ええと、今回は前回に引き続いて、下着やペチコートのことでも……と思ったりしなくもなかったものの、↓の中でギネビアが「騎士の十戒」のうちの、Ⅲ番目とⅩ番目のことに触れているため、一応先にⅠ~Ⅹまで、書いておこうかなと思います♪
第一部の終わりまで続く【メルガレス編】は、聖ウルスラ騎士団や聖ウルスラ神殿、あるいはメルガレス城砦の政治権力者たちと、ハムレットたちがどう関わっていくか……みたいなお話と思うので、騎士団つながりとして「騎士の十戒」は結構大切かな~と思ったりしたので。。。
第Ⅰの戒律=汝、須らく教会の教えを信じ、その号令に服従すべし。
第Ⅱの戒律=汝、教会を護るべし。
第Ⅲの戒律=汝、須らく弱き者を尊び、かの者たちの守護者たるべし。
第Ⅳの戒律=汝、その生まれし国家を愛すべし。
第Ⅴの戒律=敵を前にして退くことなかれ。
第Ⅵの戒律=汝、異教徒に対し手を休めず、容赦をせず戦うべし。
第Ⅶの戒律=汝、神の律法に違反しない限りにおいて、臣従の義務を厳格に果たすべし。
第Ⅷの戒律=汝、嘘偽りを述べるなかれ、汝の誓言に忠実たるべし。
第Ⅸの戒律=汝、寛大たれ、そして誰に対しても施しを為すべし。
第Ⅹの戒律=汝、いついかなる時も正義と善の味方となりて、不正と悪に立ち向かうべし。
(「騎士道」レオン・ゴーティエ著、武田秀太郎先生編訳/中央公論新社より)
でも、もしかしたら本編のどこかにⅠ~Ⅹまで出てきていたような気もするんですよね。わたしがまだそこまで読み返せていないというだけで……また、その際には<教会>のところを<星神・星母の教え>など、若干変えて用いていたような記憶があったり(^^;)。
ちなみに、【25】のところで、ルーアンとルツのバグデマス夫妻のいる砂漠の塔の壁に飾ってあったという「騎士ノ心得十か条」というのも、内容はこちらとまったく同じものとなりますm(_ _)m
それではまた~!!
惑星シェイクスピア。-【44】-
『踊る小鹿亭』と『怒れる牝牛亭』と『小躍り牡馬亭』は親族経営のためもあってか、三つの旅籠屋とも作りのほうは大体同じであった。一階のほうは軽食屋兼雑貨屋といったところであり、二階と三階部分が旅籠屋となっている。軽食を利用するのは何も宿泊客ばかりでなく、近隣住人は誰しも挨拶がてら「ちょっとお茶を一杯」といった感覚で立ち寄っていくらしい。夕方以降は居酒屋になるのだが、それもまた日々の労働の疲れを癒すため、気の合う者同士酒を酌み交わしながら仕事の愚痴をこぼしたり、女房や旦那、家族や親戚の悪口を言う、何か町の噂話をする……といった、どこの町でも見られる光景がここでも見られるという、どうやらそうしたことのようである。
ハムレットたちが商店街や仕立て屋街のほうへ行ってしまってからも、ギネビアの機嫌は変わらず悪いままだった。カウンター席にどっかと座ると、頬杖をつき、樫の一枚板で出来た天板を指でイライラ叩き続けている。
「べつに、ランスロットもカドールも悪気はなかったんじゃないかね」
ディオルグにはむしろ、彼らの気持ちのほうがわかるといって良かっただろう。<東王朝>においても、彼は女騎士などというものにお目にかかったことなぞ一度もない。
「そうですよ」と、ウルフィンが同意する。ギネビアの右隣に座った彼の横には、ホレイショとキャシアスの姿もある。「せっかく美人なのにもったいない……くらいの感覚だったんでしょうからね、彼らふたりにしてみれば」
カウンターの上にはクルミやアーモンドやカシューナッツ、ピスタチオといったものが小鉢に入っていたが、「これ、勝手に食べちゃダメなんですよね?」とキャシアスが聞くと、棚に並んだ商品をチェックしていた女将(おかみ)が厳しくギロリとこちらを睨んでくる。「当たり前じゃないか。食べたかったらここにある瓶に入ったナッツ類でも買うか、それか酒でも一杯注文しとくれ」
