こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

マリのいた夏。-【19】-

2023年01月06日 | マリのいた夏。

 

 ええと、そろそろ書いても大丈夫(?)かなと思うんですけど……この小説はたぶん、LGBTQIA小説だと思います(^^;)

 

 と言っても、この中で特に取り上げられてるのがLBTIのあたりかなと思ったりするんですけど、最初にこのテーマで何か書きたいというか書けそうというか、書いてみようかなって思ったきっかけは、モデルのハンネ・ギャビー・オディールさんの記事を偶然見たことだったかもしれません

 

『トップモデルが壮絶な告白~手術されるインターセックスの子供たち~』(Newsweek日本版)

 

『モデルのハンネ・ギャビーが語る、ジェンダーと愛』(VOGUE)

 

 確か、『ピアノと薔薇の日々』を書いてる時くらいに、何か海外生活的なことを調べていて、関連記事として出てきたような記憶があります。そうしたインターセックス(DSD/性分化疾患)ということについては一応知ってはいたものの……わたしがこの時よりずっと昔に見た記事では、半陰陽といったような表現だったように記憶してます。

 

 それでこのあと、こちらも偶然中国人の男性が確か血尿……だったと思うんですけど、そのことがきっかけで病院にかかったところ、DSDであることがわかったという記事を読みました。この男性はすでに成人していて、自分がDSDであるとはまったく自覚せずに、ずっと自分のことは男性と思って生きてきて、外見のほうも誰が見ても男性らしい容姿だったようで……だから、その後の決断のほうもまったく迷いなく速いものだったみたいなんですよね。

 

 つまり、この方の場合男性器と女性器が両方体内で育ったことで――必要のない女性器のほうが他の臓器を圧迫したことが出血の原因だったとのことで、すぐに必要のない女性器のほうの摘出手術を受けたということでした。

 

 その……わたしこの時思ったんですけど、この方の場合は性自認のほうも男性だったのですぐ決断できたと思うんですけど、もしこの方がそもそもジェンダー的なことで悩んでいて、このことが発覚したのだとしたら――相当悩むことになったんじゃないかなって思ったというか(^^;)

 

 何分、中国の方ですし、もし仮に周囲から「おまえは男の中の男らしくあれ!」みたいに厳しく育てられたものの、本当は好きになる対象も男性であり、女装したり化粧したりすることにも興味あるのに、世間の目を慮って一生懸命男らしく頑張りに頑張って生きてきた……とかだったら、すべてのことが腑に落ちて、「新しい人生」、「第二の人生」、「本当の性を選択することの出来る人生」を生きることになんのためらいもなかったとしても――それは当然のことではないだろうか、といったように。

 

 でも、実際にはそれもまた相当難しいことなわけですよね。両親も周囲の人々も自分を<男>として育て、そのようにすっかり思い込んでいるというのに……今から「本当は自分のことは女と思っていた。でも、男として無理に合わせて生きてきた」と言われた場合、たとえばニューヨークとか、そうした都会でなら「あなたの新しい人生を祝福するわ」と、理解のある両親が息子/娘に理解を示すということがあるかもしれません。

 

 でも、いくらダイバーシティだ多様性だと言っていても――これって今はまだ結局のところ「正しい理屈」でしかない気がするんですよね。もう少し世代交代が進めば、このことが「当たり前」になるかもしれなくても、「いかにも男っぽい見た目の人」はそういうカテゴリーに入ってもらい、「いかにも女性らしい」容姿の方はそういうカテゴリーに入ってもらって安心したい的本能が人にはあって……それはやっぱり本能的なものだから、「正しい理屈」によってそう教育されれば、いずれそちらが主流になっていくとしても、今はまだ発展途上な感じですよね、たぶん。。。

 

 なんていうか、「ああ、うん。理屈としてはそっちのが正しいと思うんだけどさ。でも……」っていう、その後に続く言い訳を持つ人のほうが、各自多かったりするんじゃないかなっていう気がします(そしてわたし自身も自分でそうなんじゃないかな、と思っていたり)。

 

 もっともわたし、自分が心理的に百合寄りなので、そのあたりのことについて小説として書いてみたかったとか、そういうことでもなく……例によって難しいことはあんましよく考えてません(^^;)

 

