──序──
五井 昌久
私どものいのちは
神につらなっている
それは
いのちが
神から分けられてきた
ものだからである
人は
神にかえってゆく存在なのだ
神にかえるとき
神にむすばれたいのちであることを
しるとき
私達は
真に自在身となってゆくのである
平成2年3月4日
祈ってゆくと
私たちのいのちは
神につながっていることが
わかる
頭ではなく
からだでわかるのだ
そのとき
私たちは
心から
すなおになって
今ここに
生きていることを
よろこぶことができる
平成2年3月6日
役に立つ人間になりたい
役に立つ人間でありたい
というのが
自然な
私たちの
心のながれなのです
誰のためにか
世界人類のために
人類一人びとりの
天命が完うされるために
役に立つ人間になりたいのです
役に立つ人間でありたいのです
そのために
私たちは
消えてゆく姿で
世界平和の祈りを
祈るのです
りきむことも
気負うこともいらない
ただ
世界人類が平和でありますように
と
唱えるとき
私達は
みんな
光となって
人類一人びとりの
生命(いのち)のなかに
ながれ込んでいるのです
それぞれの
本心の光を
かがやかせてゆくのです
ねていても
歩いていても
食べていても
話していても
いつも
私達は
平和の祈りのなかにあって
この世界を光にするための働きを
しているのであります
それは
私達が
神の大愛からわかれてきた
分生命(わけいのち)であり
分霊(わけみたま)だからです
私たちのなかに
本心があり
神の心が
神の智慧の光が宿っているのであります
世界平和の祈りをとおして
私達は私達の本心へとつながり
人類すべての本心のなかに
とけ込むのであります
そして
私たちが
たしかに
神に愛されていることを
わからせていただくのであります
平成2年3月6日 夜
いっぽんの
祈りの道
世界平和の祈りの道が
私たちの本心から
ずっと
神へとつづいているのです
神
そして
神の愛が
私たちの
祈りをたすけて
いるのです
平成2年3月7日
五井 昌久
私どものいのちは
神につらなっている
それは
いのちが
神から分けられてきた
ものだからである
人は
神にかえってゆく存在なのだ
神にかえるとき
神にむすばれたいのちであることを
しるとき
私達は
真に自在身となってゆくのである
平成2年3月4日
祈ってゆくと
私たちのいのちは
神につながっていることが
わかる
頭ではなく
からだでわかるのだ
そのとき
私たちは
心から
すなおになって
今ここに
生きていることを
よろこぶことができる
平成2年3月6日
役に立つ人間になりたい
役に立つ人間でありたい
というのが
自然な
私たちの
心のながれなのです
誰のためにか
世界人類のために
人類一人びとりの
天命が完うされるために
役に立つ人間になりたいのです
役に立つ人間でありたいのです
そのために
私たちは
消えてゆく姿で
世界平和の祈りを
祈るのです
りきむことも
気負うこともいらない
ただ
世界人類が平和でありますように
と
唱えるとき
私達は
みんな
光となって
人類一人びとりの
生命(いのち)のなかに
ながれ込んでいるのです
それぞれの
本心の光を
かがやかせてゆくのです
ねていても
歩いていても
食べていても
話していても
いつも
私達は
平和の祈りのなかにあって
この世界を光にするための働きを
しているのであります
それは
私達が
神の大愛からわかれてきた
分生命(わけいのち)であり
分霊(わけみたま)だからです
私たちのなかに
本心があり
神の心が
神の智慧の光が宿っているのであります
世界平和の祈りをとおして
私達は私達の本心へとつながり
人類すべての本心のなかに
とけ込むのであります
そして
私たちが
たしかに
神に愛されていることを
わからせていただくのであります
平成2年3月6日 夜
いっぽんの
祈りの道
世界平和の祈りの道が
私たちの本心から
ずっと
神へとつづいているのです
神
そして
神の愛が
私たちの
祈りをたすけて
いるのです
平成2年3月7日