宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

(漢詩)無 題(十九)

2021-11-30 11:06:20 | 祈り
一風神慮不起無風一物神之愛実在
其風欲識之大我即宇宙満智之心
不離人者之導依己養生命即自愛
他愛之心等神愛児我等在裡


一風も神慮なくては起こらず。
一物にも神の愛と実(まこと)あり。
其の風の大我を識らんと欲するや
これすなわち宇宙は智の心に満ちて
人を離れず。
人は己れを導く者によりて生命を養う。
すなわち自愛他愛の心。
等しく神の愛児たる我等が裡にあり。



風も神のみこころがなくては吹かない。
一つのことがらにさえ、神の愛と
実(まこと)が込められている。
もしも風(人)が宇宙の真実と奥義とを
本当にしろうとして祈れば、宇宙という
ものが神の智慧の心にみちて、ひとときも
人間をはなれず、神の分生命(わけいのち)
である人は、それぞれ、己れをみちびく
神霊のみちびきによって生かされている。
その神霊のみちびきとは、自分を愛し、
人を愛する心である。
この心は、みんな等しく、神のいとし児
である私たちの裡にあって、私たちを
やしなっているのだ。

(漢詩)無 題(十八)

2021-11-29 07:48:51 | 祈り
大我者元混沌生命相宿然大元愛
鶴似美思裡持確々之是肉宿生
太古神息吹大昔噺真実之


大我は元混沌として生命の相を宿す。
然れば大元は愛。
鶴に似て裡なるおもいは美しく、これを
肉の生(いのち)に宿す。
生(いのち)は太古、神の息吹により宿るという
昔噺(ばなし)はこれ実(まこと)なり。



宇宙はそのはじめ、はじめなくおわりなく
ただ生命のすがたをぼんやりと神のふところの
なかにやどしていた。
鶴の姿のうつくしさに、誰もがみとれるだろう。
たとえばその美しさを、心として、そのままに
肉をまとわせ、神から分かれてきたのが
人なのだ。
いのちがそのむかし、神の息吹から生まれた
という昔噺(むかしばなし)は、事実そのまま
なのである。

(漢詩)無 題(十七)

2021-11-28 09:39:37 | 祈り
言葉光也然何云即不語言葉充諾
法結行時人之霊止時識是理朗神語


言葉は光なり。
然れば何と云わん。
すなわち語るを得ず、といえども
言葉はゆるしにみちて法(のり)に
結びゆく時、人の霊止たるを識る。
このとき神のことわりを朗らかに語る。



言葉は光である。
さてこれをどう説いてゆこうか、なかなか
言葉にしがたいけれども、言葉が本心の
ゆるしにみちて、神の愛と平和の法則に
結ばれてゆくそのとき、人間はそのまま
霊人であることを肉の身のままに覚るのである。
そして、そのときこそ、神が愛であることを、
誰もが、はっきりと語りつづけてゆくことが
できるのだ。

(漢詩)無 題(十六)

2021-11-27 10:19:07 | 祈り
祈者総結光之気人間之気連生命源尋
即大我小我包光明体為是真理云


祈りはすべてを結ぶ光の気にして
人間の気に連なる。
生命の源をたずぬれば、すなわち
大我(大宇宙)小我(小宇宙=人間)を
包みて光明体となす。
これを真理と云う。



祈りというものは、万物を結ぶ光明の
気の流れであって、これは、人間一人一人の
持っている気に連なっている。
生命の源をたずねてゆけば、大宇宙(神)と
小宇宙(人間)を包んで、さらにその奥に
大愛の光明体となっている。
これが真理なのである。

(漢詩)無 題(十五)

2021-11-26 06:44:32 | 祈り
空海無限仏者
無尽蔵真言光
為与覚者即筆
力語力与神預言
葉屶


人間(日本の)三筆と云う空海は、
かぎりなき仏者にして、無尽蔵の
真言の光となる。
覚者はすなわち筆に力を与えられ、
語に与えらる。
神の言葉を預かるなり。



日本の三筆といわれる書の達人空海を
霊覚でみてみると、彼は、かぎりなく
祈りに徹した仏教者であって、おのずから
真言の光を無尽蔵に放っている。
覚者としての彼の筆に力があり、語に
力が与えられているのは、彼が神からの
言葉をあずかっているからに他ならない。