宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

遂に 神の大慈光のなかへとみちびかれていく

2015-03-31 06:32:27 | 祈り
私たちのいのちは
ずっと宇宙と宇宙神のみこころにまで
つながり、つらなっているので
あります
無限のなかで
私たちは生かされているのです

祈って祈って祈り抜き
すきとおるまでに高い魂を持つ
兄弟たちが
私たちのこの地球と地球人類に
光を送りながら
進化の行方(過程)を見守っている
のであります

彼らはずっと前から光を送りつづけて
くれていたのですが
今や
私たち一人ひとりの器をとおして
地球の浄化を
私たちとともに
成し遂げ
宇宙神のみこころである
宇宙の完全平和にむけて
まい進してくれているのであります

私たちの器
それは
世界平和の祈りを祈りつづける
ときに
人間本来の霊光をあらわす
光明体としての私たちの器を
いうのであります

前にもいいましたように
人は
自覚せざる霊人であったわけですが
今日のように
変化の激しい時代
まさにこの地球が
新しい時をきざもうとするこの時期に
あたっては
私どもは
霊(神の智慧の光)が私どもを
みちびいている
私どもはその光を持っているのだ
という事実を自覚しつつ
世界平和の祈りを祈りつづける
ことによって
一人一人が
光の送り手となっていかねばならない
ときになってきたのであります
一人一人のおもいと祈りがこの世界を
かえていくのであります

こう申しますとちっぽけな人間一人に
何ができるか
と多くの人は思ったようでありますが
それは
人間というものを
肉体という不自由きわまりない
世界でしか
生きないものとみるところからくる
思い込みでありまして
くり返して述べておりますように
人間というものは
そんなちっぽけなものではないので
あります

人間は
神の分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)であって
つねにその大愛と無限の世界から
光を送られているものであり
また同時に
神界霊界幽界にも存在して
働きつづけているものなのであります
つまり
人間というものは
自由自在な働きを
本来
その世界で
神の光をうけながら
なしつづけていくものなのであります
なしつづけているものなのであります

ところが
この肉体というものをまとううちに
肉体にまつわる我というものが
出て参りまして
本来肉体は
人間の地上での衣服であるにすぎない
筈だったのが
長年月の間に
業想念と光とが入りまじって
しまったのであります
そして
それを人間のすがただとおもい間違って
しまったのであります

そこで
この地上に生きる我々自身の長い間の
思い込みを払い
自分自身をのこりなくあらわすために
すなわち
光明そのものの自分
永遠のいのちのなかに神を
たたえてゆく自分をあらわすために
祈りというものが
必要になったのであります

なかでも
消えてゆく姿で世界平和の祈りを
なしつづけて参りますときに
我々は
大元の生命(いのち)
光へとかえってゆくのであります

いのちというものがずっと神から
ながれてきて
私どもを養い
光(愛)が我々の智慧として
本心を照らしているという事実を
私どもはこの世界平和の祈りのうちに
しらされてゆくのであります

そうして
我々人間の本来の姿
愛と
智と
祈り
のうちに
朗らかに
生きとおして
神のもとへとかえってゆく人間の
すがたは
実に永遠に宇宙へと溶け入り
遂に
中心帰一
神の
大慈光のなかへと
みちびかれていくことを
しるのであります
   平成2年2月6日、8日 記

祈りを唱えることで 宇宙人類と一緒に働いてゆくことができる

2015-03-30 06:09:59 | 祈り
世界平和の祈りを祈って
統一してゆくと
本当の人間のすがた
本質ってものが
あらわれてくるんです

何ものにもとらわれない
すっきりしたいのちのすがたが
あらわれてくる
それは
人間の本然のすがただから
どうでもこうでも
あらわれるようになってるんです
ただし
現れろ現れろといったって
出てきやしません
己れを空しくして祈る
ということがなければ
でてこない

それで
なぜ
世界平和の祈りかというと
世界人類が平和でありますように
という
この祈りのなかには
一つも
わたくしがないんです
そして
肉体人間の
自分が自分が
という
想念波動を
すっかりきれいにして
すきとおらせて
人類のもとのすがたへと
かえしていくんです

南無阿弥陀仏もそう
主の祈りだってそうだけども
現代に生きる我々の心にひびいて
そして大神様のみこころそのもの
愛そのものをあらわした祈りとしては
これ以上のものはないんです
そして
この祈りを唱えることによって
宇宙人類と一緒に
働いてゆくことができるんです

私達だって
宇宙人なんですよ
この自覚を
深く持つことが
今からは大事なんです
宇宙人類のうちには
もうすでに
この世界平和の祈りが
なりひびいている
そこから生まれてくる
高い波動によって
彼らの
文明も文化も科学も
成り立ち、社会も
成り立っているんです
それを
この地球におろしているのが
私達の宇宙子科学です