 ジェンダーのことについて強い主張があるというわけでもなく、あくまで軽い気持ちで書いた恋愛小説らしき何かだと思う、というか。あとは本当に、こちらも偶然的きっかけによって見ることになった『Lの世界』が与えた衝撃とドラマの持つ素晴らしい内容の濃さ……そのあたりが何かこう無意識世界で結びついて、「書いてみようかな」と思って書いたといった程度のことかな、なんて。。。

 

 なんにしても、思想的深い掘り下げのない軽い恋愛小説とは思うものの――このあたりのことについてはまた、前文に十分余白のある時にでも、何か書いてみたいと思っていますm(_ _)m

 

 それではまた~!!

 

 

     マリのいた夏。-【19】-

 

 マーカス・ハミルトンとフランチェスカ・ミドルトンの結婚式にて、マリとルークとロリが再会するまでの四年間に……ロリとルークの間には色々あった。まず、ふたりはその後、ロリがミネルヴァ短大を卒業し、アンソニー・ワイス私設図書館へ勤めだす前に結婚した。

 

 と言っても、田舎のほうにある小さなチャペルにて、親族や親しい友人を少しばかり招いたといった程度の、ほんのささやかばかりの結婚式だった(マリにも招待状を出したが、ある意味当然のことながら彼はやって来なかった)。

 

 また、ロリがルークと実際に結婚するまでの間――少しばかりふたりの周囲に不穏な空気の流れた時期があった。ルークとロリのふたりの間に、ではなく、ルークは長く王子キャラで通ってきたため、その彼がお似合いの恋人だったマリ・ミドルトンと別れ、今度は何やらまるでパッとしない女とつきあいだしたということで……どこでどう突き止めたものか、呪いの手紙が届いたり、不気味なミイラ人形がプレゼントとして送られてきたりと、このことではふたりとも随分神経を削られる思いをしたものだった。

 

 さらにそれだけではなく、ロリは中学・高校時代の友人たちと一時期関係をこじらせることにもなったのである。ロリはマリを傷つけたことで、自分自身も傷ついていたため……暫くの間誰にもルークとの交際のことを知らせなかった。けれど、そのことを話すとしたら、一番最初に言う相手はエリだと思っていた。そして、ルークとの交際で幸せなあまり、ロリの中でこの親友のことが少し遠のいていたというのも、確かに事実ではあったのである。

 

 そんなエリがある日、ロリが自宅の庭で来年の春に向け、水仙やヒヤシンスやチューリップといった球根を植えていた時のこと……突然訪ねてきたのである。エリとは引っ越しパーティをした日以来会っていなかったけれど、彼女がこんな遠くまでわざわざやって来たからには――何か大切な話があるのだろうと、ロリは漠然と直感していた。

 

(もしかして、クリスのこととか?それとも、大学で何かあったとか……)

 

 エリが怖い顔をしていたため、ロリは驚きつつ、彼女を庭のウッドデッキから家の中へ招こうとした。けれど、エリは「ここでいい」と言って、首を振るばかりだったのである。

 

「単刀直入に言うね。これ、一体何?」

 

 そう言ってエリは、スマートフォンをポケットの中から取りだし、そこに映っているものを見せた。そこには――今となってはかなり前のことになるが、ルークのマンション前で抱きあうロリと彼の姿があった。

 

「それ、どこで……」

 

 夜のことだったため、周囲は暗く、建物の照明の光によってぼんやり顔が見分けられる程度といった写真ではあった。そう考えた場合、特にどうということもない写真ではあるが、自分たちがまったく意識してない瞬間を誰かに見られていたことのほうが――ロリにはショックだったかもしれない。

 

「さあ、どこでだろうね」と、エリは冷たい口調で言った。「あんたもルークもエゴサーチとかしないの?似たような写真ならいくらでも出回ってるみたいよ。これはあくまでわたしが思うにはっていうことだけど、ルークがマリとつきあってる間はこういうことはなかったでしょ。理想的すぎるくらいお似合いなカップルなもんで、誰も何も言えなかったんでしょうね。だけどロリ、あんたは違う。こんな子程度でいいなら、なんでルークはわたしともつきあってくれないのみたいに思う子が、きっと五万といるんだろうね。ちなみにわたしもそう思うから、今日こんなふうにやって来ちゃったんだけど……毎日ネットでルークの新情報漁ろうとするのにも疲れたし」

 

「う……うん。でもルーク、テニスのほうはもう引退しちゃったし、そんなことになってるだなんて、全然知らなかった。確かに、わたしはルークと全然釣り合ってないとは思うけど……あ、あのね。エリにもそのうち話そうとは思ってたんだ。ただ、引っ越しとか大学での勉強とか、色々忙しくて先延ばしになっててごめんね」

 

(ごめんねですって!?)