『怒れる牝牛亭』は、この女将であるカイアと夫のキース夫妻が経営しているのだが(『踊る小鹿亭』は彼らの兄夫婦が、そして『小躍り牡馬亭』は兄夫婦の娘と娘婿の経営である)、店の名前が何故『怒れる牝牛亭』なのかは、やってきたどの客にもすぐわかることだった。何故なら、胸が大きく横幅もあるカイアが、針金のように細い夫のことを始終怒鳴りつけるというのが、この店ではちょっとした見せ物としてよく知られていたからである。
ナッツ類の詰まった瓶詰めの他にも、糸や紐によって値段のタグのついたジャムの瓶類、ピクルスの詰まった瓶、その他燻製肉や塩漬け肉の類、さらには隣のロットバルト州から運ばれてきたニシンの塩漬け、各種香辛料や香料など……他に店にはちょっとした日用雑貨や手芸品類、様々な色の反物、染色料などが棚に並んでいる。
ホレイショやキャシアスが驚いたことには――ヴィンゲン寺院の長老たちが、砂漠州では当たり前のように数多くある香辛料や香料の元となるものをたくさん持たせ、次のように言ったことだったろうか。「これらの品はな、内苑七州のどこかの州へ辿り着く頃には、十倍……いや、二十倍の値がつくことになっておろう。くれぐれも安売りしたりせず、金が必要な時、ここぞという時に換金するのじゃぞ。わかったか?」と。だが、実をいうとふたりともあまり長老の言葉を信じていなかった。砂漠州の人間であれば、日常で当たり前のように使っているコショウやナツメグやシナモン、サフランやカルダモンといったものが、メレアガンス州ではすでにローゼンクランツ領で売られている十倍以上もの値がついている、というのがいまだに信じられないほどだった。
「美人だって?はん!わたしの姉上や妹たちのほうが、わたしなどよりよほど美しいだろうよ。わたしが言いたいのはな、とどのつまりはあいつらはわたしのことを騎士とは思っていないということなのだ。せいぜいが、自分の仕える公爵の娘の遊び半分のおままごとにつきあっているとでも思ってるのだろうよ。だが、わたしは必ずハムレットさまのために、あいつらよりもっと高く優れた勲功を立ててみせる!ああ、絶対にそうしてみせるとも」
「なんだい、あんた。こんな朝っぱらからプリプリしちゃって。そういや、あの黒髪の背の高い男と赤毛の紳士はいい男だったねえ。それで、どっちがあんたの愛人なんだい?」
「あんなやつら、どっちも愛人なんかじゃないさ!!」
カイアは旦那に洗わせた食器類を磨きつつ、カラカラ笑った。なんのことで喧嘩しているかはわからなかったが、どうやら恋愛沙汰ではないらしい。
「あたしがもう二十歳ばかし若かったらねえ、上の部屋にでも旦那の目を盗んで連れ込むところだけどね。そしたら今ごろ、『見てごらん、この玉のように可愛い子があんたの子だよ』なんて言って、お人好しの亭主を騙くらかして子どものいる幸せな生活ってやつを送っていただろうにねえ」
「何言ってやがんでえ!おめえみてえな太っちょのデブ女、誰が相手にするってんだ」
「うるさいよ、この種なしが!!うちは『踊る子鹿亭』よりも『小躍り牡馬亭』よりも売上がいいってのに、跡取りがないばっかりにあたしらが死んだらこの店は兄貴か兄貴の娘夫婦のものになっちまうんだよ!ああ、まったく子供さえいたらねえ……」
不妊の原因については女性の側に押しつけられがちなものだが、どうやらこの家では違うらしい。というのも、カイアはすでに子供を五、六人ばかりも生んで育てたのではないかという貫禄があったのに対し、キースのほうは口は悪いが体が細く、精力に乏しい印象だったからに違いない。
「チッ。まったく、おめえは口を開けばその話しかしねえな!べつに、夫婦ふたり食ってくのに困らないだけで十分じゃねえか」