宇宙子科学は
生命エネルギーの元の元
あらゆる生命波動の元の元を
祈りによって教えられていく
統一によってみせられ
気付かされてゆく
そういうものです
つまり
宇宙神のみこころである
大元の愛
大愛というものに
世界平和の祈りのひびきにのって
我々がかえってゆくときに
すばらしい叡智があたえられてゆく
のであります

現界でも霊界でも宇宙でも
およそ人間が
本当に生き生きと
いきづいていくためには
絶えることのない
統一
祈りというものが
必要不可欠なのであります
祈りによらないでは
何事も
成ってはいかないし
展開してはいかないのであります
この真理を
私たちの裡に目覚めさせ
宇宙の兄弟たちとともに
進化を遂げてゆくための
はしごが
世界平和の祈りです

すべての智慧は
神のみこころにあり
我々は
世界平和の祈りを祈ることによって
本来のすがたを
あらわしていくとともに
生命に関する奥深い科学を
神のみこころによって
しることができるのであります
その科学は
神は大愛であり
人類は
その大愛大円光の
わかれであるんだ
ということ
この宇宙は
ちり一つに至るまで
神の光のとどいていないものは
ないし
神の光の波によって
成り立っているのだという
ことを根本とするものであります

人間が
本当の自分のすがたをしるということは
この神の愛にかえることであり
宇宙を心に抱くことであります

私どもはすでに宇宙なのであります
世界平和の祈りにのって
宇宙人類へとつらなって参りましょう
   平成2年2月4日、6日 記

愛とすなおというのが一番

2015-03-29 06:14:13 | 祈り
すなおになるということは
何もかもを
神様に任せる
ということです
一度かえしていくんです
そして
あらためて
神様
お願い致します
すなおな私であらしめ給え
愛深い私であらしめ給え

祈ってゆく
世界平和の祈りのなかで祈ってゆく
愛とすなおというのが
一番ですからね
これ以上のものはないんです
そして
愛もすなおも
神様からきていることを
信じることですね

人間は凡夫なんだから
何もできない
いのちも何も
すべて神様からのかりものなんだ
とおもうこと
これは肉体人間としてのおもいを
すっかり神様の方に
かえしていくことですよね
そしてあらためて
本心の自分
真実の自分
朗らかな何のとらわれもない自分を
たずねて
そしてそれを
肉体を持ったまま
この日常のまま
生活のなかで光らせていくわけです
そのために私がきたんだし
世界平和の祈りが
あるんです

自分の本心を
祈りながらたずねていくというのは
人間の本来のすがた
本当の人間のすがたを
たずね、きわめて
いくことになるんです

本心の光と守護霊守護神があって
私たちは
生きていられるんですからね
本心の光というのは
つねに
神のみこころをうつしています
そのみこころの深さというのは
大変なものなんです

世界人類すべてに平和を
そして
この人類一人一人
今度は平和の旗手として
光をかかげて
宇宙人類とともに
手をたずさえて生きてゆく
本当に
無限といっていい
神の愛と平和の気をみたしているのが
本心なのです

世界平和の祈りを祈ってゆくと
しらずしらず
この本心に統一するんですよ
深い自分が
自由になった自分が
おりていくんです
本心に
守護霊守護神の
たすけを借りながらね
それで
祈ってゆくと
自然に
おだやかになる
平和になるんですね

で、そういうしずかな自分になってる
ときに
祈ってるとか
祈ってないとか
思わない時に
本当に人間というものは
かがやいてるんです
白光体になっているわけです
そういう
魂の覚醒
霊性本心の開発というものを
地道に
統一しながらやってゆくとき
かならず
世界は平和になっていくし
みなさんも平和になっていくんです

世界平和の祈りを一回でも
二回でも出して下さい
そうやっている内にみなさんのなかの
本当の人間があらわれて光になって
いくんです
       平成2年2月2日 記

祈ってゆくと 神様につながってることがわかってくる

2015-03-28 07:54:42 | 祈り
人間というのは
ちっぽけなもんじゃない
ということを
しってもらうために
私は来たようなもんです

肉体が亡んでしまえばおわり
なんて
ものじゃない
今迄の
思いグセで
私なんか駄目だ
私なんか駄目だ
って
どんどん
自分を
小さくしていって
所詮
人間なんて
ちっぽけなもんだと
一人合点してしまってるのが
現在の人達です
そうじゃないと
いくらいっても
中々
この自分を
小さくするというクセは
治るもんじゃないんですね
 
そこで
私は
消えてゆく姿と世界平和の祈り
ということをいってるんです
これは
いっぺん
色んなおもいを
過去世の業があらわれて
消えてゆくんだ
すべて消えてゆく姿なんだ
という風に
徹底して掴まずに
世界平和の祈りのなかで
救世の大光明のなかで
消していただこうと
こういうものなんです

