こころに
たえることのない
火をもやして
ゆこう
愛という
やさしさという
火を
いきおいよく
燃え上がらなくともよい
パチパチと
音をたてていなくともよい
声高になることも
決していらない
ただ
しずかに
守護の神霊と
神を呼びつづけてゆけば
自然にこころに
火がともってゆく
その
火種が消えないように
多くの聖賢たちは
さまざまな祈りを
ささげた
阿弥陀如来を呼び
大日如来を呼び
イエスの名を唱え
あるときは
苦行のなかに
己れを投げ込み
激しく山野を
ひたすらに駆け抜いたりした
また
仏を刻むうちに
無を求めたりした
坐ることで
眠らないことで
経をよむことで
彼らはみな
朗らかな
いのちの源である
あなたと
ひとつになろうとした
みな それぞれに
祈りの火をかかげて
あなたを求めたが
私は今
しずかに
あなたから賜わった
世界平和の祈りのうちに
あなたを呼ぶ
世界平和の祈りよ
この数行のうちに
あなたの本心(こころ)は
さん然とかがやいている
そして
あなたのこころの奥に
さらにたえなる
愛の気が発せられていることを
私はしっている
みな
あなたを
それぞれに呼び求めたが
彼らの真実(まこと)は
世界平和の祈りを唱えるとき
霊妙な光明となって
小我である私たちをつつみ
つらぬくことを
私たちはしらされた
人が
本当は
あなたからわかれてきた
無量の光であり
はじめなくおわりなきいのちであり
軽やかに
己のいのちの歌を
あなたの前にうたいつづけている
存在であることを
私はしった
この祈りのなかに
あなたを求め
したいつづけて真摯に生きた
彼らのおもいが
すべて込められている
世界平和の祈りのなかで
私たちが生かされると同時に
彼らもまた
生きるのだ
永遠の進化を
人間がつづけてゆく存在であることを
私たちに教えてくれるのだ
人よ
世界平和の祈りのもとに
あつまろう
そして
自在となって
それぞれの天命を
朗らかないのちを
完うしてゆこう
人は本来
光としてながれているものなのだ
自由に
天地を創り
また天地を駆けて
歓喜の唄を
うたいつづけているものなのだ
すべての業は
神のいのちの前には
神の光の前には
永遠ではない
永遠(とわ)なるものは
ただ
神の愛
私たちは
世界平和の祈りを祈るとき
この神の愛につながった
自分自身で
あることをしる
私達を
もとのすがたに還そうと
神は
さまざまな聖者を降し
祈りをくだして
そのなかで働かれた
そして今
すべての人の心に神性を
呼び覚ます
霊性を呼びさます
愛の祈りを
しめされたのだ
人々は
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様、守護神様
ありがとうございます
という
この世界平和の祈りの
なかで
みずからの真実の相(すがた)を
覚知してゆく
人として
やさしさこそが
ゆるしこそが
そして
祈りこそが
この地上を光にし
みずからを
光にしてゆくことをしる
光であることを
しってゆくのだ
かつてイエスが
祈っている時に兄弟と
仲たがいしていることを
おもい出したなら
行って和解をなせ
といったのは
真実である
イエスは
祈りが
人として
まずこの世で
果たすべきことを
教えることを
こころに深くしっていたのだ
祈りは
かたちではなく
朗らかに
いのちが愛へとながれてゆく
その道筋をととのえて
ゆくものである
祈りは
人の真性を呼び覚ますものだから
その真性から
外れたおもいが
あることに
気づかされると
たとえ
祈りの途中であっても
愛行を
することを
神は人に
命じるのだ
祈りというものは
本来
人を
自由にさせるものであり
人は
自らの存在を
自在に
神に溶け込ませて
ゆくものだから
つまりは
はじめなくおわりなく
明るく朗らかな
自分自身、真実の
自分自身に出会ってゆく
ことを
守護の神霊が
たすけてゆくのである
祈りの光明が
神の光が
あなたをとらえて
自由なあなた自身へと
みちびいてゆくのである
こころに出会い
祈りによって
自分自身に出会ってゆく
ことが
私の
そして
私達のよろこびなのである