「ふん!『小踊り牡馬亭』じゃ、それこそ玉のように可愛い孫が生まれたばかりなんだよ。あの子を見るたびつくづくこう思っちまうね。うちにもこんな可愛い子がいたらどんなにか……ってさ。まったく、あたしも婿選びを間違えたもんだよ。それこそ精力盛んな馬のような男とでも結婚すりゃ良かったのにねえ」
「怒れる牝牛と精力盛んな種付け馬のご結婚か!やれやれ。一体その子はどんな子だ?それで、その子がこの旅籠屋を継ぐ頃には、この店の名前も『大暴れ牛馬亭』とでもなってるこったろうな。ああ、こりゃ大したお笑い草だ」
「『大暴れ牛馬亭』ね!!」と、いつも通りふたりのやりとりを聞いていて、テーブル席にいた客たちがどっと笑いだす。「今だって牛がツノ生やして旦那のこと追いかけまわしとるってのに、そんな手のつけらねえガキまでいたら、キース、おめえはもう夜逃げでもするしかねえぞ!この旅籠屋にも家庭にも、おめえの居場所はねえも同然だべ」
ぎゃははっ!!とご近所連が笑いだすのを聞いて、キースは面白くなさそうに眉根を寄せた。すると、「そろそろあんたたち、仕事へ行ったらどうなんだい!?こんなとこで油売ってないでさ」と、カイアは彼らを追いだしにかかった。三人とも、機工街で働く機織り工で、朝はこちらで食事してから出ていくことが多かったのである。
ギネビアはこんなやりとりを聞いているうち、自分の怒りなぞ実は大したことでないと感じたのかどうか、ランスロットとカドールのことなぞ次第にどうでも良くなったらしい。ディオルグとウルフィンは夫婦喧嘩のとばっちりを食いたくないとばかり肩を竦め、ホレイショとキャシアスは目配せしあって互いに会話を終えていた。
と、この時、入口の鈴の音が鳴り、ひとりの婦人が手提げ籠を持って店に入ってきた。機織り工が出ていったあとのテーブルを拭いていたカイアは、「おや、マイラじゃないか」と言って、吊り上がっていた眉がこの瞬間下がって優しくなる。
「あのう、卵を買っていただきたくって……」
マイラと呼ばれた女性は三十前後くらいの年齢に見えたが、痩せていて顔色も悪かった。ギネビアやディオルグたちにはまったくわからなかったが、メルガレス城砦に住む人々にとって、彼女は典型的な農村の妻の格好をしていたらしい。つまり、シフトドレスと呼ばれるゆったりしたワンピースの上に、飾り気のないリネンのドレスを着ていた。頭を覆っている布も、安物の粗いリネン製だったようである。
「ふんふん。アヒルの卵が四つにニワトリの卵が六つね!いいよ、全部買ってあげよう」
「本当ですか!?」
生活疲れによってやつれている……といった雰囲気のマイラの顔が、途端にパッと輝き渡る。
「他の一緒に持ってきた野菜や何かは売れたのかい?」
「ええ、お陰さまで……これもみんな、おかみさんのお陰ですわ。当たり前のことですけど、みなさんあらゆる方法で値切ろうとされますものでねえ。周辺の農村部から卵やら野菜やら売りつけに来るのは何もあんただけじゃないから、もっと安くしないなら他の奴から買っちまうよってな具合で。おかみさんが、わたしの気の毒な身の上のことを話してくだすったでしょう?それからですわ。大体今月はいくらくらい必要だなんだの聞いてくださって、それなりの値段で商談が成立するようになりましたの」
「そりゃ結構なこった!あたしもそうだけど、ここいらの奴はみんな、商魂逞しいからね。子供が十人もいて、下の子はまだ小さいってのにさ、週に一回こうしてやって来て物売って帰るってのも大変なことだよ。で、大工仕事してて建物から落っこって怪我した亭主のほうは、今は大分いいのかい?」
「ええ、まだ杖をついてはいますけど……仕事のほうには復帰しましたの。下の子のことは上の大きい子が見てくれますものでね、わたしもこうしてちょっとしたものを売りにやって来れるわけですけど、それでもやっぱりくたびれますわ。もともと体のほうもあまり丈夫じゃありませんもので……」
