(前日からの続き)
神様は
愛という光を照らして
真理にみちびいて
下さる方ですが
それは不動のものですから
あせる必要は
ないのです
愛が
いつもそこにあるように
神様も
我々の親である光も
かわらず
光りかがやいているからです
自分に
都合の悪いことや
何かがバレたら
困るという心
これらすべてを
やはり業と呼ぶのです
業というのは
善業もあれば
悪業もある
平たくいえば
人間が
心に想って何か一つを
したら
すべて
それらは業
今は悪いこと
ばかりのように
思われているけれど
そんな言葉ではありません
ただ逆に
悪いおもい
ゴマ化しや
恐れや
そういう心を育てる
種になるものを
かりとってしまう
ということを
神様は
人々の
業という言葉に対する
思い込みを通じて
なさるわけです
おもうこと
おもってしまうこと
これが悪いわけではない
ただ
死んで
霊界なんかに行くと
想いがたちまち
あらわれてくる
世界だから
大変といえば
これほど
大変なことはありません
だから
悪いおもいの種を
種の内に
地面に種が落ちない内に
かりとって
神様は
光の中に入れてしまわれるのです
(つづく)
神様は
愛という光を照らして
真理にみちびいて
下さる方ですが
それは不動のものですから
あせる必要は
ないのです
愛が
いつもそこにあるように
神様も
我々の親である光も
かわらず
光りかがやいているからです
自分に
都合の悪いことや
何かがバレたら
困るという心
これらすべてを
やはり業と呼ぶのです
業というのは
善業もあれば
悪業もある
平たくいえば
人間が
心に想って何か一つを
したら
すべて
それらは業
今は悪いこと
ばかりのように
思われているけれど
そんな言葉ではありません
ただ逆に
悪いおもい
ゴマ化しや
恐れや
そういう心を育てる
種になるものを
かりとってしまう
ということを
神様は
人々の
業という言葉に対する
思い込みを通じて
なさるわけです
おもうこと
おもってしまうこと
これが悪いわけではない
ただ
死んで
霊界なんかに行くと
想いがたちまち
あらわれてくる
世界だから
大変といえば
これほど
大変なことはありません
だから
悪いおもいの種を
種の内に
地面に種が落ちない内に
かりとって
神様は
光の中に入れてしまわれるのです
(つづく)