 

 ロリはもともとのんびりした性格の子ではあったが、この時、エリは自分が生来せっかちな性格だからではなく、親友から漂ってくる愛されている女の幸せなオーラに、何より腹が立った。

 

「じゃあ、一体いつ話すつもりだったわけ?親友から恋人を奪っておいて……それで言いづらくてわたしにも、他の仲間のみんなにもずっと黙ってルークと関係を続けてたんでしょ!?それにあんた、今わたしの話聞いてた?わたしだって――ずっとルークのことが好きだったんだよ!それこそ、小学生の頃から。でも相手がマリじゃ、諦める以外ないでしょ?わたしがクリスとなかなか先の関係に進めないのがなんでだかあんたにわかる!?本当はルークのことが好きなのに、他の友達としか思えない男とそうした関係になるだなんて……全然思い切れないからじゃないっ!!」

 

(それは、クリスにだって失礼じゃない)といったようには、ロリは思わなかった。というより、彼は頭が良く、エリのことについては親友の自分以上によくわかっている男でもあった。『それでもいいんだ。だってぼく、エリと一緒にいられるだけで幸せだからさ』と、いつでも笑顔でそんなふうに言っていた。

 

「わたし……マリとの間で色々あって、それでマリのことも傷つけちゃったし、だから身勝手かもしれないけど、そのことで自分も傷ついて、そのせいでエリや他の友達にも『実はルークとつきあってる』だなんて、わざわざ言う気になれなかったの。でも、ルークはライアンやラースに会った時、『マリと別れてロリとつきあってる』みたいにはもう話してあるって言ってたし……」

 

「ロリ、あんたさ、知ってたでしょ?直接はっきりそうあんたに言ったことはなかったけど……わたしがルークのこと好きだって、昔からずっと知ってたよね!?」

 

 マリは実は数日前にエリに電話をかけて、こんなふうに言っていた。『わたし、ルークと別れて、それでルークは今ロリとつきあってるんだけど……そのことでロリのこと、責めないであげてくれないかな。わたしはルークとは幼馴染みの延長線上みたいな関係だったし、お互い、もう何もかも知り尽くしちゃってる同士でしょ?別れることになったのはそこらへんが原因だから、ルークが次に優しいロリとつきあうことにしたのは、ある意味自然な流れだよ。あ、言っとくけど、ロリのこと誘惑したのはルークのほうだからね。もしそうじゃなかったら、あの子はわたしを裏切ることなんか、頭に思い浮かびもしないような子なんだから』――このあと、エリは当然のことながら、『マリは本当にそれでいいの!?』とか、『ルーク以上にいい男なんているわけないのに、マリはほんっとなんにもわかってない!』といった話をしつこく続けたが、マリ自身のほうこそがそうした話題にうんざりしているとは、エリは最後までついぞ気づかなかったようである。

 

「そ……それは、確かにルークのことは、オリビアとか、他の大抵の女子が憧れてたから……でも、エリはいつもルークに対してクールな態度だったし、正直、わたしはそんなふうに思ったことなかったよ。それに、エリがクリスとつきあいだしたっていうことは……ご、ごめんね。きっとわたしが悪いんだと思うけど、もしエリが怒ってるのがそのことが原因なら、本当にわたしが悪いんだと思う」

 

「あたし……ロリ、あんたにだけは、こんな手ひどい形で裏切られるなんて考えてみたことなかったっ!!もうこれであんたとは絶交だから、もう二度と電話でもメールでもなんでも、一切連絡しないでくれる!?それだけ言うのに、わざわざこんなところまでやって来たの。なんでって、電話やら何やらで同じこと言ったら、あんた絶対直接あやまりにうちに何度も来たりするでしょ?そういうの、超うざいから絶対やめてよねっ!!」

 

