宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

祈り心でもって流す

2021-12-26 12:47:38 | 祈り
(質問) 例えば、毒性のものが体内に入った
場合、祈り心でもって流したらいいんですか。



(答) いいんです。何も気にする必要ない。
 天と地をつなぐ者に書いたでしょう。
結核の膿(うみ)をさわったその手のままで
食べても何ともならなかったと。
あれは、自分がもし神様の御用を何もしなくて
いいんだったら、そこで、死んでもいいし、
生かして下さるんだったら、まだ生かして
下さるだろうと思うつもりで治療してるから、
何にもならないのね。
恐いとか、どうしようとか、そういうものが
有ると、つけ入られるんです。

どういうふうにしようと、たとえ無菌室で
仕事をしていようと、そこで自分の中にふっと
迷い心なんか出て来ると、それが細菌という形
をとって中へ入って来ます。
これだけの事があったのに、なんで私は神様に
守られなかったんだろうと。
でもそうじゃないんですね。
やっぱり迷ったところに乗じて何かがふっと
取りつく。
そういう時に、肉体がふっと弱まる時、
弱まらないためには、やっぱり祈ってゆく。
どうなっても構わないと投げ出す。

不安につけ込むもの

2021-12-25 07:32:06 | 祈り
(質問) 今、肝炎もHB型からC型まで出て
来ていて、C型はまだ人間界では抗体がないと
言われていますが、C型の人に使った注射針を
誤って自分に刺したという場合、光の中にいると
消されますか?



(答) 神様は全部消せる。
何であろうと消せる。
しかしその人間が果たして行かなきゃならない
宿題というものがある場合には、それが病気に
なって出て来たり、不幸と見える状況になって
出て来たりする。
つまりそれは、その人が不幸になるためには
何かが起こって来るわけじゃない。
その人が進化するために出て来る。
何か背負わされる場合には、そうなんですね。
借金払いの場合もあるけれど、その人の魂が
より進化されて澄み極まって、もう肉体を
持たなくてもよろしいという、つまり、
肉体波動が無くても自由自在に行ったり来たり
出来る、そのくらい自由自在になるという、
その目的のために出て来る。

例えば、うんと貧乏になったり、何でこんな
病気になったんだとか、あるんですよ。
また、こんないい人が何で早く死ぬんだろうと
いうような場合ね、これは天の方から見ていて、
守護神の方から見ていて、これはもう天の方へ
迎えた方が、地上と連けいがうまくとれて、この
魂を使ったほうが光が送りやすいというような
場合があるんです。
神慮の場合がある。

しかし、人間の感情は、こんないい人が
死んじゃってという場合、とてもじゃないけれど
悲しみがあるわけですよね。
だけど、神様が守って下さるから、とにかく、
私の天命が完うされますようにと祈っている以上、
絶対悪くなって行きませんから。
その不安も全部含めて、神様は消して下さるので、
信をかたく保つということはそういうことです。

どうなるのかしらどうなるのかしらと思って
いたら、そりゃつけ込まれてしまう。
それは神様がつけ込むんじゃない。
幽界の生物とか、何か不安に乗じて何かを
やろうとする、そういうものがつけ込んで来る。
それは神様の心でもなんでも無いです。
自分が不安になって自分がぐらぐらして、
その時に痛みでもなんでも来る。

ですから、そういうものを払って払って
いこうと思ったら、自分が力まないで、神様を
呼んで祈ってやっていく、これが一番いい。

地球に生まれ替わって来ないという意味

2021-12-24 09:26:12 | 祈り
(質問)我々祈りの同志は、もう地球に
生まれ替わって来ないと言われていますが…



(答)地球世界で沢山の体験を積み、
地球界で強められた光がうんと役に立つ。
地球界を抜けるということは、肉体から
抜けるということです。
地球にいる限りは、肉体の粗い波動を
ずっと身にまとっていなければいけない。
だから地球界に生まれませんよということは、
肉体を持っては来ませんよ、この肉体の粗い波動
から、あなた方は解放されますよということです。

ということはどういうことかと言うと、もっと
霊妙な真実の自分自身、本体の自分自身で活躍
することが出来ますよということです。
天上界へ行って、たらふく食べて飲んで暮らして、
もう何もしなくてよいということではない。

