こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

残酷な庭で遊ぶ子供たち。-【8】-

2021年07月07日 | 日記

(※萩尾望都先生の漫画『残酷な神が支配する』のネタばれ☆を含みますので、閲覧の際は一応ご注意くださいm(_ _)m)。

 

 あ、萩尾望都先生の名作、「残酷な神が支配する」の感想は、前回で大体のところ終わりなんですけど……その後、ナターシャとマットのことを書くのを忘れてたな~なんていうことを思いだしたというか(^^;)

 

 いえ、マトモな女性(不幸でない女性と言うべきでしょうか)があまり出てこない印象の「残酷な神~」ですが、とりあえずわたしの中で<母性>といった意味では、一番バランスが取れててまともに感じられるのが、実はナターシャでした。

 

 とはいえ、そんな彼女も、グレッグがジェルミをぶっているという事実を知りながら、見て見ない振りをするという大きな罪を犯してしまいます。このことを実の息子にも等しいイアンに責められた時、きっと彼女は心臓を抉られるような思いをしたことでしょう。

 

 もし、あの時すぐに自分が「何か」行動を起こしていたとしたら、グレッグもサンドラも死なずにすんだかもしれない……また、このことと合わせて、リリヤに対してもかけるべき言葉や行動を自分が間違えたから、最愛の妹は自殺することになってしまったのではないか……などなど、読者的には何よりジェルミの苦しみと絶望に目がいってしまうため、それに比べたらナターシャの苦しみなんて――と、ついそんなふうに感じてしまいますが、現実的に考えた場合、ナターシャのこの苦しみは相当重いものであることがわかります。

 

 また、リリヤさんというのは、家庭という牢獄の中で、感情的地獄を最後の一滴までも飲み干してから自殺した女性……といったように思えるんですよね。彼女がロシア人の、元は自分が結婚する予定だった男性と浮気してしまったのは、ある意味自然なことであった気がします。お金持ちの豪華な屋敷に、経済的には何不自由のない生活――その一見、美しくパッケージングされたかのような<幸福な結婚>は、世間の人々の目に「そのように見える」だけであって、リリヤさんから生きる気力のすべてを奪ってゆきました。

 

 そして、モラハラ夫であったグレッグは、再婚したサンドラに対しても、大体のところ同じ過ちを犯しているような気がするんですよね。ただ、今度の場合はジェルミという生贄が存在していることによって……彼の捧げる性的生贄を定期的に受け取ることさえ出来れば、それ以外のことを自分は大目に見ることが出来る――リン・フォレストの平和のために、このことには目を瞑れとナターシャに迫ったグレッグですが、のちにナターシャはこのことで良心の呵責に苦しみます。

 

 8巻に、ナターシャがジェルミにそのことを「許して」とあやまるシーンがありますよね。最初は割と、何気なく流すような形で読んでしまうページですが、二度目とか三度目に読み返してみると……「普通の人にはなかなか出来ないことだろうなあ」ということがわかりますし、現実的に考えた場合、非常に重要なシーンでもあります。何故なら、リンドンが「気のせいだ、そんなはずはないと思っていれば、知っていても知らない振りはできる」と言っていたように――そのように、我が身可愛さや面倒に巻き込まれたくない気持ちから、あえて<傍観者>の立場だった人間から、当の被害者が心をこめてあやまってもらう……なんていうことは、現実の世界では早々起きそうにないと思うからです。

 

 もっとも、ジェルミはナターシャの謝罪を「関係ない」と言って、最初は冷淡な態度だったわけですが、読者のほうでも読んでいて、「わたしでもジェルミの立場ならそうだろう」と感じる場面でもあります。けれど、物語の最後のほうで、ジェルミが心を快復させていくひとつの過程の中で――ナターシャの気持ちが少しずつ通じはじめているとわかるのは、本当に感動的ですよね。

 

