宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

人類の進化

2022-05-31 10:31:47 | 祈り
人類の進化というものには
かぎりがありません

純朴に神を求めて
自分自身のすがたを
祈りのうちに
求めてゆくときに
私たちは
自分自身がはめた
自分はこういう人間だ
というたがから
一つ一つ
外されてゆくことになるのであります

本来
いのちというものに区切りがないように
(役目の終了、はじまりはありますが)
自分というもの
人間というものは
宇宙大にもなり
無限にひろがって存在してゆく
ものなのであります

すなわち
自分自身を
すなおにして
人に
神につくして参りますとき
人間というものは
おのずから透明になって
すきとおり
自分もなく人もなく
あるがままのいのちを
楽しむものなのであります

この地上には
さまざまなことがあって
我々はその一つ一つに
とらわれ
よろこび
かなしみ
苦しんでおりますが
我々の本来のいのちとすがたとは
すべてのものから
解き放たれて
ただ光をながし
光を受ける
神の愛を受け
またその愛をながして
限りなき進化
神の愛に溶け込むための
進化を
かさねてゆく存在なのでありまして
いのちというものは
光をもととし
そのひかりは
神の愛を光源としておりますから
どこで区切られるという性質の
ものではありません

ただ
朝となり昼に至り夕暮れとなり夜になる
それぞれの時の移りのなかで
我々の心が神をおもい 神をしたう
ことはあります
しかし
それすらも
ただ神の愛のなかに溶けて
光一元の世界
光明体の自分自身へと
かえってゆくのであります

人類の進化は
愛を
尋(と)めつくしてゆく
みずからの
本来の相(すがた)を
祈りのなかに求めてゆく
ときに
明らかになってゆくのであります
光へとながれ
愛へ至り
神我一体となるために
さりげなくいのちの光を
かがやかしてゆくために
私どもは
生きつづけてゆくのであります

永遠なるものは ただ神の愛(2)

2022-05-30 09:01:20 | 祈り
   (前日からの続き)
人は本来
光としてながれているものなのだ
自由に
天地を創り
また天地を駆けて
歓喜の唄を
うたいつづけているものなのだ

すべての業は
神のいのちの前には
神の光の前には
永遠ではない
永遠(とわ)なるものは
ただ
神の愛
私たちは
世界平和の祈りを祈るとき
この神の愛につながった
自分自身で
あることをしる

私たちを
もとのすがたに還そうと
神は
さまざまな聖者を降し
祈りをくだして
そのなかで働かれた
そして今
すべての人の心に神性を
呼び覚ます
霊性を呼びさます
愛の祈りを
しめされたのだ

人々は
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様、守護神様
ありがとうございます
という
この世界平和の祈りの
なかで
みずからの真実の相(すがた)を
覚知してゆく
人として
やさしさこそが
ゆるしこそが
そして
祈りこそが
この地上を光にし
みずからを
光にしてゆくことをしる
光であることを
しってゆくのだ

かつてイエスが
祈っている時に兄弟と
仲たがいしていることを
おもい出したなら
行って和解をなせ
といったのは
真実である

イエスは
祈りが
人として
まずこの世で
果たすべきことを
教えることを
こころに深くしっていたのだ

祈りは
かたちではなく
朗らかに
いのちが愛へとながれてゆく
その道筋をととのえて
ゆくものである

祈りは
人の真性を呼び覚ますものだから
その真性から
外れたおもいが
あることに
気づかされると
たとえ
祈りの途中であっても
愛行を
することを
神は人に
命じるのだ

祈りというものは
本来
人を
自由にさせるものであり
人は
自らの存在を
自在に
神に溶け込ませて
ゆくものだから
つまりは
はじめなくおわりなく
明るく朗らかな自分自身
真実の自分自身に出会ってゆくことを
守護の神霊が
たすけてゆくのである

祈りの光明が
神の光が
あなたをとらえて
自由なあなた自身へと
みちびいてゆくのである

神のこころに出会い
祈りによって
自分自身に出会ってゆくことが
私の
そして
私たちのよろこびなのである


永遠なるものは ただ神の愛(1)

2022-05-29 09:43:18 | 祈り
こころに
たえることのない
火をもやして
ゆこう
愛という
やさしさという
火を

いきおいよく
燃え上がらなくともよい
パチパチと
音をたてていなくともよい
声高になることも
決していらない
ただ
しずかに
守護の神霊と
神を呼びつづけてゆけば
自然にこころに
火がともってゆく
その
火種が消えないように
多くの聖賢たちは
さまざまな祈りを
ささげた