 あまりのことに呆然としているロリのことを置き去りにして、エリはそのままずかずか歩いていって、入ってきた庭の木戸から出ていこうとした。けれど、庭木戸のところでくるりと振り返ると、もう一度ロリの元までつかつか戻ってきて――ビッタァ~ン!!という物凄い音をさせ、彼女は元親友だった女の頬を引っぱたいたのだった。

 

「これは、マリの分だからねっ!!」

 

 ――エリはもともと、せっかちで短気な性格をしてはいた。また、他人との競争に打ち勝つことも好んだが、そのようにお互い似たような性格をしていればこそ、彼女はマリと馬が合ったのだろう。けれど、マリのほうではのんびりした性格のロリを間に挟むからこそ、エリとは喧嘩ひとつすることがなかったのだろうと気づけているのに対し、エリはずっとそう思ってこなかったようである。

 

 ロリはこのあと、前に住んでいた屋敷より、少しばかり狭くなった庭にて、ひとり雑草を抜いたり枯葉を掃いて片付けたりした。エリが実はあんなにもルークのことが好きだったとは、ロリは本当にまったく知らなかった。けれど、赤や茶や黄色の枯葉を熊手で集め、ビニール袋にしまっていた時……『今一体何が起きたのか』、ロリははっきり自覚したのである。自分は長く隣人として親しくしてきたマリ・ミドルトンという大切な友人を失ったのみならず、もうひとりの『彼女は何があっても、これから先ずっと親友だ』と、そのように感じていた友のことをも失ったのだということを……。

 

   *   *   *   *   *   *   *

 

 こうしたことがあって以降、ロリは中学・高校時代の友人とは距離を置くことになった。クリスなどは気を遣って電話をかけてきてくれ、『もう暫くすればきっとエリのほうからロリにあやまるようになるよ』と言ってくれた。けれど、その時のロリにはあまりそう思えなかったし、この絶交状態が永遠に続くのだろうとすら感じていた。クリスがどんなに『今はエリにしても、もうちょっと時間が必要なだけだよ』と慰めてくれたとしても……。

 

 結局、エリがロリと仲直りしたのは、ライアンやラース経由で、ふたりが結婚するらしいと聞いて以降のことだった。その前まで、(ロリなんか、そのうちルークに飽きられて捨てられればいい)とすら思っていたエリだったが、「結婚する」と聞いた途端、ふたりの関係が本当に真剣な――マリという共通の親友を傷つけてまでも結ばれるほどの――ものだったとわかり、彼女はその後はなんのわだかまりもなく、ロリと以前の親友関係へ戻っていたのである。

 

 当初は、(マリのことを傷つけたから、罰が当たったんだ)とロリも随分思い悩んだが、エリは怒るとすぐカッとなるタイプであり、その後自分が悪かった場合は特に、反省してきちんとあやまってくるタイプでもあった。また、正直で嘘がつけない性格でもあるため、「あの時はさ、ロリに対してほんとに腹が立ってしょうがなかったわけ」と、あとから懺悔していた。「まあ、簡単にいえば嫉妬だよね。ルークがマリと別れたとしたら……わたしにだってチャンスあったんじゃん!それなのに、ロリがとんびに油揚げよろしくタイミングを見計らってうまいことやったみたいに、そう思ったんだろうね。でも結局、それで良かったんだと思う。ロリ、あんたは災難だったろうけど、クリスに『ルークのことが本当は好きだったのに、ロリとつきあうことになって悔しい』って言ったら、『そんなこと、オレはずっと昔から知ってたよ』なんて言うんだもん。でも、わたしのはただのアヒルやニワトリのヒナが初めて見たものをママだと思うのにも似た初恋なんじゃないかって。あーもう、そのあとは早かった、早かった。クリスは待ってただけの甲斐はあったって言うんだけど……あいつこそほんと、ただの刷り込みによってわたしのこと好きなだけなんじゃないかとしか思えないわ」

 

 ――仲間内の間で、ロリとルークの次に結婚したのはエリカ・オースティンとクリス・ノーランドだった。ふたりは結ばれるのとほとんど同時くらいに同棲をはじめ、これなら結婚してるのと変わりないから結婚しようということで……大学卒業を待たずに、エリの父親が牧会している教会にて、結婚式を挙げた。けれど、エリカとクリスの結婚式にもマリは姿を現すことはなく、その後マリは本当に暫く仲間内から完全に消息を絶っていたのである。

