宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

神様につながる道(4)

2023-09-30 11:22:53 | 祈り
   (前日からの続き)
神様は
愛という光を照らして
真理にみちびいて
下さる方ですが
それは不動のものですから
あせる必要は  
ないのです
愛が
いつもそこにあるように
神様も 
我々の親である光も
かわらず
光りかがやいているからです
 
自分に
都合の悪いことや
何かがバレたら
困るという心
これらすべてを
やはり業と呼ぶのです
業というのは
善業もあれば
悪業もある
平たくいえば
人間が
心に想って何か一つを
したら
すべて
それらは業
今は悪いこと
ばかりのように
思われているけれど
そんな言葉ではありません
 
ただ逆に
悪いおもい
ゴマ化しや
恐れや
そういう心を育てる
種になるものを
かりとってしまう
ということを
神様は
人々の
業という言葉に対する
思い込みを通じて
なさるわけです

おもうこと
おもってしまうこと
これが悪いわけではない
ただ
死んで
霊界なんかに行くと
想いがたちまち
あらわれてくる
世界だから
大変といえば
これほど
大変なことはありません
 
だから
悪いおもいの種を
種の内に
地面に種が落ちない内に
かりとって
神様は
光の中に入れてしまわれるのです
         (つづく)

神様につながる道(3)

2023-09-29 07:24:27 | 祈り
    (前日からの続き)
人間の感情や
心は
不幸のただ中に
ある時
この真理を
認めることは
とても出来る相談ではない
不幸ややり切れない
事実を前に
流す泪を
神様は
そのまま抱き取って
下さいます
決して
これが真理だとか
神につながる道だなどと
おっしゃりはしないのです
その泪をとおって
私たちは
少しずつ
少しずつ
祈りの座に
近づくのです
 
この世は光です
あなた自身も
光の子です
けれども
何も真理に対して
あせる必要はありません
   (つづく)

神様につながる道(2)

2023-09-28 09:19:58 | 日記
  (前日からの続き)
おごらず
ひねくれず
さげすまず
そのままのすがた
神様にむかって
声を出してください
その時
あなたは
光そのものに
なっているのです
生命の源である
光に

光というのは
みえても
みえなくても
元々
この世界に
満ちているものなのです
この肉体も
元は波動
細かいこまかい
光の粒子なのです

光は闇を
きらう
というよりも
闇があって
光を求める人の心が
神様から
与えられているのだ
というのが本当です
 
もっと
本当のことをいうと
闇はないのです
でも
肉体をまとった
我々の波は
あらい
この世という
世界の中で
こまかい
光の波動に
すぐに
直結することは
出来ません
 
光のもとは
神様の世界
だから
徐々に徐々に
光に神様に
つながって
ゆくように
この世の
不幸と
みえる
出来事や
おもいの波を
受ける
必要が出てくるのです
   (つづく)

神様につながる道(1)

2023-09-27 07:36:51 | 祈り
神様につながる道は
そんなに考え込んだり
むずかしく祈りをしたり
そんなものでは
ありません
素直に
自分のそのままを
神様に
ぶつければいいのです

かっこうをつけたり
もったいぶって
心にもないことを
言ってみたりする
人がいるけれど
それは
神様から遠ざかるばかり
 
何故なら
神様っていうのは
円満なのだから
明るい
素直な魂を
送り出した方なのだから
自分の子どもたちが
辛がっていれば
抱きしめて
哭いて下さるし
涙をふいて下さる
方なのです
涙をふいて下さりながら
でも 一人一人の
行く道筋は
ちゃんと備えて
下さっている
そういう方なのです

だから
心の中に湧き上がってくる
想いの一つ一つを
辛がって
神様すみませんと
くり返す
必要はない
すみません
と一度いったら
心にあかりをともして
想いを放って
明るく生きていけばいい

何事にも
素直
素直
素直
そのままの姿で神様と
お話することが
神様とつながる
ということなのです
大きなおおきな
我々の愛の源に
つながる道なのです
       (つづく)

光への道

2023-09-26 08:40:44 | 祈り
光への道は
いろいろな入り方があっても
最後には
一筋につながっているものです
それは丁度
いろいろと
性格もちがい
育った所もちがう人たちが
会えば
笑顔を交わして
通りすぎる
そんな素朴な
つながりに似ています

笑顔を交わすということは
深くは相手を識らなくても
ほほえまずにはいられない
人としての自然な心が
湧き上がるからで
光も
光に気付いた以上
人間が光を拒むことは
出来ません
なぜなら
光は
愛であり
光そのものだからです

光という一粒の種が
地におちれば
拡がることはあっても
決して世界を
せまくすることはありません

光は
人の心におちてまず
その人の心の中で
その人に一番いいように
あかりをともしはじめます
それから
徐々に
心の内と外を
照らして
遂には
宇宙にまで広がってゆく
わけです

いつの間にか
やさしくなっている
気持ちがおちついている
というのは
愛と祈りそのものの
光の働きです
この光は
特別な人にともるという
わけではありません
ただ
光一念の人をふやすために
まず光のともりやすい人を
神様が
まずえらばれるということはあっても
光の輪は
円となって宇宙をつらぬき
一人一人の 小さな 小さな
心のとびらにも
そっと ともるものなのです

光に気付いて
それを抱きしめること
光への道は
むずかしいことは
何一つありません
ただ
自分のなかに
自由自在である
こうした神のみこころである
やさしい光が
ともっていることを
信じて
歩いてゆけば
いつの間にか
光一念の世界へ
たどりつくのです