序文
人間というものはやっ介なもので、一日の内にでも
さまざまな感情の波にとらわれます。
寂しい、切ない、かなしい、うれしい・・・。
うれしさはまだしも、切なさや寂しさの
波(想念波動)の中に入り切ってしまうと、中々
明るいことを思えないが、何百生、何千生と
過ごす内に、人間の心(本来心)の中に喰い込み、
何時の間にか主人の椅子にすわってしまうのが、
業想念波動のもとであります。
それでは、さまざまな感情は意味なく与えられて
いるのかというと、これは実は、魂の発展の
ために(個々の)与えられたものなのであります。
神の愛を証するこの書の序として、まず
これだけのことを述べておきましょう。
五井 昌久