 

 ロリの母シャーロットがマリの母エマから聞いた話によれば、マリはイギリスにテニス留学しているとのことだったが――あとにしてみれば、それもどこまでが本当だったのだろうと、ロリにしてもルークにしても疑問に思うことになったものである。

 

 そして、ロリとルークの結婚式にも、エリとクリスの結婚式にもやって来なかったマリだったが、唯一、「まったく反吐が出るほど似合いのカップルね」と軽蔑していた姉フランチェスカと元彼氏の兄マーカスの結婚式へは、彼女は恋人を同伴して出席していたのである。けれど、その場にいた誰もが彼女……いや、彼を元のマリ・ミドルトンと同一人物であるといったようには認識しなかったし、出来なかったことだろう。

 

 何故ならマリは、性転換手術を受けたことにより、まるで別人のように様変わりしていたからである。彼はただ、『誰かが自分に気づく可能性もなくはないが、おそらくは気づかないだろう』と思いつつ、交際中のフランス人モデルと一緒に、後ろのほうの座席に座っていた。両親からは、自分は花嫁の妹とも弟とも語るなと固く約束させられていたため、マリとしては黙ってそのことを承諾していたわけである。

 

 頬を覆う黒々とした濃い髭に、男としては長髪の、肩にかかる柔らかくカールした髪……タキシードを着たその姿は、どこからどう見ても威厳ある紳士そのものだった。ラベンダー色のドレスを着たブロンドに青い瞳の美女は、すっかり恋人に参っているような様子で、隣のマリのほうへ身を寄りかからせている。

 

 礼拝堂のほうは、ユトレイシアの中でも一、二を争うほど歴史と伝統ある建物で、パイプオルガンの設置された、荘厳そのものの建造物であった。マリは中央の祭壇真後ろにあるステンドグラスと、その上の十字架、それに天井に描かれた天使と聖霊を象徴した鳩の絵画などを見て――この時もふと、ある夢想に耽っていた。彼はずっと、こんな建物でロリと結婚式を挙げられたらどんなにいいかと想像してきた。『ロリ・オルジェン。あなたは健やかなる時も、病める時も、彼、マリ・ミドルトンを愛することを誓いますか?』、初々しい花嫁はイエスと答え、マリもまた同じ質問に対し、イエスと答える。それから純白の花嫁のヴェールをあげ、マリは愛しの花嫁にキスをするのだ。それも、ヒッチコックの映画『汚名』のイングリッド・バーグマンとケーリー・グラントのように、長々と続くキスをいついつまでも……。

 

 この時、結婚式がはじまるまでまだ間があったため、パイプオルガンの前では、オルガン奏者が練習しているところだった。こう言ってはなんだが、マリは(あまり上手くないな、こいつ。大丈夫か)などと内心思っていたが、隣の恋人の腕をつんつんつつくと、ミッシィはこんな言葉を彼に囁いた。

 

「ねえマリ、わたし、ピアノ弾きよりオルガン奏者のほうがエロいと思ってるのよ。それがなんでだか、わかる?」

 

「さて、なんでだか」

 

 マリは男性ホルモンの投与により、声のほうも低くなっていた。ゆえに、容姿ばかりによってではなく、声によっても彼がマリ・ミドルトンであると気づける者は――これからやって来る招待客の中に、おそらくひとりもいなかったに違いない。

 

「ほら、ピアノっていうのはね、ピアノの鍵盤を叩く指の強弱によって音を調節するでしょう?エリック・サティの曲に、『ヴェクサシオン』っていう、十八時間も続く世界で一番長いと言われる曲があるけど……わたしね、ピアノじゃどの曲も疲れて無理な気がするけど、オルガンなら少なくともピアノよりは長く弾き続けられる気がするのよ。なんでだかわかる?」

 

「さあ。わからんな」

 

 マリもフランチェスカも、母親の乙女な趣味により、幼少時よりピアノを習わされていた。だが、マリはオルガンを弾いたことがなかったのでよくわからなかったのである。というより、(ピアノにせよオルガンにせよ、十八時間も弾き続ければどんな名ピアニストもオルガニストもイヤになるだろうよ)としか思えない。(それに、エリック・サティのあの曲だって、同じモチーフの繰り返しで、四時間ばかりも弾いていれば、奏者のみならず聞いてるほうだってノイローゼになるだろうしな)とも。

