宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

同行二人

2023-04-30 08:21:34 | 祈り
同行
二人
というのは
神さまと
二人
ということ

神の愛は
よりそう陰のように
ずっと
あなたを
守り抜いています 

人間は 自在な神のいのち(2)

2023-04-29 06:48:20 | 祈り
   (前日からの続き)
世界人類が
平和でありますように
という
祈り言は
神の光への
すべての人々の
水先案内人
神の愛という
燈台に
てらされた
この案内人は
道に
まようことはない
平和の祈りという
案内人の頭は

みんな
私の後から
安心して
ついてくれば
それでいいのです

どんな
悩みや 
苦しみも
この祈りの
なかに
とけ込ませれば
光にかわって
しまう
この事実を
一番
よく御存知なのは
神様

どんなに
かなしいことが
おころうと
祈りの光は
かなしみの雲を 
吹き払って
あなた方を
神の愛のもとに
はこぶのです
私は
その船頭
平和の祈りという
船にのった
私たちは旅人 

人間は 自在な神のいのち(1)

2023-04-28 07:58:26 | 祈り
神は
正義を
ふりかざす方ではありません
神の名のもとに
たたかいを
すすめた
なんていう国があるけれど
あれは
人間の我というものです

神様の世界に
争いなんぞ
ありはしない
なぜって
神様は
大調和も大調和
光そのものの方なんだから
争うのは
肉をまとった
人間のならいがそうさせるのです
人間そのものがさせるんじゃない
人間は
自在な神のいのち
なんだから
そんなことには
なりっこないのです
天地が
ひっくり返ったって
なりゃあしません

だから
肉にまとわれた
人間の
おもいを
修正しつづけて
光にすること
それが私に
与えられた仕事なのです
     (つづく)

神と人間は 自然な自然な間柄(4)

2023-04-27 08:06:59 | 祈り
    (前日からの続き)
さながらのいのち
ほがらかな
神の光に
みたされた
人々の心は
大きく広く
寛やかで
まどいが
いつもありました 


私をはじめとする
救世の大光明霊団が
目ざしているのは
この広く大きく
また
寛やかな
人間のこころへと
現代に生きる
すべての人を
かえすことなのです
それも
むりやりに
かえそうというんじゃ
ありません
世界人類が平和でありますようにという
すべての人の心が一つになり
ほんとうに
自由になる
祈りをとおして
かって
人々が
日常茶飯にみていた
天と地をつなぐ
光の柱を
顕現させるのです

この眼で
肉体の眼で
みえる
みえないは
問題じゃ
ありません
そうじゃない

肉体という
不自由な
かせにしばられた
人間の真に自由な真性を
肉体をもたせたまま
奥の奥を
よろこばせる
そうして
いつか
この肉の身のままに
生かされている
よろこびを知る
それこそが
自由を得る
ということなのです

今の世界
肉体を持った人間を
否定するんじゃない
その
肉体人間を
生かしている
真実の神の愛を
知らしめ
心によびおこしてゆくのです
それが
世界平和の
祈りの目ざす
平和と愛と
大調和の
目的です
いのりの光のすすむ
神へのみちです

私たちは
光のみちを歩く
旅人なのです
そのみちすじには
いくつもの
私たちを
きたえる
親の愛ゆえの
つまづきが
用意されているかも
知れない
けれども
神が
絶対の愛であり
いつくしみ深き方で
あることを
知っている私は
心の底から
神は愛であることを
つたえつづけて
やまないのです

神は愛
人はそのいとし子
永遠の神の
いとし子
なのです
    昭和62年1月30日

神と人間は 自然な自然な間柄(3)

2023-04-26 08:52:59 | 祈り
  (前日からの続き)
親と子なのですもの
血のつながりがあるのですもの
遠慮なんてありゃしない
そうでしょ
自然な
自然な間柄
自然な
自然なことなんです

いのちということは
言葉をかえるなら
いのちというのは
すなお
ということ
単純というんじゃありませんよ
純ではあっても
単純じゃない
おのずと
よろこぶという
いのちの
相(すがた)の
なかには
すべてをきよめ
濾過しつくす
きよらかな
神様の前に
まっすぐなさがが
一本徹っているのです

この一本の性を
古代のおおらかな心の人々は
光の柱とみたのです
それは
はなれて光るんじゃない
自分のからだのなかから
おのずと光がみちあふれて
天の私(自分自身)へと
通じるのです

天地の自分自身
人間の相が
合体した瞬間を
古代には
ごくあたりまえの
純な人々が
目にしたのです

自分にも
人にも
かがやき
天と地とをつなぐ
光の柱
その柱一本の光の橋を
かけて下さっているのが
大神様の愛であることを
古代の人々は
一人のこらず知っていたのです

古代の人々が
神様に近かった
というより
神様のことを
本当に
自分の親だと感じ切って
くらしていたのです
丁度
現代の人間が
空気を吸うことを
当然だと思うように

それ以上に
神と人間とは
親しい
親しい間柄だったのです
    (つづく)