「そんなもん見りゃわかるよ!どうれ、ちょっとそこ座って休んでいきな。何か美味しいものでも作ってあげよう……なんて言っても、いつも客に出してるのと同じメニューだけどね」
「いえいえ、そんな……卵を買っていただいただけでも十分ですのに。ただ、ほんの少し椅子に座らせてください。それで、ちょっと休ませてくださったら帰りますから」
――このあとも、旅籠屋には色々な人間がやって来た。反物売りやら染料売りやら、店頭にハンカチその他、ちょっとした手芸品を置いてもらいたいという押し売りの類やら……マイラという女性に対するのとは違い、カイアやキースの彼らに対する態度は渋面による厳しい、断固たるものだったと言える。ギネビアはずっと下にいたわけではなかったが、それでも風通しをよくするのに窓やドアを開けっ放しにしてあるため、階段からカイアの「そんなもんいらないって言ってるだろ!とっとと帰っとくれ」といった怒鳴り声が上まで聞こえてきたのである。
「いいじゃねえか。夜に酒飲んだ客相手に、上のほうで娼婦に一晩に何人か相手をさせる……たったそれだけで儲かるんだぜ。あんたらにしてみりゃ、ただ場所貸すってだけなんだから、こりゃまさしく濡れ手に粟ってな話だ。旅籠屋のほうはいつでも客で満杯ってわけでもないんだろ?」
「あんたもまったくしつこいね、ボドリネール。何度来たってあたしたちの答えは変わらないよ!正式にお役所から認可を受けないと、娼婦に客なんか取らせられないことはあんただってわかってるだろ!?それに、問題はそんなことだけじゃない。もっと大事なのはね、我がオクセントゥール家の家名に泥を塗り、ご近所さんからのつきあいからも爪弾きにされるってことさ。上の部屋で違法に娼婦に客取らせてるなんて噂がここいらで広まってごらん!知らない間に塗り替えたばかりの壁に卑猥な悪戯書きされたり、通りで元は仲の良かった友人とすれ違っても、口なんか聞いてくれなくなるだろうよ。だから論外だってのに、一体何度ここへ来りゃ気がすむんだい!?」
「そうとも。カイアの言うとおりだ!!」
妻との口喧嘩の時には威勢のいいキースだが、カウンターの後ろで逞しい彼女に隠れるようにして言った。
「あんたらみたいな街のごろつきと一度関係を持ったら、最後にはこの店まで手放さなきゃなくなるだろうしな!!」
ボドリネールは、それこそが狙いだ、とばかりニヤリと不気味に笑った。彼は他に自分の手下を三名連れてきていたが、三名とも酒や不倫といった女性問題により、規律違反で軍の連隊から除名された者ばかりだった。
「せっかくこっちが下手に出てりゃあ、でかい口聞きゃあがって……おいキース!!このしみったれた旅籠屋守りたきゃ、表へ出な。こいつぁ、俺たちが一度、根性叩き直して自分の身の程ってもんを教えてやる必要があるぜ」
「あんた!ここにいな。なんであたしやあんたが外へ出なきゃなんないんだい。それより、あんたたちのほうが出ていけば話はそれで済むんじゃないかね?それで、もう二度とここへはやって来ないことだよ。というより、これ以上しつこくしたら巡察隊のほうへ連絡するからね!!」
カイアがそう怒鳴っても、軍の連隊崩れのゴロツキどもに効果はなかった。「牛のババアがなんか言ってるぜ」、「ヒステリーばかりあげて、欲求不満なんだろうよ」、「この針金みえてな旦那が相手じゃ、とても満足できそうもねえもんなあ」……まだ三十にもならないだろうチンピラが、そんなふうに挑発してきた時のことだった。
「なんて下品な口の聞き方だ!!おまえらにはどうやら年上の人間に対する態度を教えこんでやる必要があるようだな。いいだろう、わたしがそのあたりのことを指南してやるから、表へ出るといい」