 

「だーかーらー、ピアノの音の強弱は指で調節するわけだけど、オルガンは違うじゃない。もちろん、普通のオルガンとパイプオルガンとじゃ構造が違うけど、足許のペダルで音の大きさを調節するから、わたし、ピアノ奏者よりオルガン奏者のほうが鍵盤を弾くタッチがエロティックな気がしてるの。だって、そのまま永遠にでも音の快楽を続けられそうな感じがするじゃない?」

 

「ああ、なるほどな。それでわたしにもわかったよ。ピアノ奏者のほうはまあ、男のセックスだな。指によって強弱を調節するから、コントロールが難しくて消耗する。だが、オルガン奏者のほうのは言ってみればレズビアンのセックスだ。続けようと思えば、ネチネチ永遠にでも快楽を続けられる……しかもそれでいて、パイプオルガンで弾く宗教曲と同じく、最高に上りつめて昇天する時というのがちゃんとあるんだからな」

 

「そうそう!そうよ、マリ。わたし、そのことが言いたかったの」

 

 恋人が興奮したように大声をだしたため、マリは「しっ!」とたしなめた。そして、フランス人形のように華奢な容姿の彼女にこう聞く。「今日一日だけ、わたしの名前はなんというんだっけ?」すると、彼の妖精のように可愛らしい恋人は、ハッとして口許を押さえていた。「そっ、そうよね、ローガン。えっと、それよりムッシュー・ウルフとでもお呼びしたほうがよろしかったかしら?」

 

(わかればよろしい)というように、マリは何度も頷いた。こののち、招待客が次から次へと押し寄せるように入ってくるようになり――三百名ほど収容できる礼拝堂のほうは、約四十分後には着飾った人々でいっぱいになった。マリが恋人とともに少し早めに座席へ座っていたのには理由がある。前のほうにある家族席のほうへ座るのは、両親に迷惑をかけることになるだろう。ゆえに、後ろの目立たぬ席を先に確保しておきたかったことと、ロリやルークや、彼にとって親しかった友人らの様子をそれとなく見たかったというのがある。

 

(もちろん、誰も気づくということはないだろうがな……)

 

 こののち、マリは座席確保のために、恋人のミッシィをその場へ残しておいて、煙草を吸うために外へ出た。花嫁と花婿は礼拝堂とも繋がっている別の建物のほうで、それぞれ待機しているはずであった。おそらく姉のフランチェスカは「お父さん、お母さん。今まで育ててくれて……」云々といったことを涙を浮かべて話し、母のエマも涙もろい父もハンカチやティッシュで目頭や目尻を拭っているに違いない。

 

(そんなくだらん家族ごっこなら、オレ抜きでやってくれ)

 

 マリとしてはそう思うのみだったが、彼が教会の外へ出て、少し離れたところに広がる墓地を眺めつつ、煙草を吸うことにしたのには――ある理由があった。やがてロリがルークと一緒に教会へ姿を現すことを思うと、だんだんに胸がドキドキして、動悸までしてきたからである。

 

 マリにとって、ルークは大切な昔の親友ではあったが、いまや最も愛する女性を奪った憎い男でもあった。マリはふたりが結婚したことを当然知っていたが、もしふたりの関係がうまくいっておらず、ロリが不幸であったとしたら……男になった自分を選んでくれる可能性というのも、まったくないとは言い切れないのではないだろうか?

 

 正直なところを言って、マリはフランチェスカとマーカスの結婚式などどうでも良かった。姉が不幸に泣き叫ぶショーが開催されるというのであれば、地の果てからでも馳せ参じたに違いないが、将来を約束された誰もが羨む優秀な男と結婚する晴れの日のことなど――(クソくらえ!)としか思えない。けれど、マリは一度だけでいいから男になった今の自分の姿で、ロリと会ってみたかった。髭まで豊かに蓄えてから結婚式へ臨んだのは、誰にも気づかれないためだったが、髭もすっかり剃り、髪のほうもロリ好みに合わせたなら……自分と恋に落ちてくれる可能性というのは、決してゼロではないと思っている。