 そして、本当の母性が持つ愛の側面として……こんなふうに子供から無視されたり踏みつけにされたりといった過程があるものだと思います。でも、母親がそれを受け容れることが出来るのは、自分もまた自分の母親に同じことをした経験があるからではないでしょうか。ジェルミは10巻で>>「子供を親に育てさせちゃいけないんだ」と、極端に感じられることを言っていますが、もし自分の親を無視し、その愛情を踏みつけにしたにも関わらず、「赦された」という経験を一度も持っていなかったとすれば――ジェルミのように極論に走るのも無理はないのかもしれません(短くまとめたとすれば、「日本一短い母への手紙」の中の、「あの日、あなたに死ねと言った私を殺したい」といった言葉にも似ています)。

 

 なんにしても、物語としては10巻の最後のほうでジェルミがなんとか救われたように感じられるので、きっと彼にはこれから自分の人生に幸せを許せるという、そうした世界が広がってゆくだろう……そんなふうに予感できるため、読者としてはほっと出来るわけですが――その一方で、「本当にそれだけでいいんだろうか?」と、自分的に少しだけ思ったりもしました。いえ、ジェルミには心の底から幸せになって欲しい――その点は絶対的に間違いなくそうなのです。ただ、この世界には現実的に考えて、第二のジェルミというか、第三のジェルミというか、そうした人々がたくさんいるわけですよね。

 

 それで、グレッグの被っていたあの気味の悪い仮面というのは……実はわたし自身も普段から取ったり着けたりしているものなのではないか、といったように気づいたというか(こんなことまで読者に思わせるなんて、ほんと凄いぜ、萩尾望都^^;)

 

 たとえば――昔こういう小説を読んだことがあります。タイトルをあえて伏せるのは、読んだのが昔すぎて、若干内容に自信がないからですが、映画化もされてるみたいなので、ご存知の方はご存知と思います(あ、ちなみにわたし、映画のほうは見てなかったり)。

 

 その家庭には三人姉妹がいて、長女と次女が実の父親から性的虐待を受けていたんですよね。そして、父親は今は自分がなんの虐待も加えなかった三女と仲がいい……長女のほうは、父親が自分のベッドに来て何をしたのかを、今はすっかり忘れてしまっています(ショックのあまり、そのような記憶の処理がなされたらしい)。けれど、次女のほうではこのことをよく覚えており、父親が死んでのち、近所の人々に「そういう酷い父親だった」ということを吹聴して歩いたわけです。ところがこの近所の人たちは、そんな次女に対し「どうかしている」と、嫌悪感を覚えたらしく。「他でもない自分の父親のことじゃないの」とか、「死んだ人に対して、そんなひどいことを言うものじゃない」とか、大体のところそうした反応だったと言います。

 

 つまり、どういうことかというと、彼らは「仮にそれが事実であったにせよ、そんなことを私達は知りたくなかった」という、そういうことなんですよね。何故なら、彼らにとって彼女たち三姉妹の父親というのは、「隣人としていい人間だった」からです。「ちょっと気の短いところもあったが、いい奴だった」という、そんなところ。「いい隣人」としての顔だけを自分たちに見せてくれている分には、それ以上のことなんて近所の人たちにとってはいい迷惑なだけで、必要ないわけです。

 

 わかりにくいかもしれませんが、これは言い換えるとしたら、こういうことですよね。グレッグの葬式の席で、もし仮にジェルミが良心の呵責に耐えかね、親戚が全員揃っている場で、気が狂ったように真実をすべてぶちまけたとします。でも、イアンが最初、ジェルミの言葉を否認したように――「いい友人」、「いい会社の取引先の人間」といったグレッグの顔しか知らない人々にとって、グレッグのもうひとつの異常性欲者としての顔なんて、自分に向けられさえしなければどうでもいいことだし、むしろ邪魔なくらいでもあったでしょう。

 

