(前日からの続き)
「白光への道」にも書いてありますように、
これだけ世間が複雑になって、みんなの思いも
複雑になり苦しみが多くなって来ると、例えば、
諸神善霊も如来諸菩薩もみんな生き生きと動いて
働いているということを説いてゆかないと、
みんなが安心できない。ただ我々の多くの場合、
そういう霊的なことに左右されて日常生活が
営めなくなるということになると、現実のことが
やっていけなくなるわけですね。現実の皆が今
生きている、この肉体を大事にし生活も大事に
しながら、対人関係も大事にしながら、深い
深い祈りの方へもっていくことが非常に大事
なんです。そこの兼(か)ね合いですね。
指導者というのは、自分の中に見える素質
というものを持たされている人達は、時に応じて
機会をとらえて、自分が今何を言わなければ
いけないのか、目の前にいる人達が何を求めて
いるのかを察して、ああそうか、我々は神様に
つながっているんだなあと、悲しみも苦しみも
あるけれども、全部消えてゆく姿なんだと、
神様の大愛によって、我々は養われているんだ
というところへ導いていかないといけない。
それは自分ではなくて、神様が導いて下さる。
そういう目に見えない世界の守りの中にあって
我々の生命が生きている。そこのところを
間違えてね、私が言ってるのにあの人は
言うことをきかないとか、祈りが足りないとか、
どうだこうだということになってくると、もう
我の争いになるわけね。そこにはもうその人の
生き生きと輝いている生命のことがなくなって
しまうわけね。
(翌日へ続く)
「白光への道」にも書いてありますように、
これだけ世間が複雑になって、みんなの思いも
複雑になり苦しみが多くなって来ると、例えば、
諸神善霊も如来諸菩薩もみんな生き生きと動いて
働いているということを説いてゆかないと、
みんなが安心できない。ただ我々の多くの場合、
そういう霊的なことに左右されて日常生活が
営めなくなるということになると、現実のことが
やっていけなくなるわけですね。現実の皆が今
生きている、この肉体を大事にし生活も大事に
しながら、対人関係も大事にしながら、深い
深い祈りの方へもっていくことが非常に大事
なんです。そこの兼(か)ね合いですね。
指導者というのは、自分の中に見える素質
というものを持たされている人達は、時に応じて
機会をとらえて、自分が今何を言わなければ
いけないのか、目の前にいる人達が何を求めて
いるのかを察して、ああそうか、我々は神様に
つながっているんだなあと、悲しみも苦しみも
あるけれども、全部消えてゆく姿なんだと、
神様の大愛によって、我々は養われているんだ
というところへ導いていかないといけない。
それは自分ではなくて、神様が導いて下さる。
そういう目に見えない世界の守りの中にあって
我々の生命が生きている。そこのところを
間違えてね、私が言ってるのにあの人は
言うことをきかないとか、祈りが足りないとか、
どうだこうだということになってくると、もう
我の争いになるわけね。そこにはもうその人の
生き生きと輝いている生命のことがなくなって
しまうわけね。
(翌日へ続く)