阿弥陀如来を呼び
大日如来を呼び
イエスの名を唱え
あるときは
苦行のなかに
己れを投げ込み
激しく山野を
ひたすらに駆け抜いたりした
また
仏を刻むうちに
無を求めたりした

坐ることで
眠らないことで
経をよむことで
彼らはみな
朗らかな
いのちの源である
あなたと
ひとつになろうとした
みな それぞれに
祈りの火をかかげて
あなたを求めたが
私は今
しずかに
あなたから賜わった
世界平和の祈りのうちに
あなたを呼ぶ

世界平和の祈りよ
この数行のうちに
あなたの本心(こころ)は
さん然とかがやいている
そして
あなたのこころの奥に
さらにたえなる
愛の気が発せられていることを
私はしっている

みな
あなたを
それぞれに呼び求めたが
彼らの真実(まこと)は
世界平和の祈りを唱えるとき
霊妙な光明となって
小我である私たちをつつみ
つらぬくことを
私たちはしらされた

人が
本当は
あなたからわかれてきた
無量の光であり
はじめなくおわりなきいのちであり
軽やかに
己のいのちの歌を
あなたの前にうたいつづけている
存在であることを
私はしった

この祈りのなかに
あなたを求め
したいつづけて真摯に生きた
彼らのおもいが
すべて込められている

世界平和の祈りのなかで
私たちが生かされると同時に
彼らもまた
生きるのだ
永遠の進化を
人間がつづけてゆく存在であることを
私たちに教えてくれるのだ

人よ
世界平和の祈りのもとに
あつまろう
そして
自在となって
それぞれの天命を
朗らかないのちを
完うしてゆこう
 (つづく)

どうぞ 私の祈りを浄めて下さい

2022-05-28 09:48:10 | 祈り
人は本来
光であることを
あなたは
私たちの涙を
その掌に受けながら
ささやいて下さいました

私たちは
そのささやきを
おききしても
すぐには
かなしみからたち上がることが
できませんでしたが
あなたは
じっと
私たちを
やさしさのうちに
見守って下さいました

私は
涙のかれた声で
最初は
何の期待もなく
祈りの言葉を呟きました
それは
祈りというよりも
これまでの習慣からくる
単なる
つぶやきだったのです

つぶやいているうちに
私はふと
私のかなしみを忘れた
一瞬がありました
そしてそのとき
私自身が
あなたの大きな愛と
智恵の光に
しっかりとらえられていることに
きづきました

私は私だけではなく
私をみまもっていて下さる
多くの霊人の存在をみました
彼らはみな
なつかしい笑顔を私にむけて
ともに如来印を組み
平和の祈り言をささげています

そして
彼らから
また
守護の神霊から
そしてあなたから
私のかなしみを
ぬぐい去ろうとする
やさしい光が
無限に私の心に流れ込んでくるのを
感じて
私はしばらく声もなく
ただ
その光を受けていました

神様
私はこれからも
たびたび
不安やかなしみに
とらえられるとおもいます
でも
あなたが今日
こうして私に
みせて下さった
すばらしいみまもりの相は
すべてを
消えてゆく姿として
とらえてゆくとき
ただ愛と光ばかりがのこるのだと
いう教えを
くり返しこころにうかべて
すなおに生きてゆけば
いいのだということを
しめしていただいたように
おもいます

私をはげますために
あらわれて下さった霊人たちの姿
しかし
それにも
とらわれることなく
一切を消えてゆく姿として
世界平和の祈り言のなかに
あなたを呼びつづけて参ります

時折は
あなたが私自身をしっかりと
愛し
とらえて下さったことを
我身に刻み込むために
この一瞬を
おもい出すことを
おゆるし下さい

私のそして
私たちの天命が
あなたの愛と光のなかにとけて
大元の世界
光明の世界へと
かえってゆくことができますように
どうぞ
私の祈りを浄めて下さい

あなたとともに
世界平和の祈りのうちに
あまねく
愛と調和の気が
みなぎりますように




青空は 神の愛の深さをしめす

2022-05-27 09:04:52 | 祈り
青空は
どこまでも澄み切って
神の愛の深さをしめす

青はやがて
あおとなり
藍となって
その
目にしみるほどの深い
かがやきは
神の智恵を
しめしてゆく

神よ
あなたの前に
私たちは
私たちの祈りをささげよう
私たちが
あなたの愛と
光のすえであることを
世界平和の祈り言のなかに
しめして下さった
あなたに
よろこびの
平和の祈りを
ささげてゆこう
    平成2年1月16日