神様というのは
人間の思いちがいを
消そう消そうとしているのに
人間の方で
私は悪いことをした
ああ悪いことをした
私は罪人だって思いつづけて
いっかな放そうと
しないんだから 

とらわれている
というより
何だか
苦しい自分に
すがりついているって
感じですよね 

これでは
自由になっていかないんだ
自由になるってのは
まず自分が自由になって
いかなきゃあ
誰一人
自由にすることは
できないんです
それには私は駄目、私は悪い
にすがりついてちゃいけない

先ず
ああ人間は光なんだなあ
だけど
今迄の思いグセで
色々とらわれてしまうんだなあ
だけど、それで消えるんだから
とらわれたらすぐ
平和の祈りのなかに入れて 
守護霊さん守護神さん
消してくださいっていえば
消して下さるんだなあ
と思いながら平和の祈りを祈ってゆくと
本当に消えるんです

自分が自由にならなきゃ
誰一人自由に
できないっていったけど
ずっと祈ってゆくと
みんな守護霊さんが守護神さんが
やってくれてることに
気がつきますよね
だけど
自分が自由になる
明るく呑気に
朗らかになったらなった分だけ
サーッと光が入るんだし
光を放ってくんだから
それは
みなさんが明るく明るく思って
生きていくってことは
何よりも大事なんです

その上で
ああ私がしてるんじゃないなあ
守護霊さんの方で守護神さんの方で
神様の方でちゃんとみて
やって下さってるんだ
だから安心しながら
祈って
感謝していけばいいんだ
ということになりますとね
もうすなおに 
スーッと神様の光が流れてるんです

先生、そこまでいくの
大変ですよ
とみなさんはいうけれどね
その大変だっていう思いも
消えていく姿なんだから
そう思いながらでも
世界人類が平和でありますようにって
やっていると
いつの間にか
平和の祈りだけが
みなさんのなかに鳴りひびくように
できてるんです
人間というものはそうできてるんです

親の家(うち)に帰って
やすらがない子どもはいませんよね
みんなほっとして
なつかしくなって
甘えたくなるでしょ
それとおんなじですよ

世界平和の祈りっていうのは 
五井先生っていうのは
みなさんの親なんだよ
実家なんです
いつかみんな
ここに帰ってくるんです
だから
平和の祈りをするとほっとする
五井先生って呼ぶと
ほっとする
というのはあたりまえなんです
そのとき家に帰ってるんだからね

じゃあ仕事が辛いから仕事しない
ずっと五井先生って呼んでますというのも
困りものですけどね
だけど
それならそれで
私はその人が早く辛くなくなるように
よろこんで仕事ができるように
祈りながら光を送りますよ
ああいつも五井先生と一緒なんだな
私はなんにもできない
ダメな人間だと思ってたけど
世界平和の祈りを祈らせていただけるんだな
それで
大きな光の働きをさせていただいてることに
なるんだな
よし
辛いけど
苦しいけど 
先ず自分が楽になりたい…
そんな出発だけど
辛い分だけ
世界平和の祈りを祈ってみよう
五井先生って呼んでみよう 
とおもって
そういう出発でいいとおもうんです

祈りなんて力んでやるんじゃないし
まして人がみてるからやるもんでもない
セレモニーなんかじゃないわけだから
はじめは
呟きでいいとおもうんです
そのうち一生懸命になる
何だかいつの間にか祈ってる
ということになる 
そうすると
一生懸命が
光を連れてくるんです

具体的にいうと
その人に縁のある人たちの
守護霊さんとか霊人とかが
一緒になって祈ってくれるんです
もともと
世界平和の祈りを思いうかべるだけで
救世の大光明霊団がその人をつつむから
それはものすごい光明体に
なるんだけど
それと一緒に親しい人たちの守護霊さんたちも
くるわけですね
そして
みんなして祈っていくうちに
だんだんみなさんが自分の本心の光と
一緒になっていくんです
ドッキングするんです
そうして
無理なく
いつの間にか明るくかわっていくんです
少々のことではへこたれなくなる
人生の苦労をしながら
あああの人もあの人で
大変だなあ
とおもえるようになるんです 
やさしくなって、いく
光になっていくっていうのは
そういうことですよね

そうして
大変だなあと思いながら
どうぞあの人の天命が完うされますように
って祈ると
そこでパーッと光がその人にとどくわけです
それは霊団からもいくし
守護霊さん(みなさんの)からもいくし
みなさん自身もいくんです
パッと瞬間に
その人の所に行って
頑張って
といって帰ってくる
それでいて仕事はちゃんとしてるんです 
姿が消えるわけでもない
だけど行って帰ってくる
いちいちいわないだけで(私は)
みんな毎日やってるんですよ
人間はそんな風につくられてるんです

