、向こうに味方するってことを意味してるんだから……かといって、ロットバルト州もまた、バリン州とはナーヴィ=ムルンガ平原を挟んだ領地であるだけに、自分の領地が主戦場になる危険性を犯したい思うかどうかといったところだ。どこの州も重税で苦しんでいるわけだから、そこに戦費までかさむとなれば、諸手を挙げて即座に賛成されようはずもない」
「唯一、希望があるとすればだ」と、カドールが言った。「このまま放っておいた場合、ボウルズ伯爵の二の舞になる可能性もあると、メレアガンス伯爵とロットバルト伯爵を脅すか納得させるなどすることかもしれんな。ふたつの州とも豊かだから、重税を納めることには当然不満があるだろう。だが、それでも拷問部屋へ呼ばれるよりはマシというわけだからな……なんにせよ、デリケートな問題だ。また、我々のほうでそのように依頼してきたと伯爵のほうで王都に密告しないとも限らない」
「メレアガンス伯爵は、聖ウルスラ教に対する信仰心のほうはどうなのですか?」
タイスが、あまり期待していない様子でそう聞いた。このような虚栄の町で領主をしており、さらにはでっぷり太った脂肪肝ということは――神への礼拝だなんだということも、型通りただしきたりを守っているというその程度でしかないのではないだろうか?
「そうだな」と、カドールが頷く。「まずはそちらから攻めてみるのがいいかもしれんな。星神・星母信仰とローゼンクランツ騎士団が切っても切り離せぬように、聖ウルスラ教と聖ウルスラ騎士団は切り離せない。そして我々は同門なわけだから、互いに兄弟として今までも繋がりを保ち続けてきた……また、修道院長や聖修道僧はみなそうだが、その言動には守秘義務が伴う。ハムレットさまや俺たちが星神・星母の導きによってここまで来たことを話し、そのことをメレアガンス伯爵にうまくとりなしていただけないかと相談すれば……伯爵の御性格としては承知しかねるだろうなど、いい助言を与えていただけるに違いない」
「では、オレが先にお会いしなければならないのは、メレアガンス伯爵ではなく、聖ウルスラ教の司教殿や司祭殿ということか?」
ハムレットは、アヴァロン州の村の人々のことを思いだしていた。彼らのために誰か、熱意のある司祭や聖修道士を派遣してもらうことは出来ないかどうか、打診することをすっかり失念していたのである。
「そうですね……」と、ランスロットは一度食事を中断して言った。実は彼の父親のローゼンクランツ騎士団長、カーライル・ヴァン・ヴェンウィックと聖ウルスラ騎士団の騎士団長とは親友にも近い間柄であった。「聖ウルスラ教の聖修道士たちはみな実に道徳観が高く、敬虔な僧たちばかりなのですよ。このような虚飾の町にあって驚くべきことかもしれませんが、むしろだからこそ、という部分があるのだろうと思います。こうした見せかけだけ着飾ることに虚しさを覚えた人々が星神・星母から啓示を受けた聖女ウルスラに救いを求めるのでしょうね。ゆえに、聖ウルスラ教の修道士たちのことは信頼できますし、まずは俺は聖ウルスラ騎士団の騎士団長ラウール・フォン・モントーヴァンと会い、メレアガンス伯爵にお口添え願えないかどうか、聞いてみようと思います」
「それがいい!!」
カドールはランスロットのこの名案に、隣の親友のグラスと自分の葡萄酒の入ったそれをカチン、と打ちつけた。ルースの言っていたとおり、庶民の大衆食堂のものとは思えぬほど、酒のほうは意外にも味が良かった。
「では俺のほうでは、タイスと……ハムレットさまにも出来れば御一緒に来ていただきたいのですが、聖ウルスラ教の大聖堂のほうを訪ね、修道院長さまからメレアガンス伯爵のほうへ働きかけてもらえぬかどうか、打診してみようと思う。聖ウルスラ騎士団の騎士団長と、聖ウルスラ教の大修道院長の推薦や口添えがあれば……いかに乗り気でなかったにせよ、メレアガンス伯爵のほうでも耳を傾けざるをえないことだろう」
「じゃあ、早速明日から動くことにして……この話は一度ここでやめにしよう。こんな重要な話は昼間は食堂、夜は酒場になるような場所ですべきことじゃない」
ランスロットがそう言って話を打ち切ったため、この件についてはまた旅籠屋へ戻った時にすることになった。実はここ、『ルキア食堂』は、夜には歌と踊りと酒と食事を提供する場所へと変わるのだった。つまり、先ほどのランチの皿の品はすべて余ったものがそちらへ回されることになるため、無駄のほうは一切でないのである。
誰ひとり皿に盛ったものをひとつとして残すことなく『ルキア食堂』を出ると、一行はその後、仕立て屋街へ行く前に商店街で見かけた、安くて質のいいシャツや下着類などを購入し、それから旅籠屋のほうへ戻ることにした。ランスロットとカドールはギネビアをからかったことを悪いと思っていたため、それぞれマントを留めるための金のブローチや(これはローゼンクランツ家を象徴する鷲の形をしたものである)、美味しいオレンジなどをお土産に購入していたものである。
「本当なら、髪飾りでも買ってやりたいところだが」と、ランスロットなどは雑貨店にて溜息を着いていたものである。「そんなものを渡したら、あいつは烈火の如く怒るだけだろうからな」
「まあな。ギネビアは元がいいから、ドレスを着てそれなりに着飾ればここメルガレス城砦でだって、どこの貴族令嬢にも見劣りしないどころか……すぐに崇拝者が何人も現れて恋愛の鞘当てがはじまり、求婚者が列をなしたとしてもまったくおかしくないくらいだろう。ま、本人がドレスよりも騎士の甲冑のほうに惚れ惚れするという俺たちと同じ価値観なのだから、仕方ないといえば仕方ないのだろうがな」
「そういえば……」と、タイスが客寄せのために店先で飼われているオウムを物珍しそうに見ながら言った。「あのウルスラ服飾店の女性も男装してましたよね。ということは、もしあなた方がギネビアをからかったりしなければ、ウルスラと彼女は気が合ったりして話が少し変わっていたかもしれませんよ。まあ、今更そんなことを言ったところで詮ないことではありますが……」
ここで、ランスロットとカドールは互いに顔を見合わせた。無論、だからとてギネビアがファッションショーなぞに興味を持ったとは彼らにも思えない。だが、それでも確かに何か風向きが違ったかもしれない可能性はあったと思ったわけである。
とはいえこの場合、おそらくもっと問題だったのは――留守番することになったギネビアが、その間どうしていたかということだったに違いない。一行のうち誰も、まさか彼女がチンピラに絡まれて旅籠屋で乱闘騒ぎを演じていようなどとは……この時、まったく想像してもみなかったのだから。
>>続く。