 また、そんな事実を教えられたところで、普段自分たちが知っているグレッグ・ローランドの持つ顔と、ジェルミの言った彼の隠れたもうひとつの顔とが、彼らの中では決して一致しない。このことでは、実際ジェルミ自身も作中で悩んでいます。他でもない、「自分を愛してくれていたはずのサンドラ」と、「見て見ぬ振りをしていたサンドラ」とが、ジェルミの中では一致しないからです。

 

 他に、「残酷な神が支配する」の中では、セイラムの魔女裁判のことからはじまって、ジェルミがクリスマス・イヴからクリスマスの日にかけて、グレッグの車に細工をするなど、徹底的にキリスト教の神の存在を否定する描写が間接的に入れられているわけですが――その中のエピソードのひとつとして、ベリー牧師の息子、パスカルの問題が出てきます。

 

 まあ、牧師とそのダメ息子の問題については、書くとやったら長くなると思うので端折りますが(笑)、とにかく、牧師の息子が同性愛者でそうしたプレイの最中に人に怪我をさせるどころでなく……現実の問題として、神父や牧師がジェルミよりもっと小さな男の子たちにそうした性的関係を強要するということがある。

 

 こういう時、周囲の人々というのは、事実を直視せず、「黙殺する」方向に動くと、以前聞いたことがあります。何故なら、それまで自分たちが尊敬し、日曜礼拝の時にはその説教に涙したこともある神父や牧師といった聖職者がそんな罪深いことをしていただなんて――どう対処していいか到底わからないからです。

 

 そして、相手が神父であれ牧師であれ、その他作中のグレッグであれ、今現在そうした性的虐待を子供たちに加えている誰であっても……見て見ぬふりをしては決していけないし、「そんな馬鹿な」とか、「ありえるはずがない」と考えるのではなく、現実を直視するということが一番大切なんだろうなと思いました。それがどんなに見たくない、自分にとって都合の悪い、痛いものであったとしても。

 

 でも、これはわたしも出来るかどうかわからないなって思いました。つまり、それがわたしもグレッグと同じあの仮面を持っているということの意味です。その事実がもし自分にとって都合の悪いものなら、サッと仮面をつけて、見て見ぬ振りをしたほうが、もしかしたら気持ちが楽かもしれない……そういった偽善者の仮面をつけていることが普段絶対にないと言い切れる人は、おそらくこの地上にひとりもいないでしょう(もしいたとすれば、仮面が現実の顔にフィットしすぎるあまり、一体化してしまってる人だけかもしれません)。

 

 そうした意味で、ナターシャがどれほど苦しんだかと思いますし、彼女に育てられたに等しいマットも、あんなに健全に育つと思ってなかっただけに(笑)、あくまで作中ではさり気なく成長している、そのくらい時が経過した……といったような何気ない表現のようにも見えますが、マットの健全な成長というのは、読者にとって非常に嬉しいものだったと思います(そして、ナンちゃんもキャラとして密かなお気に入り)。

 

 それで、最終的に何を言いたいかというと……「残酷な神が支配する」は、随分前に完結した漫画かもしれませんが、今もこうした「残酷な神」と戦っている人にとって助けになる本であると同時に、自分が虐待された当の本人でなかったとしても、色々なことを今も問いかけてくる、それは今後、十年経っても二十年経っても変わらない普遍的価値を持っているだろうという意味で――今後も、名作という名の問題作であり続けるだろうということです(^^;)

 

 ではでは、最後にかなりどーでもいい、グレッグ劇場☆で話を終わりたいと思いますm(_ _)m

 

 

 ~グレッグ劇場☆その1、「オレか、オレ以外か」~

 

 グレッグ:「ジェルミ、もう一度聞こう。私か、私以外か……」

 

 ジェルミ:「あんた以外だーっ!誰がなんと言おうが、絶対にあんた以外だーっ!!