私は本当の人間の姿を説きに
この世に出てきたんです
人間というものが
神様とともに
宇宙の進化と完全平和のために
未来永劫
働きつづけているものなんだ
ということをいうために
私は出てきたんです

宇宙とか進化といっちゃうと
とてつもなく
遠い世界のようだけれども
そうじゃない
みんな
神から分かれた分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)で
一人一人が宇宙なんです

人間というのはね
みなさんのなかに真善美があるわけ
平和の気があるわけ
愛の気があるわけです
そんなって思う人は
もう一ぺん
自分がどこから出てきたか
考えてみて下さい
お母さんのおなかの中ですね
そのお母さんのおなかに宿る
その生命は
つまりみなさん自身は
一体どこから出てきたんだろう
みなさん自身はどこにいたんだろうってなると
ちょっとこんがらかる人も
でてくるんじゃないですか?
どうかな
さあどうでしょう
しばいならさしずめ
サアサアサアってとこですよね

自分ってのを
この五体っていうか五官の世界で
見ている間は混乱があるんですよね
だけど私がさっきもいったように
人間は神の分生命分霊ですからね
もともとをたどってけば光になるわけですよ
宇宙神のみこころの奥まで
たどればいっちゃうんですよね
生命ってものはですから
神から無数に枝分かれしてきてるんです

人間のいのちはね
もとは一つなんですよ
ですから
世界は一家人類は兄弟っての
あれは真理なんですね
本当にそうなんです

もう一ついえば
人間は光その光は神の愛ってことに
なるんでね
この世もそれからあの世
あの世っていうか向こうですよね
霊界も
すべて顕われの世界ですよね
みんな想念の世界です
そのおもいをすなおにして
浄めて世界平和の祈りのなかで
光一元になってくわけですけど
とにかく
すべて今のことがあらわれているわけじゃない
今より前のことがこの世で「現実」
になってでてくるわけですよ
だから
一番いいのは
すべてを
ああ消えてゆく姿だとおもってね
五井先生を呼んで
平和の祈りをやってれば
自分のなかにながれているのは
光ばかり
神の愛ばかりってことになってくるんです
本当にね

それで
光ってのはさっきもいったように
神から分けられてきたもので
何より人間をつくってるものですからね
だから人間が光るんだなと
おもうことは
そのとき
そこに
あなた方のなかに
真善美という
宇宙そのものが
あらわれてくることになるわけです
そうやって祈ってゆけばゆくほど
肉体という
ちっぽけな器を超えて
直接守護霊守護神につながり
神様につながってるのが
人間なのだということが
わかってくるわけです
        平成2年2月2日 記

神様は どこまで本当の人間になれるかをみてる

2015-03-27 08:08:31 | 祈り
気はやさしくて
力持ち
という言葉があるけれど
気というのは
たしかに
やさしいんです

気を
ずっとこうして
みていくと
細かいこまかい
光の粒
光の流れになるんです

光というのは
神からながれていて
人間のいのちの
大元(おおもと)
ですけれど
その光は
いいかえれば
神の愛
ですから
やさしくて
当然です

けれど
光というのは
ただただ
ベタベタと
甘いというもんじゃない
いうなら
慈愛です
みまもりですよね
じっとみている

たとえば
あなた方ならあなた方が
苦しくて
うめき声を上げるのを
みている
すぐ助けりゃいいようなもんだけど
助けちゃ何にもならないんです

それだけ
真実に
神をよんで
祈って
そして霊性を進化させていく

人間というのは
永遠に進化してゆく存在ですからね
苦しんでいるあなた方以上に
守護霊や守護神は
涙をながしながら
じっと
出てゆく時期(機)を
待っているんです
みまもるやさしさってのも
だから大変ですよ

やさしさってのは
へなへなしたもんじゃないですね
いくつもいくつも
どうしてだろう
なぜだろう
というところを
通り越して
涙もながして
つよくなってさ
そういう
人生の苦労というものを
味わった末に
本当のやさしさってものは
出てくるんですよ

神様の
やさしさだって
そうです
わざと
人を辛い目に
あわしたりなんかする
だけど
しっかりと
根本のところでは
支えてるんですよ
そうして
どこまで
つよくなれるか
本当にやさしくなれるか
本当の人間になれるか
みてるんですよ

人間ってのは
光にかえってゆく存在ですからね
自分が光であること
光を放っていることをしって
そして
それにもとらわれずに
祈ってゆく

そういうのが人間の姿ですから
本心本体
光そのままの
自分自身を
この肉体にもあらわしていって
人間が何も束縛されない
神の愛のなかで
自由に生きつづけてゆくものだ
ということを
世界平和の祈りのなかで
しるとき
人類と個人とは
完き平和を完成してゆくのであります
   平成2年2月2日 記