ギネビアはドカドカ階段を下りてくると、ボドリネールと彼の手下どもにそう怒鳴っていた。だが、彼らにしてみれば、見目麗しい若い女が威勢よく何か叫んでいるとしか思わなかったらしい。次の瞬間には、示し合わせたように大笑いしている。
「おい、お嬢ちゃん、俺たちのすることに口出しすると痛い目見るぜ」
「ボドリネールの旦那の言うとおりだぞ。身ぐるみ引っぺがされて売り飛ばされたくなかったら、女らしく黙って見てろ!!」
「おや、ですがボドリネールさん。このアマ、なかなかの上玉ですぜ。なんでしたら、今日からこの店の二階で客を取ってもらっちゃどうです?」
「その時には、まずは俺が体の具合のほうを見てや……ぐあっ!!」
ギネビアは最早容赦しなかった。帯刀していた剣を抜くと、チンピラその3の被っていた帽子を貫き、穴の開いたそれをくるくると回して自分の頭へ被せる。
「あの羽根付き帽は高かったんですぜ。それに穴を開けやがるたあ……絶対に許せんっ!!」
チンピラその3のほうでも剣を抜いた。だが、テーブルを挟んで五、六合ばかりも打ち合うまでもなかった。尖った顎に茶色い髭を生やした男は、最後にギネビアに懐へ踏み込まれると、鳩尾に剣の柄で一発食らい、それだけですぐ昏倒していた。
「おかみさん、ごめんっ!散らかしちゃった」
チンピラその3がカウンターにぶつかったため、その上にあったものがいくつも床に落ちた。幸い、割れたものはなかったが、それでもである。
「いいんだよっ!そんなゴロツキども、吹っ飛ばしちゃいなっ!!」
「くそっ!!」と叫び、チンピラその2が腰から短剣を抜き、振り回しはじめる。だが、ギネビアが鋭い突きを、目の下に隈のある赤ら顔の男の手首に決めると、男はそれだけでその場に蹲った。この時、ギネビアはすでに剣を抜くまでもなかったと感じ、鞘へ戻した状態で男の腕を打ったのである。
さらにギネビアは、逆上したチンピラその1をからかうように、彼が首から提げていた財布――小さな口を紐で閉めた袋――を剣の先で絡めて奪った。
「ぼ、ボドリネールさんっ!あれにはさっき集金してきたばかりの金が全部詰まってるんでさっ!!」
「はんっ!どうせおまえらのことだから、ろくな金じゃないんだろ?せいぜいが弱い者いじめでもして奪った金に違いない。だが、そんな汚れた金などこちらでもいらないからな。もしこれを返せばここから出ていって二度とやって来ないというなら返してやろう。それでどうだ!?」
「くっ……ボドリネールさん、どうします!?」
いかにも悪玉の頭といった顔つきの、全身黒ずくめのボドリネールのほうでは、あまり動じていないようだった。金ボタンが縦に34個もついていたが、これはあくまで飾りボタンなので、脱ぎ着するのに不便はない。襟にも袖にも金の刺繍の縁取りがしてあり、上衣の下にはたっぷりした黒のズボンを履いている。彼はこの上にさらに大きな黒のガウンを身に纏っていたが、その裏地にはあくまで目立たぬ形でびっしりと孔雀の羽が刺繍してあったものである。
「いいだろう、小娘。むしろ気に入ったぞ。今後、もし何か困ったことがあったら……」
そう言ってボドリネールは自分の黒の帽子を脱ぐと、そこに刺してあった孔雀の羽を抜き、ギネビアに渡した。
「ボドリネールのものだと言って、その羽を差し出せ。その心意気に免じて、一度だけおまえのことを助けてやろう」
「そんなこと、どうだっていいさ。それより、二度とこの店へやって来るなよ。あと、『踊る子鹿亭』にも、『小躍り牡馬亭』にもだ。わかったか!?」
ボドリネールはその件には返事をせず、店から出ていった。チンピラその1がおそるおそるといった体で手を差し出してきたため、ギネビアは彼の汚い手に大切なのだろう財布の小袋を叩きつけるようにして返してやった。チンピラその2もまだ痺れている手首を押さえながら、「覚えとけっ!」と叫び出ていった。唯一チンピラその3だけが気を失っていたため残っていたが、キースがその頭に水をぶっかけてやると、彼もまたどういうことなのか悟ったらしく、すぐ飛びだすようにして逃げていく。