神様がこの宇宙を造って、そして人類という
ものを沢山造って、自分の光を分けて
行ったんですね。
その光が届く所、届きやすい所の金星なんかは、
ずいぶん長い時間かけて耕して来た大変な
時代があって、もう今や届いていますけれどね。
つまり、我々がもう地球に生まれて来なくて
いいですよというのは、地球から抜け出して
もうここに来なくていいですよという、それも
あるけれど、もし地球に来るとすれば、
生まれて来て何かをしなければいけないという、
そういう義務があるという意味じゃなくて、
肉体を脱ぎ捨てたままで暮らせるほど、地球が
霊妙な空気になって、進化されて耕されて、
澄み浄まった空気で、神様の光が届いている、
そういう場所になりますよということです。

あなた方の世界平和の祈りを唱えて下さる、
毎日毎日の祈りでもって、光が今ふりまかれて
いる。
それが土にしみ込んで、海の底にまかれて、
空の果てまで、光はもうかなり充満していますよ。

霊化ということについて

2021-12-23 12:49:09 | 祈り
(質問) 先日Aさんのお話の中に、五井先生が
御在世中に、もう霊化しているというような
御法話をうかがったことがある、ということを
聞きましたが…。


(答) 霊化といってもいろんな段階が
あるんです。
霊化というのは、人間の身体に例えて
言いますと、全部霊化したら、人間は
死んじゃうんですね。
全く霊化してしまったら肉体にいられなくなる。
肉体を脱いで行かなくちゃならなくなる。
だから、もう霊化しちゃったんですよと言うのは、
Aさんに判りやすいように言ったんで、真理を
伝えるときに、その人に見合うように言わなくちゃ
ならない。
分かるように言わなくちゃならない。
それで、霊化しちゃったんですよというのは、
その通りなんですけれど、その時霊化しつくして
しまったら、四次元の光を降ろす必要も全く
ないんですね。
そうじゃなくて、一応の基礎工事は全部、私が
来たことで終わりましたよ、そういう意味の霊化は
終わりましたよということです。
霊化という言葉にそのまま把われないように
しないと、一つずつの言葉に把われて、
もう救いが完成しましたよと言うと、そうすると
なんで戦争があるんですかということになるでしょ。
何で病気あるんですかということになるでしょ。

一つ一つを通して真理に近づいて行くという
気持ちがないと、何事も成って行かないんです。
ここにいるお父さんでもそうだけど、肉体が
痛くて痛くてしようがない。
この方は自分でやった時期が随分あるんです。
自分でやろう、自分で頑張ろうとした時期が
たくさんあるんです。
だからそのくせがやっぱり出る。
自分で立たなくちゃいけないと思う。
でも痛い、痛いんですよ、そうするとそれをまた
克己しようとするんです。
それは当然なことなんだけれど、一方では、
「神様すみません、立たせて下さい」
と言って、スッと立つんです。
その時にフッと痛みが遠のくんです。
そういうメカニズムになっているんですが、
人間はそういう思いぐせというのは、なかなか
抜けない。

霊化したと聞いてしまうと、もう霊化した
のだったら、今更みんなで神行しなくても
いいんじゃないかというところまで、極端に
行ってしまうんだけど、そんなものじゃない。
やはりみんなはそれぞれに自己完成して、
本質的に高くなって行くには、それぞれに
苦労も必要ですよ。
肉体を通してゆかないと、こういう三次元の
世界では完成されないところもある。
しかし、肉体だけで受けて行ったら、とても
たまらないことが今からいっぱい起こって
来ますよという、その前の段階の所で、
もう本当に直前の段階のところで、「あ、
こりゃとても、地球人類が束になってかかっても、
この地球の業は消し切れない位に、生命のほうが
無くなってしまう位になるだろうな」という
ことで、法則の光が降りて、四次元波動が
降りてきた。
我々を救うために降りて来た。
我々を死滅させないために、地球が爆発
しないために降りて来た、時期に応じて
降りてきたんです。

ですから、今の霊化の仕方と、私が生前に
霊化しましたよと言ったその霊化の仕方
というのとは、違うんです。
実質が違うんです。
内容が違うんです。
ですから、言葉だけをとらえて、あれだこれだと
あんまり理屈で追いかけないで下さい。

(漢詩)無 題(四十一)

2021-12-22 08:40:11 | 祈り
水者今昔不問唯澄己
人間生者心裡満光岩


水は今昔を問わず唯己れを澄ます。
人間の生(いのち)も心のうちにみちて
光のごとし。



水は、時を問わず、今とか昔とかに
とらわれずに、ただ自分自身をすませている。
それとおなじように、人のいのちも、本心に
みちみちて、ながれゆく神の光のようである。