自分のなかにみちみちている
光
神の心
というものと
出会うのが
祈りです
自分のために
出会うんじゃない
世界人類
宇宙人類の
愛と
調和という
神様の
みこころを
あらわすために
出会うんです
けれど
それには
まず
自分自身の心が
生き生きしていないと
出る光も
出なくなっちゃう
それで
私達の天命が完うされますように
と祈る
私達の
なかに
今の
私が
入っているわけですよ
もうくたびれて
しなびて
助けて下さい
という
おもいの
私も入っている
その人その人の
色々な
その時々の
私が入ってるんです
だから
私達の天命が完うされますように
って祈ると
神様の方で
ちゃんと
みていて
サーッと
その人の心に
光を入れるんです
光を入れて
その人の辛さも
苦しみもね
浄めて
生きやすくして
そうして
神様のみこころを
あらわしてゆく
器に
してゆくわけですよ
無限の愛というのが
神様のみこころですからね
世界平和の祈りは
その神様の
みこころから
出た祈りなんですから
たちどころに
光で
いっぱいになっちゃうんです
今の世の中
特に
自分だけ
よけりゃあ
それでいい
という人が
ふえてるでしょう
だけど
そんな人がふえて
そのまま行ったら
世界は亡びちゃいます
そうなってしまったら
大変だからっていうので
世界平和の祈りが
あたえられたんです
消えてゆく姿で
世界平和の祈り
もうこれしか
ないんですよ
完全な
愛しか
この地球を救うものは
ないんです
その愛は
ただ
神様だけが
持ってるんじゃない
神様の
分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)である
私達一人一人のなかに
その愛は
あるんです
世界平和の祈りは
その一人一人の
なかに眠っている
愛をよびさます
やさしい
起爆剤なんです
一人一人が
神様という
永遠者の
子どもなんだ
みんな
愛の子ども
なんだ
ということを
世界中に
知らせてゆく
祈りなんです
一人一人が
愛深く
優しくなって
本当に
愛することのよろこびを
愛されることのよろこびを
きざみ込んでゆく時
世界は平和になるんです
私達は
平和のともしびを
一本一本の
ろうそくに
ともして歩いている
その
ともしびは
神様の愛とやさしさで
ともっている
ともしびですから
限りなく
やさしいんですよ
誰もが
その
ともしびを
光を
したわずにはいられない
そうやって
愛というものが
心にともってゆくんです
ですから
このともしび
消えてゆく姿で世界平和の祈り
という
ともしびを
かかげ持つ
私達は
やさしくなるように
愛深くなるように
祈りながら
歩いてゆくことが
必要なのです
愛こそ神のみこころなのですから
昭和62年3月8日