 

 そしてこの時、最高に幸せなカップルを祝ってでもいるかのような晴れた空の下、マリがフーッと、溜息でも着くように煙草の煙を吐きだした時のことだった。礼拝堂とその裏手の会堂を繋ぐ場所にある中庭から、どうやら一組の男女が揉めているらしい声が聞こえてきたのは……。

 

「困るよ、こんな……君も知ってるだろ?ぼくは今日、長く婚約してきた女性と結婚するんだ。あの時にあったアレは、君がぼくの医療ミスを告発するだなんだ騒いだから……いいかい?あれは断じてぼくのミスではない。だってぼくはその時、執刀医というわけじゃなく、あくまで第一助手として手術室には入ってたんだから。それで、キンバリー先生の指示通り……」

 

「先生。わたし、もうそんなことどうだっていいんです。わかってらっしゃるでしょ?確かにそのことを盾に先生に関係を迫りましたけど、先生が夜勤の時、宿直室を訪ねる看護師なんて、ひとりふたりじゃありませんものね。でも、こうしたことも全部、あの幸せそうな花嫁さんが知ったとしたら、一体どうなるやら……」

 

「なっ、何を言うんだ、君はっ。今日ここへは、病院のぼくの同僚や上司にあたる先生たちもみんな来ることになってるんだぞっ!もしそんなことでぼくを脅そうというんなら……」

 

「わかってらっしゃるじゃありませんか、先生。わたし、術場の看護師なんて仕事、ほとほとうんざりしてるんです。でも、他の科に移らないのは、ベテランとして仕事の腕を認めてもらっていることと、あとは他の病院へ移ったりするよりお給料のほうがいいからです。それで、ね、先生。こうしたこと全部、わたし黙ってますから……少しばかりお金のほう、都合して欲しいんですのよ。先生みたいなお金持ちに比べたら、わたしの要求するお金なんて、ほんの小銭程度のものでしょうからね」

 

「しょうがないな。そのかわり、これきりにしてくれよ。それで、一体いくら欲しいんだい?」

 

(……こりゃあ、おったまげた)

 

 しかもこのあと、別れのキスなのかなんなのか、くだんの年増の看護師にぶっちゅううっとキスされたらしく、マーカスはハンカチで口許の口紅を拭いながら、会堂へ続くドアのほうへ戻っていったのである(当然彼は、マリの姿を視界の端に認めはしても、彼が誰なのかさっぱり気づかなかった)。

 

(ということはアレか。あいつのしょうもないクソ親父の病的な浮気虫は、マーカスに遺伝したってことか?それに、あの看護師の口振りから言って、結婚して以後は行いを改めるだの、そんなことはなさそうだぞ。そうか。ハミルトンのお祖母さまが言ってたのはこういうことだな。フランチェスカはそんなこととは露知らず、永遠の夫と自分が決めた男と初夜を迎え、大体二、三人くらい子供を生んでのちは――マーカスが浮気してようとどうだろうと、気づかない振りでもしてやりすごすしかないといったような人生ってことだろう。まったくもって尊い限りの、素晴らしい人生を約束されたお嬢さんだ……)

 

 マリは今、自分が元の女の姿でないのが少しばかり残念だった。何故なら、前の自分の姿で今の会話を聞いたのだったら、にんまり笑ってマーカスにこう言ってやることが出来ただろう。「よう、クソマーカス。フランチェスカにこのこと黙っててやるから、オレにも金くれよ」とでもいったように……。

 

 なんにせよ、姉の確約されたような未来の不幸のことを思うと、マリはすっかり胸がスッとして上機嫌になった。そこで、鼻歌を歌いながら結婚式の行われる礼拝堂のほうへ足取りも軽く戻ったわけである。そしてマリは、再びラベンダーの妖精のような恋人の隣に座ろうとして――胸が一際大きく、いや、もっと言うなら口から心臓が飛びでるのではないかというくらい驚いた。

 

 何故なら、ミッシィの隣には、他でもないマリがもっとも会いたかったロリ・オルジェンが腰掛け、さらにその隣には赤ん坊の頃からずっと一緒にいた幼馴染みの親友が仲睦まじく座っていたからである。

 

 

 >>続く。

 

  

 

 

 


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