「あのボドリネールって奴は、一体どういう奴なのさ?」
散らかしてしまった店のほうを片付けつつ、ギネビアがそう聞いた。テーブルや椅子を元の位置まで戻し、そこに掛かっていたレースのテーブルクロスを綺麗に掛け直して、花瓶の花も元に戻す。
「ちょっとした街の小悪党ってとこだろう。あたしたちもよくは知らないがね」
(割れなくて良かった)と思いつつ、カイアはジャムの瓶などを布で拭き、棚のほうへ戻していった。反物や染料その他、売り物として置いてあるものだけでも、クラン銅貨三百枚分以上の価値が全部であるのだ。それをあんなゴロツキどもに奪われたりしなくて良かったと、心からそう思った。
「ただ、あいつの後ろには悪魔みたいな大悪党がついてるって噂が昔からあって、それで誰もあまりあいつに逆らいたくないし、関わりあいにもなりたくないってわけなのさ」
「じゃあ、この孔雀の羽飾りはおかみさんたちにあげるよ」
ギネビアはそう言って、カウンターの上に例の孔雀の羽を置いた。
「これから、もし何か困ったことがあったら、ボドリネールの名前をだして、この羽で脅せばいい。わたしや他の連れの人間は腕に覚えのある連中ばかりなんで、必要ないと思うしさ」
「そうかい?だけど、もし……」
カイアが不吉なものでも見るように、カウンターの孔雀の羽飾りを手に取ろうとした時のことだった。鈴の音が鳴り、来客の訪問を再び告げたのは。
「ハムレットさま!!」
この瞬間、ギネビアは自分が耳まで赤くなるのがはっきりわかった。本来、騎士が一般市民相手に乱闘を演じるといったことは、よほどの事情でもない限りあってはならないことである。ゆえに、ギネビアはこの時、オクセントゥール夫妻を助けるためとはいえ、騎士らしくもなくチンピラ相手に喧嘩などした己を深く恥じていた。
「どうした?何かあったのか」
ハムレットの後ろから入ってきたランスロットがそう聞いた。『怒れる牝牛亭』の外ではちょっとした人だかりが出来ており、近所の人々はヒソヒソ何か囁き交わしている様子だったからである。
「いやね、前からこの店に時々やって来てた悪党どもがうちの人に『表に出ろ!』なんて言ったもんで、金玉の縮こまったキースに代わって、ギネビアが助けてくれたってわけなのさ」
「それはそれは……」カドールに冷たい眼差しによって睨まれると、ギネビアは今度はむしろ憮然とした。今朝方あったやりとりのことをあらためて思いだしたのである。
「ふーんだ!わたしはただ、騎士らしく人助けしたってだけだからな。騎士の守るべき信条そのⅢ.汝、すべからく弱き者を尊び、かの者たちの守護者たるべしと、そのⅩ.汝、いついかなる時も正義と善の味方となりて、不正と悪に立ち向かうべし、だ。あいつらはな、ここの店を狙ってたんだ。ええっと、二階に人が泊まってない時には夜の客を取ればいいとかなんとか……」
「だが、それは法律違反だろう。メレアガンス州以上に解放的な州民性のロットバルト州でさえそうだ」と、カドールが厳しい顔をしたまま言った。ディオルグとウルフィンとホレイショやキャシアスは四人ともこの時、『踊る子鹿亭』のほうで、王子一行が戻ってくるのを待っていたのだ。まさか、ギネビアがひとりでいるとは彼は思ってなかったのである。「とはいえ、それはあくまで建前上の話でもある。巡察隊や守備隊やそういった取り締まりに当たる立場の役人に見つからなきゃいいと思い、隠れて夜の客とやらを取る人間はいくらもいるだろう。あるいはバレても賄賂を渡して済ませようとするなど、逃れる道はいくらもある。まあ、そいつらはようするにアレだ。そうした種類の裏の世界のワルってことだな」