 

 グレッグ:「(ムッとする)悪い子だね。そんな子はお仕置きしなきゃいけないよ

 

 ジェルミ:「ローランド違いも甚だしいっていうのはあんたのことだよっ!あんたなんか、朝食にはいつでも、ケロッグでも食べてりゃいいんだっ。あとは、無数のフロッグに囲まれて……あうっ!!

 

(ムチでぶたれるジェルミくん☆

 

 グレッグ:「無数のカエルがなんだって……!?もう一度言ってみろ、ジェルミっ!!

 

 ジェルミ:「何度でも言ってやるっ!!あんたなんか、無数のフロッグに囲まれて、ケロッグでも食べてりゃいいってね」

 

 グレッグ:「ケロッグ・コーンフロストか……わたしがそんなものを食べているところが、そんなに面白いとでもいうのかね!?

 

 ――いえ、最初はグレッグの性暴力シーンって、読むのがつらいというそれだけなんですけど……何度目かのターンになってくると、だんだんこういうギャグ☆がたま~に差し挟まってくるというか(「無数のフロッグに囲まれてケロッグを食べるグレッグ」という、ジェルミくん渾身のギャグが、変態父さんにはまったく通じなかった……というネタです。くだらなくてすみません^^;)

 

 

 ~グレッグ小劇場☆その2~私は実は数字に弱いんだ~

 

 グレッグ:「最近、わたしはあることに気づいたんだよ、ジェルミ。3+3は6らしいってことにね……」

 

 ジェルミ:「はっ、ははははっ!!あんた、馬鹿なんじゃないの!?そんなこと、小学生だって知ってるよ

 

 グレッグ:「(ムッとする)何を言ってるっ!じゃあ、これはわかるか!?4+4の合計は、いくつだ?

 

 ジェルミ:「8だよっ。決まってるじゃないか。じゃあ、今度はこっちから聞こう。8+5-2は!?

 

 グレッグ:「(ムチを片手に例のお面を被ったまま、一生懸命指折り数える)え~っと、12かな?

 

 ジェルミ:「はははっ。このバーカっ!!12じゃなくて11だよ。よくあんたそんなんで、大学を卒業できたもんだね。金でも積んだんだろう、ええっ!?それとも裏口入学かっ」

 

 グレッグ:「ふっ、フハハハハーのフハハハハーだっ!!ジェルミ、どうやら今夜は楽しい夜になりそうだな。覚悟することだ

 

 

 くだらなくってすみませんww

 

 でも、最初の2~3回くらいは、笑いの入り込む余地なんて1ミリたりともないんですけど……こういう記事書くのに、何度か事実確認のために読み返したりすると、こういう種類のアテレコ☆みたいのがほぼ無限に出来てくるんですよね。いやはや、困ったものです(笑)

 

 最後は、イアンとリンドンのネタです。。。

 

 

 ~イアンとリンドンの「君の名は」~

 

 イアン:「だから、僕はジェルミのことで悩んでるんだって。ドンリン・エドリン」

 

 リンドン:「だから、私の名前はリンドン・エドリンだと、何度も言ってるでしょう。間違えないでください」

 

 イアン:「だから、何度も僕もそう言ってるじゃないか。リンエド・ドンリン」

 

 リンドン:「いいかげんにしてもらえませんか。次に間違えたら、流石に私も怒りますよ」

 

 イアン:「わかってるよ、ドンエド・リンリン。僕はこれでも頭はいいほうなんだから」

 

 リンドン:「(ふーと溜息を着いて)あなたそもそも、私の名前を覚える気がないんですね……?そんなんだからジェルミに振られるんですよ

 

 イアン:「それとこれとは話が別だっ!!ドンドン・リンリン」

 

 リンドン:「あ~……こういう時、日本の漫才や落語なんかでは、「おあとがよろしいようで」って言うんでしたっけね?(^^;)」

 

 

 いえいえ、ほんとにおあとがよろしいようで……(殴☆

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

 


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