たえることのない
火をもやして
ゆこう
愛という
やさしさという
火を
いきおいよく
燃え上がらなくともよい
パチパチと
音をたてていなくともよい
声高になることも
決していらない
ただ
しずかに
守護の神霊と
神を呼びつづけてゆけば
自然にこころに
火がともってゆく
その
火種が消えないように
多くの聖賢たちは
さまざまな祈りを
ささげた
阿弥陀如来を呼び
大日如来を呼び
イエスの名を唱え
あるときは
苦行のなかに
己れを投げ込み
激しく山野を
ひたすらに駆け抜いたりした
また
仏を刻むうちに
無を求めたりした
坐ることで
眠らないことで
経をよむことで
彼らはみな
朗らかな
いのちの源である
あなたと
ひとつになろうとした
みな それぞれに
祈りの火をかかげて
あなたを求めたが
私は今
しずかに
あなたから賜わった
世界平和の祈りのうちに
あなたを呼ぶ
世界平和の祈りよ
この数行のうちに
あなたの本心(こころ)は
さん然とかがやいている
そして
あなたのこころの奥に
さらにたえなる
愛の気が発せられていることを
私はしっている
みな
あなたを
それぞれに呼び求めたが
彼らの真実(まこと)は
世界平和の祈りを唱えるとき
霊妙な光明となって
小我である私たちをつつみ
つらぬくことを
私たちはしらされた
人が
本当は
あなたからわかれてきた
無量の光であり
はじめなくおわりなきいのちであり
軽やかに
己のいのちの歌を
あなたの前にうたいつづけている
存在であることを
私はしった
この祈りのなかに
あなたを求め
したいつづけて真摯に生きた
彼らのおもいが
すべて込められている
世界平和の祈りのなかで
私たちが生かされると同時に
彼らもまた
生きるのだ
永遠の進化を
人間がつづけてゆく存在であることを
私たちに教えてくれるのだ
人よ
世界平和の祈りのもとに
あつまろう
そして
自在となって
それぞれの天命を
朗らかないのちを
完うしてゆこう
人は本来
光としてながれているものなのだ
自由に
天地を創り
また天地を駆けて
歓喜の唄を
うたいつづけているものなのだ
すべての業は
神のいのちの前には
神の光の前には
永遠ではない
永遠(とわ)なるものは
ただ
神の愛
私たちは
世界平和の祈りを祈るとき
この神の愛につながった
自分自身で
あることをしる
私達を
もとのすがたに還そうと
神は
さまざまな聖者を降し
祈りをくだして
そのなかで働かれた
そして今
すべての人の心に神性を
呼び覚ます
霊性を呼びさます
愛の祈りを
しめされたのだ
人々は
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様、守護神様
ありがとうございます
という
この世界平和の祈りの
なかで
みずからの真実の相(すがた)を
覚知してゆく
人として
やさしさこそが
ゆるしこそが
そして
祈りこそが
この地上を光にし
みずからを
光にしてゆくことをしる
光であることを
しってゆくのだ
かつてイエスが
祈っている時に兄弟と
仲たがいしていることを
おもい出したなら
行って和解をなせ
といったのは
真実である
イエスは
祈りが
人として
まずこの世で
果たすべきことを
教えることを
こころに深くしっていたのだ
祈りは
かたちではなく
朗らかに
いのちが愛へとながれてゆく
その道筋をととのえて
ゆくものである
祈りは
人の真性を呼び覚ますものだから
その真性から
外れたおもいが
あることに
気づかされると
たとえ
祈りの途中であっても
愛行を
することを
神は人に
命じるのだ
祈りというものは
本来
人を
自由にさせるものであり
人は
自らの存在を
自在に
神に溶け込ませて
ゆくものだから
つまりは
はじめなくおわりなく
明るく朗らかな
自分自身、真実の
自分自身に出会ってゆく
ことを
守護の神霊が
たすけてゆくのである
祈りの光明が
神の光が
あなたをとらえて
自由なあなた自身へと
みちびいてゆくのである
こころに出会い
祈りによって
自分自身に出会ってゆく
ことが
私の
そして
私達のよろこびなのである