宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

神様と一緒に

2010-08-31 12:55:40 | 祈り
神様と一緒に歩いている

とおもうと

どんな時でも心強いものです


実際、光は

あふれにあふれて

私達のまわりを

とりかこみ

守っているのです


愛念と言葉を出すけれど

実際は

おもいと

おこないが

肉体を超えた光になって

あちこちと

とびかっているのです


友達が病気だ

行ってあげたいけどゆけない

神様おねがいします

とおもう時には

もう

あなた自身が光になって

友達のベッドの所まで

とんでいっているのです

これが事実です


そして神様は

この地球や

宇宙に生きる一人びとりに

愛の光をなげかけて

その生きとおしの生命を守り

はたらきやすくして下さって

いるのです


神のこころは

愛だということを知りましょう

自分のなかに

愛の光が

うずまいていて、人を愛したがって

いるのだということを知りましょう


私達は神の愛のなかにとけ込む

光の先達なのです

無 題

2010-08-30 12:21:09 | 祈り
私は一滴の水

小さな流れの中に入り

土をしめらせて

いつか一筋の河岸から

海へと雪ぐ


生命という

永遠へつながる

大河にむかって

人はみな歩みをやめることなく

日々瞬々の光を受ける


人間というものは

本来 円光のように

やさしく

辺りを調和させているものなのだ


自分でそれと気付かずに光を

ふりまいている

それが本来の人間の相


一筋の光も

一滴の水も

真理に照らされて

存在する


自由自在な

私のこころのなかに

一滴の水となり

一筋の光となる

よろこびが

あふれてくる


神 わがふるさと

2010-08-29 16:40:26 | 祈り
 神は等しき人間のふるさとである。それは、単に

心のふるさとというばかりではない。我々の

本心本体を照らすふるさとなのである。

 人間というものは、光一元であり、肉体は光を

受け、つなぎ、ふりまく器であるのである。

 そして、この光は、宇宙神のみふところ深くから

放射される愛にほかならない。


 神は愛なりという言葉はこの真理をあらわした

言葉であって、千古を照らす宇宙の万法なのである。

 だから、神をおもい、神に回帰することは、永遠の

生命につながることであるといってもよい。


 永遠の生命は、神のみふところに流れ込む人間の

本来の相(すがた)であり、私どもは、神をふるさとと

して、この地上に光をむすぶ役割を、一人一人

与えられているのである。

               五井 昌久





人は神のこころをうつしてゆく鏡

2010-08-28 13:15:52 | 祈り
人間の

こころが

分析され

研究

しつくされる

ものなら

神様なんて

いりません


神様は

そんなに

人間を

単純には

つくらなかった

のです

ものに

おどろく

心や

感動にふるえる

こころ

やり切れない

気持

なかなかに

人は

さまざまな

すがたを

一人のうちに

すまわせて

いるのです


何のためかと

いえば

それは

心のひだを

深く

理解し

よりそって

人間臭さが

やさしくなり

神のやさしさに

似るその似すがたと

なるためです


神は

神に

にせて

かみの

ひとがたを

地上に

くだしたのです


そして

心と

よばれる

ものの奥には

神の

愛と

ゆるしにみちた

やさしさと

智恵とを

分生命

分霊である

人間に

息吹きと

して

与えたのです


だから

人は

ただの

人間ではない


神の

こころを

この地上に

また

宇宙に

うつして

ゆく



世界平和の

祈りは

その鏡のくもりをとる

神様の

愛なのです