「……カドール、まだ大して説明もしてないのに、よくそこまでわかったな」
ギネビアが感心していると、さらに後ろから店に入ってきたタイスが眉をひそめた。カドールのほうでは口をへの字に曲げたまま、(わからいでか)という顔をしたままだ。
「ですが、そうなると今後、なんらかの報復行為をされる可能性があるのではありませんか?」
「いや、その点はたぶん大丈夫」と、ギネビアがタイスに答える。「なんだっけ。あいつらなんかビビッちゃってさ、四人いたうちの首領みたいな奴が帽子から孔雀の羽を外すみたいな気障っちいことやって、なんか困ったことがあったらボドリネールのだとか言えば助かるとか、変なこと言い残していったからな」
「なんだって!?」と、今度はランスロットが気色ばむ。「そいつ、おまえのことが気に入ったってことなんじゃないのか!?だから、今回は見逃してやろうとか、そういう……」
「絶対違うって」ギネビアはあからさまな嫌悪を顔に滲ませていた。おえっとでも言いたげに。「とにかく、この件についてはもう終わりにしよう。何も問題ないよ。その孔雀の羽はまた変な連中がやって来たら、おかみさんたちがそいつらにちらつかせてボドリネールとかいう奴の名前を唱えたらそれでいいんだ。で、そっちのほうでは何か収穫はあったのかい?」
その後もギベルネス、レンスブルック、キリオン……といったように、結局仲間が全員『怒れる牝牛亭』のほうへ詰めかけるということになった。幸い、現在宿泊客は彼ら以外いない。そこで十二名は二階のギネビアの部屋へ上がっていくと、丸テーブルを囲むようにして適当に座り、話をすることになった。そこへ、先ほどのお礼だと言って、カイアとキースが大皿にいくつも料理を盛りつけて持ってきてくれる。
そして、美味しい料理を食べながらがやがやしゃべるうち、あっちこっちへ話題のほうは脱線しつつ、最終的には次のような形で話がまとまった。1.明日、ハムレットとタイスとカドールは、聖ウルスラ教の大聖堂にて、大修道院長に会う。2.ランスロットとギネビアは聖ウルスラ騎士団の騎士団長、ラウール・フォン・モントーヴァンの邸宅を訪ねる……といったところである。他の者たちはそれぞれ、メルガレス城砦にて物見遊山するなり、それぞれ自由に行動していいということになった。
――こういったわけで、この翌日、ギベルネスは再び仕立て屋街のウルスラ・モーステッセンの服飾店を訪ねることにしていたのである。カドールには「ギベルネ先生もご一緒にどうですか?」と一応誘われていたが、それは(<神の人>として、同行したいのではありませんか?)といった意味であろうと彼にはわかっていた。
「私は私でちょっと、気になることがありますので……」とやんわり断っても、ハムレットもタイスもまったく気にしていない様子だった。というより、彼らにしても突然訪ねていって司教や司祭といった高位聖職者に会えるとは限らないと思っていたというのがあったらしい。
朝食ののち、就労の鐘の鳴る頃にハムレットやランスロットたちが出かけてしまうと、ギベルネスは商店街のあたりを冷やかすというキリオンやレンスブルックとは別れ、仕立て屋街にあるウルスラ・モーステッセンの服飾店を訪ねることにしていた。カドールには「気になることがある」といったように口にしたギベルネスだったが、それは正確には「興味を惹かれたことがある」と言ったほうが良かったに違いない。
仕立て屋街はどこも、最初に来た時と同じくどの店先にも客がいて、賑わっている様子だった。だが、<ウルスラ服飾店>に客の姿はなく、どっしりしたウォールナット材の作業台では、エステルが店番をしつつ、一生懸命刺繍仕事をしているところだった。
>>続く。